Ameba Ownd
アプリで簡単、無料ホームページ作成
2021.08.10 14:54
公園や道の片側などにたくさん咲いている。
テッポウユリか・・?
8月に百合を見ていると、
なくなったひとのことを思い出す。
母がなくなってしばらくは、
母が死んだということが信じられなかった。
それでどう思ったかというと、
「母は現在死んでいる」と、Ingで考えていた。
現在、死んだ状態で、母はいる、ということだ。
けれど数年してやっと母がもうこの世にいないのだ、と
思うようになった。
そうなると、写真立ての中の顔が古色蒼然としてきて、
幼いころに母の実家で見た、ご先祖様たちの遺影の1枚になってしまったような。
寂しいけれどしかたない。
人間はこうして、命をつないできたのだ。
母が亡くなって8年、父が亡くなって5年、
今年のお盆にこそ、墓参りに行こう、
と思っていたけれど、
コロナ禍で緊急事態宣言の出ている今、
それは無理のようだ。
私の若い友人も、お盆休みに実家に帰って
ご両親に、2年ぶりに孫の顔を見せようとしていたけれど、
それもあきらめたようだ。
おじいちゃん、おばあちゃんは、
お孫さんの顔が見られなくて
さぞがっかりされたことだろう。
子供の成長ははやい。
2年もしたら、見違えるほどに変わってしまう。
その間の成長を見られなかったことはさぞ心残りに違いない。
そこには、とりかえしのつかない失われた時間がある。
みんな我慢している。我慢が限界に達しそうになるが、
そこからさらに我慢をし続ける。
今朝の新聞で読んだ読売新聞の人生相談では、
80代の女性が、自分が入院することになって、
夫がグループホームに入り、
コロナで面会禁止になっていて久しぶりに会うと
髪はボウボウになってみすぼらしく涙が出たと、
新聞の人生案内に相談を投稿しているのを読んだ。
夫は「帰りたい」「妻のとことに行かなくては」と
毎日いっているそうだ。
それで妻は、グループホームに入れたのは間違いだったかと
自分を責め、
悲しくて苦しくて眠れないそうだ。
私も読んでいて、思わずもらい泣きしてしまった。
お二人のことが気の毒なのもあるが、
夫が「妻のもとへいかなければ」と毎日いい、
妻は、夫をグループホームに入れなければよかった、
と泣いてしまう。
二人の間に、愛の細やかさを感じて、
読んでいて切なかった。