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富士の高嶺から見渡せば

「挺対協」が在日「差別」問題にも進出?

2017.02.16 07:11

韓国の聯合ニュースは15日、「韓国の挺対協 事務方トップに在日3世の梁路子氏」という記事を配信した。そのなかに次のような記述があり、「おい、おい、またかよ」と驚かされると同時に性懲りもない反日拡大路線にあきれた。

(以下引用)

「挺対協側は今回の人事について、梁氏は在日として日本で差別に遭い、歴史による痛みを知るため、慰安婦被害者の痛みに寄り添えると説明した。挺対協の尹美香(ユン・ミヒャン)常任代表は梁氏について、『民族差別の中で、自身のアイデンティティーについて悩み、在日同胞問題と旧日本軍による性奴隷問題が同じ脈絡で解決されなければならないという認識を持つようになった』と伝えた。」(引用終わり)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170215-00000085-yonh-kr

これではまるで、慰安婦問題と在日韓国・朝鮮人の問題を「同じ文脈」で扱えと主張していることになる。

在日のほとんどは朝鮮半島から自らの意思で日本に渡り、戦後も自由意志で日本に残ることを選択した人々である。そのことは、彼らが自分の胸に手を当て、祖父母らの話を正直に思い出せば、すぐに分かる事実だ。

慰安婦の老女たちも、人買いの女衒に言葉巧みに騙された人もいるかもしれないが、そのほとんどは自らが苦界に沈むことで、あるいは自分の娘を売りにだすことで、残された貧しい家族を救うことを選択した人々だったはずだ。

在日の人々と元慰安婦に「同じ文脈」で語れることがあるとすれば、ともに貧困だったという状況かもしれないが、しかしそれは、戦前戦後の当時の日本人もおしなべて同じような貧しい状況に置かれていた。したがってそこには差別はないし、差別する意識も生じないはずだ。

記事中で「梁氏は在日として日本で差別に遭い、歴史による痛みを知るため、慰安婦被害者の痛みに寄り添える」というが、在日に向けられた「差別」と「慰安婦の痛み」がどこでどう重なるというのか?

「在日」という特殊な存在でいるかぎり、何らかの「差別」が生じるのは致し方ないことで、それはどこの国でも異邦人であるかぎり同じ状況のはずだ。また「歴史の痛み」を知るというのであれば、当時の時代状況から生まれた慰安婦という存在の痛みと同時に、当時の日本と朝鮮半島、そこに暮らした日本人と朝鮮半島の人々の置かれた歴史的な「状況」にも思いを致すべきだろう。現代の人権の「ものさし」で70年前を計っても、その時代を十分に理解することはできない。

<北朝鮮と共闘して戦時徴用労働者にも問題を拡大?>

同じく聯合ニュースは14日、「韓国二大労組、強制徴用労働者像をソウルと平壌に設置へ」と題して以下の記事を配信している。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170214-0ちょう0000047-yonh-kr

「日本による植民地時代に強制動員された、少なくとも70万人に達する朝鮮人を記憶するため、韓国労働組合の二大全国組織、韓国労働組合総連盟(韓国労総)と全国民主労働組合総連盟(民主労総)がソウルと北朝鮮・平壌への「強制徴用労働者像」設置を推進する。両組織は14日、像の建立推進委員会を発足させた。」(引用終わり)

記事によると、この推進委員会には「挺対協」の代表や野党「ともに民主党」の国会議員も共同代表に名を連ねているという。韓国労総にしても民主労総にしても、パク・クネ弾劾裁判に通じるロウソク集会を呼びかけた主催団体であり、基本的に親北・反日を主張する組織だ。彼らが北朝鮮との連帯を表明しても、今さら驚くには値しないが、それにしても、韓国も標的になっているかもしれない最新式弾道ミサイルを発射し、血を分けた兄で何も実権を持たない人物を、情け容赦もなく暗殺するような独裁者をトップに持つ国である。そんな国と連帯するなどと、よくも公言できるものだとその神経を疑う。

前回、このブログで最新の韓国映画「軍艦島」を取り上げ、日本の産業近代化の歴史を歪曲、捏造したとんでもない映画だと紹介したが、戦時徴用の朝鮮半島出身者が「少なくとも70万人に達する」というのも彼らの妄想と欺瞞の産物でしかない。

それにしても「挺対協」は、そもそもその組織名にある「挺身隊」という本来の対象では、反日の目的を達成できなかったものだから、「慰安婦少女=性奴隷」という欺瞞の存在を捏造したうえ、今度は「強制徴用」だという労働者をでっち上げて歴史を捏造し、さらにはありもしない在日「差別」問題にも運動の標的を拡大しようとしている。

歴史の真実に根ざした反日運動ならどうぞ思う存分やってくださいと言いたいが、妄想だけの「被害者意識」を勝手に拡大し、それを反日活動の拡大に結び付けようという戦術はもういいかげんにしてほしい。自らを「被害者」という立場にそこまで貶めることによって、何か良いことでも生まれるのか、何か価値を創造することができるのか。民族の将来や子供たちの民族意識に照らしても、永遠に救われない、蔑まれた存在として意識され、デメリットのほうが多いと思うのだがどうだろう?