謙遜と自己卑下
どうもどうも
ザ・ライフコーチャー・えるびすこと
みうらまさるです。
なして人は
(あ、「なして」は北海道弁でどうして?の意味です)
他人からのダメだしや
自分に対する
ネガティブなことは
受け入れるのに
褒められたり
自分のことを認めることが
素直に出来ないんでしょうね?
まず一つは
「慣れ」ですよね。
幼い頃から
「おまえはダメなヤツだ」
とか言われていると
刷り込みと同じですから
それが当たり前になってる。
そういうことを言う人も
言われ慣れしてて
褒められたこともほとんどないから
褒め方を知らなかったりします。
ダメを指摘することが
人のためになると
思い込んでるフシがあります。
そんな人達ばかりといると
けなされることの方が自然で
褒められると逆に
何か企んでいるような氣さえ
してきます(笑)
あと
人の意見には
耳をちゃんと傾けるという
ことを教えられたこと。
本来は自分に有用なことだけに
耳を傾ければ良いのですが
「いいから俺のいうことを聞け!」
のような人間が周りにいると
言いなりになる方が楽になって
いたりします。
あとは「謙遜」という文化。
でもね。
”謙遜とは
自分の能力・価値などを低く評価すること。控えめに振る舞うこと。 「 -した言い方」 〔類義の語に「卑下」があるが、「卑下」は自分自身を低くし卑しめる意を表す。それに対して「謙遜」は自分の能力や功績などをおごらず、控えめに振る舞う意を表す〕”
大辞林 第三版
つまりはですよ
自分の能力をちゃんと認めた上で
他人の前では控えめに振る舞っているってことですから
自分についてちゃんと
自信を持っていなければ
「謙遜」て成り立たないんですよ。
自信がないのに
自分を認めていないのに
「いやいや自分なんて」というのは
ただの「自己卑下」です。
言えば言うほど
自信の無さを強化してしまいます。
もともと僕らは素晴らしいのに
ワザと忘れて生きてます。
最初っから素晴らしいと思っているよりも
散々悩んだあげくに
「そっか俺って、私って素晴らしいんだ!!」
って氣づいた方が
喜びも一入だからです。
でもそんな設定
そろそろ外しませんか?
そんなまどろっこしいこと
終わりにしませんか?
最高な自分は素晴らしい!
最低な自分も素晴らしい!
最高も最低もただの両極です。
上下ひっくり返れば同じです。
あなたであることには変わらない。
もっと自分を認めていきましょう。
あなたなら
きっと大丈夫(^^)
ではでは。