美味しく食べて、たくさん褒めて
ロックウェル伯爵家が雇うベテラン料理長からその料理技術を教えられたルイスは、生来持つその覚えの良さからメキメキと腕を上げていった。
始めは調味料の種類すらよく知らなかったというのに、今では各種スパイスを駆使して食にうるさい伯爵をも納得させるほどの腕前である。
実際にルイスがロックウェル伯爵に料理を披露することはほとんどないけれど、試しに一品作ってみるよう提案されて作った前菜が思いのほか評判が良かったのだ。
ルイスが作ったとは知らせず、けれど後から料理長に「伯爵が美味しいと評価していた」と教えられたときに嬉しくは思わなかった。
だが同じものをアルバートとウィリアムに出したところ、「美味しいね」と褒められてこの上なくルイスの気持ちは高揚したものである。
そんなルイスは今日、初めて夕食全ての調理を任されることになった。
勿論アルバートとウィリアムの夕食のみであるが、その方がルイスにしてみれば都合が良い。
二人の好物を美味しく作ってみせるのだと、ルイスは数日前から意気込んでいた。
「さぁアルバート兄様、ウィリアム兄さん!どうぞお召し上がりください!」
三日前から兄達にメニューのリクエストを求め、前日の食材選びにも付いて行き、当日朝から張り切って下拵えをしては兄達の夕食作りに気合を入れていたモリアーティ家の末っ子。
完成した夕食はアルバートリクエストのシェパーズパイとウィリアムリクエストのスコッチエッグ、新鮮なトマトと各種野菜を使ったビーンズのスープ、付け合わせにはサーモンのレモンソテーとチップスを用意した。
デザートには以前二人が気に入ってくれたトライフルを選び、ベリーとカスタードクリームはルイスの愛情の分だけ増量しておいた。
まだ幼い年頃に分類されるだろう末弟が作り上げた、食欲を唆る見事な出来栄えの晩餐に思わず二人の兄は感嘆の息を吐く。
ほう、と期待に満ちたその顔を見たルイスは張り切って作った甲斐があったと、未だ椅子の前で料理を見つめているその背を押して着席するよう促した。
「さぁお二人とも、冷めてしまわないうちにお召し上がりください。アルバート兄様リクエストのシェパーズパイは新鮮な羊肉を余計な臭みが出ないよう処理し、口当たり滑らかなマッシュポテトとの相性が良いよう火加減を工夫しました。ウィリアム兄さんリクエストのスコッチエッグはきちんと味を付けたのでそのままでも美味しく食べられますが、僕特製のデミグラスソースを掛けていただくと味わいが変わって一層美味しく召し上がっていただけます」
「凄いじゃないか、ルイス」
「とても美味しそうだね」
「頑張りました!」
誇らしげに胸を張って解説するルイスを見上げ、アルバートとウィリアムは懸命に作ったであろう末弟を労うべく微笑みかける。
いずれ自分がモリアーティ家の食事を担当するのだと必死に料理について学んでいたルイスが、こうしてその努力が身を結んで夕食を任されるほどに成長したのだ。
しかも、初めて一人で作るメニューは兄さんと兄様の好物が良いと、そう張り切る姿を見てきたのだから兄としては堪らなく愛おしい。
頑張ったから褒めて、褒めて、というように得意げな顔をするルイスがあまりにも可愛らしかった。
「さぁ、早く食べてください!自信作です!」
「ふふ、そう急かさないで、ルイス」
「ではいただこうか」
もう少しその得意げで誇らしげな表情を見ていたかったけれど、ルイスが早く食べてほしいと急かすものだから、名残惜しい気持ちでウィリアムとアルバートはカトラリーを手に取った。
さてどれから手を付けようかと一瞬だけ思案したが、ここは自分がリクエストしたものから食べるのが良いだろう。
実際ルイスはワクワクしながら兄達の手元を見つめている。
そうしてウィリアムはスコッチエッグ、アルバートはシェパーズパイを切り分けてはゆっくりと口に運んでいく。
席にも着かず二人のそばで佇み、その様子を見届けるルイスは僅かに緊張したようにごくりと喉を動かした。
「…凄い。美味しいね、ルイス。とても味わい深くて食べやすいよ」
「あぁ、確かに凄いな。このパイも上手く臭みの処理がされていて、ポテトとの相性も良い。調和が取れていて食べ応えがある」
「…ありがとうございます!頑張って作りました!」
ウィリアムとアルバートは素直な感想を言えば、ルイスは飛び上がらんばかりに両手を叩いて小さな体全身で嬉しさを表現して喜んでいた。
兄さんと兄様のために頑張ったんです、美味しいと言ってもらえて凄く嬉しいです、たくさん食べてくださいね、おかわりもありますよ、とはしゃぐように言うルイスからは普段見せているような大人しく物憂げな雰囲気が感じられない。
それほどに嬉しいのだろうと、そう考えるだけでウィリアムとアルバートの心は癒されるようだった。
可愛い弟がこんなにもはしゃぐ姿は久しぶりに見たし、その理由が自分達にあるというのは兄冥利に尽きる。
ジャックが気を利かせて三人きりの晩餐にしてくれたのも感謝すべきだろう。
いつまでも二人のそばから離れないルイスに果てしない愛おしさを感じながら、ウィリアムはルイスを席に着かせるべく促していく。
せっかくの美味しい料理、三人で食べなければ勿体ないという話だ。
「僕、もうお腹いっぱいです。兄さん、兄様、僕の分も召し上がりますか?こっちも美味しく出来ましたよ」
「こら、駄目だよルイス。ちゃんと食べないと」
「こんなに美味しいものを独り占めは出来ないな。ルイスもきちんと味わいなさい」
「はぁい」
ニコニコと嬉しそうにカトラリーを取るルイスの手元はどこかふわふわしていて、しっかり見張っていないとろくに食べることなく食事を終えてしまいそうだ。
今のルイスはウィリアムとアルバートに喜んでもらえたことでもう十分過ぎるほどに満足なのだろう。
「ありがとう、ルイス。こんなに美味しい食事を作れるなんて、ルイスは偉いね」
「さすがルイスだ。また楽しみにしているよ」
「はい!」
だいすきな兄に褒めてもらえて、ルイスは今まで頑張ってきた努力が報われた心地で幸せいっぱいだ。
ウィリアムとアルバートに喜んでほしくて、何より褒めてほしくて、ルイスは精一杯頑張ってきた。
過去たくさんの味見をお願いしてはアドバイスをもらい、二人の好みを把握してきた甲斐があったというものである。
きっと二人なら自分の努力を認めてくれるだろうと信じていた。
無意識に兄への甘えが見て取れるその精神にルイスは気付かないだろうが、ウィリアムとアルバートにはおよそ知れている。
頑張れば頑張った分だけの評価をするのは当然で、弟の頑張りを褒めるのは兄としての責務だ。
最も、ウィリアムもアルバートも義務感からルイスを褒めたのではなく、本心からの感情がそう行動を起こさせたのは明白だ。
何にせよルイスは望んでいた通りの結果を貰えることが出来て大満足である。
我ながら美味しく出来たと、ルイスはパイを頬張りながら隣にいるウィリアムとアルバートを見て笑っていた。
そんな過去があって以来、ルイスは一つ学んだことがある。
二人の好物を作ればウィリアムとアルバートは無条件にルイスを褒めてくれるのだと、そう学んだのである。
決して普段のウィリアムとアルバートがルイスを褒めないというわけではない。
いつだって二人はルイスの頑張りを的確に評価しており、ルイスはそんな二人の期待に応えることに対し生きがいを感じているのだ。
だが計画の作戦実行を除けば代わり映えしない日常を送る中、ルイスが二人に尽くすのはもはや極々当たり前のことになっていた。
ルイスは当然のように屋敷を綺麗に保ち、ウィリアム好みの紅茶を淹れ、アルバート好みのワインを用意する。
当たり前のことにもルイスへの労いの言葉を忘れない兄には頭が下がるばかりだ。
けれどルイスにしてみれば本当に息をするように自然なことで、二人のために尽くしている実感が足りないという気持ちもあった。
もっとウィリアムとアルバートのために行動しているのだという実感がほしい。
そうしてその頑張りを二人に認めてもらいたい。
三人きりの生活を送るにつれ、ルイスはそんな自分の願望に気が付いたのだ。
「アルバート兄様、ウィリアム兄さん。今晩は早く帰ってきてくださいね」
「うん?何かあるのかい?」
「良いワインと魚が手に入ったので、今日はお二人の好物を作って待っています。温かいうちに召し上がっていただきたいので、早く帰ってきていただきたいのです」
「そうか、それは楽しみだね。なるべく早く帰るとしよう」
「お願いします」
最愛の兄二人と暮らす毎日はルイスにとって至福の日々だ。
二人のために生きているという事実が他の何よりルイスの気持ちを温かくしてくれる。
その上で、ルイスはもっと二人に喜んでほしくて、もっと二人に褒めてもらいたいのだ。
過去の経験から二人の好物を用意すれば、ウィリアムもアルバートも自分のことをたくさん褒めてくれるとルイスは知っている。
喜んでほしい気持ちは当然あるのだが、どちらかといえば、なんとなく褒めてもらいたいと感じたときにこの手段を使うことが多かった。
「~♪」
ルイスは機嫌良く鼻歌を歌いながらオーブンの中身を確認する。
今日のメニューはウィリアムが好いているフィッシュパイと赤ワインに合う肉料理としてローストビーフをチョイスした。
好物を美味しく食べればきっと二人は喜んでくれるし、きっとルイスのことを褒めてくれるはずだ。
ここ数日あまり三人で過ごすことも出来ず、妙に精神的な疲労が溜まっていた。
子どものように構ってほしいわけではなかったけれど、癒しがほしい気持ちはあったのだ。
ルイスにとっての癒しはウィリアムとアルバートとともにいることで、出来ればしっかり自分のことを見てくれる時間がほしかった。
「うん、良い焼き上がりですね」
パイには香ばしく焼き目が付き、ローストビーフも中央は色鮮やかなまま食欲を唆る仕上がりだ。
乾いた喉を潤すのはアルバートのためにルイス直々に選んだ上質な赤ワインである。
渋みを抑えて葡萄の香りを楽しめるようワインセラーで適温まで冷やしておいた。
もう長く厨房を預かっているのだから料理の味には十分な自信がある。
ルイスはそろそろ帰宅してくるだろうと壁に掛けられた時計を見やり、同時に玄関先にあるベルが鳴ると同時に足を動かした。
「お帰りなさい。お二人とも、一緒だったんですね」
「あぁ、たまたま帰宅中のウィリアムを見かけて馬車に呼んだんだ。ただいま、ルイス」
「ただいま。いい匂いがするね、夕食が楽しみだ」
「作りたてのフィッシュパイとローストビーフを用意しています。…ですが、お二人の手元からも良い香りがしていますね」
「ふふ」
「綺麗だろう?」
ルイスが開きかけた扉に手を掛けて兄を出迎えれば、予想外に二人揃って帰ってきてくれた。
けれど良いタイミングかつ嬉しい限りだと思わず表情を緩めていると、不意に甘い花の香りが漂ってくる。
見上げるように彼らの顔しか見ていなかったが、ふと視線を落とせばどちらの手元にも美しい花束が抱えられていたことに気付く。
ウィリアムの手にもアルバートの手にも、種類は違えど紫色の花をメインにかすみ草で飾られた綺麗な花束があった。
「とても綺麗です。でもお二人が花を用意されるなんて珍しいですね…贈り物の予定はなかったはずですが、僕の記憶違いでしょうか?」
ウィリアムもアルバートも花を買うことなど滅多にない。
いや、おそらくは今回が初めてのことだろう。
二人含めルイスも花にはあまり詳しくはないし、せいぜいが薔薇やカーネション程度の知識しかないくらいだ。
屋敷に存在する立派な薔薇園は定期的に専門業者に手入れを依頼しており、交流を保つ意味で他家へ贈るくらいしかモリアーティ家は花に縁がない。
もしや自分の不手際で二人に手間をかけさせたのだろうかと、ルイスは表情に緊張を走らせてウィリアムとアルバートの顔を見る。
「いいや、これは僕が個人的に用意しようと思ったものだから、ルイスが知らなくても無理はないよ」
「ウィリアムとは偶然花屋で一緒になってね。目的が同じだと分かったから、それぞれで花束を用意することにしたんだ」
「はぁ…」
楽しげなウィリアムとアルバートを前に、ルイスはいまいちその意図を把握しきれないまま声を出す。
たまに園から摘み取った薔薇をそれぞれの部屋に飾ることはあるが、改めて花を用意するほど二人は花が好きだっただろうか。
何の種類かも分からない、けれどとても美しく甘い香りのする花束を前にルイスは一人首を傾げていた。
「はい、ルイス。いつもありがとう」
「ルイスがいるからこそ、私もウィリアムも日々を頑張ることが出来る。感謝しているよ」
そうして二人は首を傾げているルイスに向けて、手にしていた紫色の花束を差し出した。
小ぶりのそれは片手で持てる程度の大きさで、けれども大輪の花たるその存在感はしっかりとある。
ルイスはウィリアムとアルバートに逆らうことを知らないため、左右から渡されたそれを何の疑問もなくすぐに受け取った。
その後で伝えられた言葉を反芻し、意味を理解すると同時に赤い瞳に負けないほどその頬を色鮮やかに染めていく。
「え、あの…!」
「いつも僕達のために頑張っているルイスにプレゼントをしようと思ってね。驚いてくれたかな?」
「そ、それはもう!」
「ここしばらく落ち着いて過ごせなかっただろう?今夜はゆっくりと兄弟水いらずの時間を過ごそうか」
「は、はい…!」
歓喜でその表情を変えるルイスの髪をアルバートが撫で、ウィリアムはその頬を撫でていく。
いつだって自分に尽くしてくれる末っ子のことを、二人が気にしていないはずもないのだ。
自分のために頑張る健気な姿は見慣れているけれど、本当はもっと自由に生きてほしいと思う。
ルイスが尽くすことを好んでいると知っているから彼の納得のいくまま過ごさせているだけで、本当ならば対等でいたい気持ちもあった。
それが叶わないのならせめて日々の労いと感謝は惜しむことなく伝えていたが、それだけでは到底足りないほどウィリアムとアルバートはルイスのことを大切に思っている。
彼が望むことは何だって叶えてあげたいし、少しのわだかまりもなく晴れやかな気持ちのまま日々を送ってほしいのだ。
ウィリアムとアルバートは花に夢中なルイスの肩を抱き、そのまま香ばしい香りが漂う食堂へと向かっていく。
「わぁ、これは凄いね。とても美味しそうだ」
「用意するのは大変だっただろう?ありがとう、ルイス」
「いえ、お二人のためと思えば作るのはとても楽しかったです」
二つの花束を抱いたままルイスが顔を上げれば、何度見ても新鮮に可愛い表情が視界に入る。
幼い頃のように「褒めて」という気持ちを全面に押し出した無邪気な表情。
今夜はそれが見られると、ウィリアムもアルバートも既に知っていた。
「さぁお二人とも、席に着いてください。僕は花瓶を用意してくるので、冷めないうちにお召し上がりください」
「ルイスが帰ってくるまで待っているよ」
「だから早く戻っておいで」
「分かりました!」
ウィリアムとアルバートに褒められて満足げなルイスは花束を抱いたまま、急いで食堂を出て行った。
足音のしない後ろ姿を見送り、二人の兄はそっと顔を見合わせては穏やかに微笑む。
「ルイス、喜んでくれましたね」
「あぁ。あの様子では花言葉までは頭が回らないだろうな」
「そうですね。…それにしても、褒めてほしいならいつももっとアピールしてくれて良いのに」
「ふ…奥ゆかしいところもルイスの魅力だからな」
ルイスが兄に褒めてほしいと思ったとき。
決まってウィリアムとアルバートの好物を用意して子どものようなウズウズした表情をすることに、二人の兄は気付いていた。
気付かないはずもないくらいにルイスが期待に満ちた瞳で見ているのだから無理もないのだ。
ウィリアムとアルバートの好物を用意すると言っていた朝のあの時間から、夕食が食欲を唆るメニューになることは明白だった。
その上で褒めるだけでなくプレゼントの一つでもしてルイスを喜ばせようと考えたのが、ウィリアムとアルバートのどちらもだったのは少しばかり驚いたけれど。
隠すのが上手なくせに妙なところで分かりやすい弟の顔を思い浮かべ、ウィリアムは愛おしげに口元を緩ませる。
二人のために一生懸命頑張った分だけたくさん褒めてほしいと、そう願う無垢な心がルイスらしくてとても良いと思う。
随分と大人びて綺麗になったのに、その中身は出会った頃の幼い子どものまま止まっていると思うほどに純粋だ。
可愛いものだと、アルバートはルイスの兄として優越感を覚えながら帰ってきた彼を見て優しく微笑む。
この後も求められる以上にたっぷりと褒めて、ルイスの気持ちを満たしてあげなければならないのだからやり甲斐があるというものだ。
ウィリアムとアルバートは揃って兄としての感情を震わせながら愛しい末っ子を見つめていた。
(花瓶を取ってきました!テーブルの中央に飾らせていただきますね!)
(おかえり、ルイス)
(華やかな食卓も良いけど、部屋に飾ってきても良かったのに)
(勿論食事を終えたら寝室に飾らせてもらいます。今日だけは長く楽しみたいので、花を見ながらの夕食にしましょう)
(それほど喜んでもらえたのなら私達も嬉しい限りだ。さぁ、食事にしようか)
(ルイス、いただきます)
(どうぞ、お口に合いますように)