住職5分間法話(R3年 8月5日更新) 「布施」②
布施について前回、「私が」「誰に」「何をあげた」という心を完全に記憶の中から消すという「清浄の心」で布施をすることが非常に大切であると述べました。今回は「三種の布施」について述べます。
布施には①法施 ②財施 ③無畏施(むいせ)という三種類の布施があります。
①法施―は、お坊さんがお釈迦様や親鸞聖人の教えを世間の人たちに説いて、悟りの道へと導くいわゆる「仏法の施し」です。
②財施―は、僧侶に限らず、広くは世間の人たちや接する人に、私が持っている金銭や形あるものを恵んでさしあげるという行為です。この場合で大切なことは、自分が不必要なものだからあげるのではなく、相手の人から喜ばれると思われるものを差しあげるということです。お金であっても、魚や野菜であっても、何か品物など形あるものを差しあげる行為です。
③無畏施―「畏」は音読で「い」、訓読では「おそれ」と読みます。「怖れ」という意味の語です。「無」が付きますから、無畏施は接する人に恐れを感じさせない、抱かせないという行為や心の施しをすることです。言葉や表情、しぐさでもって、相手の人の心の不安を取り除いたり、安心感を持っていただけるような接し方ができれば、それは尊い無畏施になります。悲しいことがあって傷ついたり落ち込んでいる人がいたら、慰めたりいたわったりしてさしあげる。それは言葉であっても、そっと手を握ったり、肩をさすってあげるという行為でもよいのです。その人の悲しみや嘆きを共有することができれば、接する人のこころは和み、立ち直るきっかけになるのです。無畏施は財施のように物質としての形はありません。
スポーツ観戦であっても、演劇やコンサートの拍手や手を振るような行為や笑顔を向ける動作であっても、その行為は相手の人の心を癒し鼓舞することができるのです。
無畏施は、施しをする側からすれば、何一つ失う心配や畏れのない行為です。笑顔で接したから、あるいは励ましの行為をしたからといって、笑顔の心が減るわけもなく、何一つとして失うものはありません。それどころか、相手の方からは喜びの心や感謝の言葉が返ってきますから、無畏施の行為は、施しをした私が同時に施されることに繋がるのです。
(次回は9月1日に更新します。)