PIRKA Story2 -しんちゃお!-
PIRIKA Story1 -少年時代に抱いた夢-からの続きです。
小学校卒業から10年、僕は大学院生になっていました。
紆余曲折がありましたが、依然として環境に対する強いこだわりを持っていて、事業家としてビジネスの世界から環境問題を解決したいと考えるようになっていました。
当時僕には一つの確信がありました。
「日本は世界的に見ると十分にきれいになっていて、今後環境汚染の現場はアジアを中心とした新興国に移る。
だから人生の早い段階で新興国でのビジネス経験を積む必要がある。」
そんな考えを抱いていた僕に、不思議なチャンスが巡ってきます。
友人の誘いで参加した学生向けの講演会。
アジアビジネスを手がけるベンチャー企業の経営者が登壇していました。
名刺交換をしたご縁で後日居酒屋で飲むことになったのですが、盛り上がった雰囲気の中で唐突に聞かれます。
「じゃあ、お前ベトナム来るか?」
自分は新興国に行くんだと決めていた僕は即答しました。
「はい」
「(あきれて)いやいやいや、てかお前英語喋れるんか?」
「い、いえす!」(←当時の英語の限界)
「ふーん、じゃあベトナム語は?」
(同席していた、ベトナム帰りのインターン生に)
「ベトナム語でこんにちは、ってどういうの?」
「シンチャオだよ」
「し、しんちゃお!」
3ヶ月後、僕はベトナム、ホーチミンの地に立っていました。
月給200ドルの生活でしたが、営業ナンバー1を目指して働くベトナムでの毎日は本当に楽しいものでした。
早朝から夜遅くまで営業に走り回り、隙間時間は英語とベトナム語の勉強。休日は近所の子供達と遊んだり、旅行に出掛けたりもしました。
偶然の出会いから多くの友人に恵まれ、日本では想像もつかない経験をたくさんさせてもらい、ベトナムが第二の母国と思えるくらいに大好きになりました。
ただ、ベトナムの環境汚染は本当にひどいものでした。
真っ黒で異臭のする川、ゴミの山。
その横で子供が走り回り、道路を挟んだとなりで農業をしていました。
僕自身も汚れた空気を吸って喉を痛め、それは帰国後まで治りませんでした。
まったく同じ状況にいながら、「ひどい」と感じる自分とそうでない人々。
そこに住む彼らにとってはそれが当たり前で、問題意識すら起こらない。
どちらが正しいというわけではなく、自分もその環境で生まれ育てば間違いなくその環境を当たり前として生きていくことになる。
目の前の問題が問題でなくなる。
見えなくなる、聞こえなくなる、感じられなくなる。
そして「当たり前」が「問題」になるのはいつもどうしようもないくらいに問題が大きくなってから。
だから問題になってない問題を解決するには当たり前の基準を変えないといけない。
でも、どうすれば?
多くを学んだベトナムでの半年間でしたが、結局その問いに答えを出すことはできませんでした。
Hen gap lai Viet Nam. (またね、ベトナム)。
必ずこの地に戻って来て問題を解決する。そう心に決めて、僕は日本行きの飛行機に乗り込みました。
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