夢をかなえよう
BOOK PORT CAFEで在店していると、時折なぜこんな形態で本屋をやることになったのか、という事を尋ねられることがある。これこれこういう経緯でこうなったんですよ、と返すと、たまに
「やっぱり自分のお店を持つのが夢だったんですか?」
とか、なんなら一足飛びに
「夢がかなったってことですね!」
と言われることがある。
ニコニコしながらも、内心結構自問している。夢、とは。と。
まず、多分僕は本屋になる事を自分の夢だと位置づけてはいない。のだと思う。
もっと根本から言うと、本にかかわるようになったのは全てにおいて成り行き任せなところが大きい。初めて本屋でアルバイトをした時もさほど深くは考えていなかったし、いったん正社員になってまた離れて今は全く違う職に就いていて、そこからブックマンションで棚を借り始めて現在に至るまで、振り返ってみても「まぁ本である必然性ってそこまでは無いよな」と思っている。たまたま自分の性に合っているのと事の成り行きが本にかかわる方向に向いていたから、その流れに乗っかったまでの話だ。それ以外にもっと自分にドンピシャで魅力的なものがあったとしたら、あっさりとそっちに行ってしまう気がする。幸か不幸か、今のところそうなる気配はない。
そんなこと言ってじゃああなたは自分の活動をいい加減にやってるのか、と言われたら、あっはっはじゃあとりあえずやってごらんなさいよお前さん、と返そうと思う。我ながら「週5のフルタイムで働いといて残り2日プラスアルファを自分の活動に充てる生活」を続けているの、大したもんだと思っている。まだまだやれる余地はあるしやりたいことin my headもモリモリあるけれど、あんま無理してパンクしたら何もかもが立ち行かなくなるし、そこは落ち着いてやっていきたい。
まあ身銭は切ってるけれど生活に支障が生じない程度ではあるし、そこが甘いんじゃと言われたら特に返す言葉はない(そして返す必要もない)。
じゃあ何が夢なのですか、と問われたら、なんて返すのだろう自分は。
ものすごく漠としたものならひとつある。
死ぬときに「悪くなかった」と思う事。である。
某呪い漫画を読んでる人からしたら「なんて縁起でもねぇことを」と言われそうだが、実際ああいうきっぱりとした気持ちで逝きたいもんだと思う。それはおそらく、肉親の今わの際とその有り様を目撃しているからであって、言っちゃあなんだが、ああは終わりたくない、と思ったのは大きい。
今後やっていきたいことは、そこから逆算してってああしたいこうしたいとその時々の状況によって様変わりしていくのだろうと思う。だから今こうしたいと思ってるとあることも、現状困難になったりもしくはもっと良い案が浮かんだりしたときは、あっさりと方針を変えることになるだろう。それは道中に過ぎないから。