8月10日(火)晴れ
こんにちは。麻雀ぐーぐです。
何ですか37℃って。こんなん死ぬでしょ。東京は38℃、埼玉は40℃ですって。
とりあえず死ぬ前にぐーぐで麻雀打ちますか。
さて、暑くてブログどころではないのでストックしていた記事を放出しましょう。例のリーチの人ヒストリーの続きです。
また長いので、暇でどうしようもないときに涼しい場所でのんびり読んで下さい。
だいぶシリーズが長くなってきたのでいい加減リンクとか貼ってまとめたいところではあるんですが、やり方よくわかんないし何より面倒なのでやりません。
気になった方はすみませんが頑張って過去記事から辿って来てください。
とりあえず例によって前回までのあらすじを載せてから書いていきます。
「派遣社員としてIT企業へ勤め始めたリーチの人。だが、自分の居場所はここではないと悟る。そんな折、ひょんなことから株式投資に興味を持ち、任天堂の株をサラ金からの借金で買おうとするが失敗に終わるのであった。」
・・・では続きをどうぞ。
任天堂の株価はほとんど調整することなく上がり続けた。
勝負事にタラレバは禁物だと理解しつつも、もしあのとき買えていれば・・・、300万が最低でも2倍、上手くいけば3倍以上になっていたと思う。
しかし、終わったことは仕方がない。
あのときの僕は、すぐに切り替えて次の銘柄を探した。
ただ、そう簡単に株価が上がり続ける銘柄などあるわけもない。僕はもう一度じっくりチャンスを伺うべきだった。
いい銘柄が見つからないのであれば、借金をしてまで株式取引をする必要性など全くなかったはずだ。
だが、僕はビッグチャンスを逃してしまったことで強い焦燥感を感じていた。
早く自分の居場所を見つけなければならないという気持ちも背中を押す要因になったのだろう。
当たり続けた株価予想。
手元には株取引口座のログイン情報と、サラ金会社から送られてきた数枚のカード。
もしかしたら株式市場こそが僕の求めていた場所なのではないか。
若かった僕が、吸い込まれるようにしてその考えに至るのも無理のないことだった。
2007年11月、24歳の僕は初めての株取引を行い、トレーダーとしての第一歩を踏み出した。
元手は120万。無論、全てサラ金からの借入金である。
ここでは簡単な説明に留めるが、以来、2年間に及ぶ壮絶な戦いが繰り広げられた。
元手が少なく、何より利息の掛かるサラ金からの借金。のんびりとした投資はやっていられない。当時流行っていたデイトレードをメインに相場に挑んだ。
初月こそ50万円以上のプラスを叩き出し、完全に自分の居場所を見つけた気になるも、相場はそう甘くはない。
翌月、すぐにそれに近い額のマイナスも経験し、徐々に相場の世界に揉まれていった。
2008年10月、サブプライムローン問題に端を発した世界同時株安(リーマンショック)も経験。
その前日に信用取引を使い全力買いという暴挙に出ていた僕だったが、これをなんとか乗り切る。
しかし、そこでついに悪運も尽きたか、じわじわと負けが込み始め、翌年、損失額が50万円を超えたところでギブアップ。1度株の世界から身を引くことを決めた・・・。
「借金だけはしてはならない」
いつ誰に言われたかは全く記憶にない。なぜか僕の心の中に長く鉄の掟として存在していた言葉だった。
が、株取引の為に、その掟をいとも簡単に破ってしまったあの日から僕の人生は狂い始めた。
初めての株取引から2年後、残ったのは50万円以上の借金と、相場でもがき苦しんだという経験だけだった。
だが、あの歴史的相場で得たものは大きい。
数年後、再び相場の世界に戻ることになる僕の貴重な財産となったのは間違いない。
ただ当時の僕は、経験というその後の財産と引き換えに、まともな金銭感覚というものを失った。
初めのうちは恐る恐るサラ金のカードを使っていた僕も、慣れてくるとあたかも自分の銀行口座のカードを使うかのように、平気でお金をおろすようになっていた。
もはや借りるという感覚はない。
僕の持っていたあのサラ金のカード達の本当に恐いところは、このカードからおろすお金は自分のお金なんじゃないかと、徐々に錯覚するようになってくるところだ。
何を言っているんだとお思いになるだろう。だが、これは僕が身を持って経験した紛れもない事実である。
数回取引を行い、返済期限をきちんと守り信用を得ると、サラ金会社は必ず借入限度額を上げてくれる。
なぜか自分が認められたような気がして嬉しくなった。僕はこれをレベルアップと勝手に呼び喜んだ。
当初120万円しか借りられなかった僕のカード達はレベルアップを重ね、300万円の借入限度額にまで急激に成長した。
そうなると50万円の借金など大したことないと思えてくるから不思議だ。
まだ250万円も余裕がある。そう思うようになっていく。
2年に及ぶ戦いを一旦終え、気が抜けた部分もあったのかもしれない。
当初、50万円をまず返済し、一旦身を軽くしてからもう一度株式相場に挑もうと思っていた僕だったが、返済は全く捗らなかった。
それどころか借金は増えていった。
ちょっとコンビニのATMにカードを入れればいくらでも簡単にお金がおろせてしまう。
魔法のカードを手にした僕は、その魔力に取り憑かれてしまった。
・・・ふと気付いたときには借金は100万円を超えていた。
何に使ったかは全く記憶にない。恐らく競馬かなにかのギャンブルだろう。
だが、ここまで来てもまだ事の重大さに気付かない。
借り入れできる金額にはまだ200万円の余裕があるし、全然大丈夫。
まあいざとなったらカジノかどこかで一発勝負して勝てばいいだけだ。
僕は本当にそう考えていた。
そして実際、一発勝負に挑んだ。
嘘のような本当の話。
当然、結果はお察しの通り。
僕は100万円を持って韓国のカジノに勝負をしに行き、完全なる敗北を喫した。
ただの一度もプラス圏に浮上することなく、あっという間に100万円を溶かしたのだった。
これにより僕の負債総額は200万円を超えた。闇金程ではないにしろ十分に暴利のサラ金からの借金である。年利率は18%。
落ち着いて計算してみる。200万の18%ということは、1年間に36万円、月に3万円、利息だけでその金額をサラ金に持っていかれるということだ。
大事なことなのでもう一度書く。利息だけで月に3万円。
仮に月4、5万返済したとしても、完済までに一体何年掛かるだろう。
安月給の派遣社員の男には絶望的な金額だった・・・。
さて、皆様、驚く準備はいいだろうか。
僕はこのあと驚愕の行動に打って出る。
僕は、この200万円の借金をどう返せばいいかと思案した。
・・・すぐに答えを出した。当時、株よりも流行っていたFXだった。
狂気の沙汰である。自分で自分を本当にクズだと思う。
だが、このときの僕は借金という魔物に完全に支配されていた。
ここまで来てしまったら最後の最後まで勝負するしかないと本気で思っていた。
思い立ったが吉日。僕はすぐにFX業者に口座開設の申し込みをした。
初めてFXの取引をしたときに今度こそ僕の居場所はここだと思った。
僕は自分の住むべき世界をようやく見つけたんだ。
数か月後、取引にも慣れてきてそろそろ勝負を仕掛けるかという頃に、
願ってもない絶好の勝負時がやってきた。
・・・2011年3月。円がドルに対して史上最高値をつけたあの日のことを忘れることはない。。
・・・はい、では長くなってきたのでこの辺にしてまた次回に続きます。
でもだんだん飽きてきたし、FXの話とかは小難しい感じになってしまうので、どういう風に書くか、むしろ書くかどうかまだ考え中。
そろそろ真面目に麻雀の記事も書きたい。
まあまたちょっと考えます。
では、暑いですが皆様なんとか涼しい店内までたどり着いて下さい。
本日もご来店お待ちしております。