仏王処刑13-グージュの「女権宣言」
2021.08.04 11:24
1791年オランプ・ド・グージュが、「女権宣言」を発表した。実はフランス人権宣言の「人権」とは、有産者のことで、無産者や女性は含まれておらず、もちろん選挙権もない。女性に関しては、実は啓蒙主義者もあまり評価していない。自分達が、サロンの貴婦人に保護されていたのに厚顔無恥も甚だしい。
モンテスキューは、フランスの状況を見て「君主制では女性が宮廷を奢侈で支配する」と言っている。家庭教育を重視するルソーは、女性は家で、家事や子供を育てるのが仕事として、外のこととは隔離した。革命でも大きな役割を果たした女性だが、革命政権の女性観は保守的だった。
グージュは平民の生まれだが上昇志向で、パリに出てその美貌で、金持ち商人の愛人となり、上流サロンにも顔を出し、教養を磨く。そして文筆活動に転向して、字が書けない彼女は口述筆記で、戯曲などを書く。革命が起こってからは、オランダに刺激を受けて、女性人権活動を展開した。
グージュは、穏健なジロンド派を支持して、ロベスピエールを批判したが、彼女の女権運動は、革命家からも批判を受けるのだ。そして、国王ルイ16世の弁護を申し出たため、王党派と思われる。結局彼女は翌93年にギロチンの露と消える。女性活動家も結構処刑されているが、女性への偏見と無縁ではない。