猫には嫌なところがまったくない
私はこの16年、2匹の猫と暮らしていた。暮らしていた、と過去形なのは、去年夏の終わりにそのうちの1匹が16歳で死んだから。SNSでは露骨に触れなかったけど、こんなに自分って感情的だったんだってびっくりするほど泣いたし、自分ってこんなグズグズした性格だったっけって思うほどいつまでもいつまでも引きずっていて(私は自分をわりとドライな性格だと思っていた)、猫が死んだ事で出会ったことのない新しい自分を受け入れなければならなかった。
私は基本的に自宅へあまり人を招き入れる事がないから、その死んだ猫のかわいさや、優美なしぐさ、少し変わった鳴き声(というかダミ声)、ゴールド色の瞳、ふわふわした毛(ブラッシングしてもキリがない)の感触、その毛を新しく買った高い服を狙ってなすりつける事とか(やめてほしいw)、お腹の上に乗った重さ(首を踏み踏みするからすごく痛いw)、水道から直接水を飲むのが好きな事や肉球の間の毛がすぐ伸びる(だから床でよくツルッと滑ってて、笑った)事など、その子のそういう事を知っている存在は、この世界中で、私だけだ。
それは、その猫が死んだ悲しさを背負うのは、世界中で私だけだということを意味する。独り占めでかわいがってきた分、死んだときの悲しさは誰ともシェアできなくて辛かった。誰とも共有できない感情は、鏡にこびりついた水垢のようで、ただただ視界を曇らせて、誰の慰めの言葉も耳に入らなくて、ましてやこんな時、音楽なんてひとつも助けてくれやしない。私は悲しみ方が下手だった。
そんな折、表題の本を読んで、「あ〜〜〜分かる分かる」と膝をポンポン叩きすぎてアザが出来るんちゃうかって勢いで、会ったことも話したこともないこの本の作者さんの文章に、驚くほど気持ちが癒されたわけです。なので、ペットロスっぽい気持ちで落ち込んでいる方には特に読んでほしくて、そうじゃない人は愛猫が更に好きになってたまらなくなってほしいと思う。今生き残ってるもう1匹も16歳なので超高齢猫なんだけど、このおじいさん猫の残り少ない人生(猫生?)、精一杯甘やかす事に決めている。って、2匹ともずーーっと甘やかしてるわけだが。
不思議なもので、どんな辛い感情も、心が受け入れやすいよう形を変えて、そのうちに胸の引き出しの一つにそっと閉じ込める事が出来る。感情をねんどのようにゆっくりゆっくり捏ねて、心の中の空いたスペースを探して、それと同じ形に成型して、すっぽりはめ込むようなイメージ。それはどうやってやるのって聞かれたら、やっぱり時が過ぎるのに身を任せるほかないんだよねえ。でも、うまく出来てるもんだ。
死んだ猫(ネネさんという名前でした)の事をブログに書くのはどうかと思ったんだけど(笑)、もう私も元気だし、ぽぽさん(もう1匹の子)もジジイながらわりと元気なので、ご心配なく。
最後に、ネネさんのために5年前に作った「猫のブラッシングきりがないの歌」を貼って、〆たいと思います(笑)。この曲なんかどっかで使えないかなぁ?!CMソングとかどうよ??????w