人生の秋。
Naoyaです。
また少しだけ早くなった気がする日没時刻。涼しくなってきた朝夕。昼間はまだ暑く、夏特有の積乱雲のような雲が空に盛られていますが、ふと吹いてきた微風にも、どこか柔らかさを感じるようになりました。
今日は二十四節気の13番目、立秋です。二十四節気は後半へと突入。まだまだ暑くて、秋なんて呼べる気候じゃありませんが、暦の上では秋となりました。
人生のサイクルを80年として数えるならば、人生の秋に当たるのが50代60代なんだろうと思います。五十路をちょっと過ぎた自分は今、人生の秋が始まったばかりです。
竹内まりやが「人生の扉」という歌の中で、五十路という言葉をさらっと歌詞に使っています。初めて聴いたときに空耳かと思いました。五十路という言葉をポップスのメロディに乗せて成立させたことや、エイジレスな世界観を歌う印象のあった彼女が、かなりリアルで生っぽいことを歌う歌手なんだということに軽く衝撃を受けました。加齢に対する前向きさを感じさせる曲。かつてジェーン・バーキンとインタビューで会ったことがあります。ルックスや佇まい、纏う空気感、そしてトークを含めて、彼女の歳の重ね方がとても魅力的でした。日本では歳を重ねることに対して後ろ向きで、ネガティヴなこととして捉えがちですが、人として円熟することの素晴らしさに触れることができたように思えます。
人生の秋を迎えた自分は今、とても幸せで充実感があります。通り過ぎてきた人生の春や夏を振り返ると、本当に落ち着きがなく未熟で不器用で、日々の充実感を味わうことができてなかったと言ってもいいくらいです。偏向的で断定的。視野が狭くて頑な。外に対して幅広い視点があるわけでもなく、自分に焦点が合っているわけでもないような生き方でした。人生の楽しみ方がわからなかったと言ってもいいでしょう。歳を重ねてきて人生の秋が始まった今、やっと丁寧で落ち着いて、自分らしく生きられるようになってきたと思っています。まぁ、若気の至りという言葉で片づけることもできるのでしょうが。
若くして才能が一気に開花する人は賑やかな人生の春や夏を過ごし、歳を重ねてから花が徐々に開いていく人は充実した人生の秋や冬が待っています。どっちがいいとか悪いとかではなく、人それぞれの花開くベストなタイミングがあると思います。自分は若い頃から前者ではないことは自覚していました。だからこそ、人生の秋の到来を嬉しく思いました。
暦の季節も人生の季節も同じです。春や夏の騒がしさが過ぎ去りつつ、トーンダウンしながら秋へと移り変わっていくときは、早い季節で得たことが、ちょっとずつ馴染みながら熟していく時期に思えます。そして、もっと本質的な部分へと繊細に意識が向くようになっていきます。
オリンピックはもうすぐ閉幕し、パラリンピックへと続いていきますが、静かな日常を取り戻しながら、深みのある季節へと移ろっていきます。