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日本語教師こんぶの会

こんぶの会はいかにしてこんぶの会となったのか?

2021.08.13 14:30

皆さま、ご訪問いただきありがとうございます。

メンバー3人が1週間以内にそれぞれブログ更新でき、

「私たち、やればできる子たちなのね⁉」と自画自賛している日本語教師こんぶの会です。


実は、この8月は、こんぶの会発足4周年記念の月なのです♪


今や、日本語教育会には勉強会を開催しているグループや個人、あるいはゆるく話し合う会や情報交換会などなど、さまざな会があり、さまざまな方たちが活躍されていますよね。


TwitterやYou tubeで有名な方もたくさんいらっしゃいます。


で、グループなどの場合、どういういきさつ?とか、名前の由来とか、どういう人たち?などを知りたいと思われる方もいるかもしれません。


例えば、日本語教育界の松竹新喜劇、いやクリス・ペプラーとジョン・カビラ(どっちがどっち?)、ジャッキーあべさんとブルースたかさんのラジオでも、お二人の馴れ初め?(二人は恋人同士ではないですが😅)が語られていますね〜

それで、今回は私たちの始まりについて書いてみようと思います。

(え?だれも聞いてない?)


WSなどでは最初に簡単に紹介することもあるのですが、私たち3人は元同僚です。


3人のうち2人の出会いは16年前。

その時すでに日本語教師としてはある程度の経験だけは積んでいた(7年〜13年ぐらい🤔)2人は、専門学校の学科長とただの非常勤という関係でした。

学科長だったAがただの非常勤Bの採用を決めたのですね。


そして非常勤Bが入って1〜2年後に超絶アクティブ非常勤Cが入って来ました。

超絶アクティブ非常勤Cが超絶アクティブたるゆえんは、そのうちどこかで明らかになるでしょう。


そのころAは産休も挟んでいたので、AとCとの間にはそれほどやりとりはなかったと思うのですが、BとCとは同じクラスを担当したことで、いろいろなことを話しました。

お互いに授業見学などもしていたらしいです(記憶の彼方…💦)


芸のないただの非常勤Bにとって、超絶アクティブ非常勤Cはロールモデル的存在で、密かに憧れを抱いていたのですが、Cは専任としてのキャリアを積むべく、間もなく他の学校へと移っていきました。


そしてAは役職を変わったりしながら、Bは変わり映えなく非常勤のまま、しばらく同じ学校で働いていたのですが、Aも学校を辞め、Bもその後辞め、3人は没交渉状態。


その間、BとCは学会などで偶然出会うことはありましたが、特に連絡を取り合うこともなく数年が経ちました。


そんなある日。

元学科長Aがそのとき働いていた学校で非常勤を探している、とBに連絡が入ります。

Bは当時、2つの学校を掛け持ちしていたのですが、元学科長のせっかくのお誘いでもあり、もう一つぐらいはいけるかな、と気軽に応募。


が、しかし…


その学校は…いろんな意味ですごいところでした😅


何十年もずっとそこしか知らない、おそらく有資格者ではない非常勤が幅を利かせ、講師会は若年の専任や主任を吊し上げる会の様相。


どこの野菜が安いだの、「うちの子(=クラスの学生)はできない」だの、朝の住宅街の一角に瞬間ワープしたような職員室。


引継ぎと称してどーでもいいことを聞いてくる夜の10時過ぎの電話。


理事長の一存で全てが決まるワンマン経営。


Aはただひたすら自分のクラスに注力し、Bも

毎日新鮮な驚きに満ちた刺激的な毎日を送ることになりました😂


なぜそんなところに行ってしまったか?

それは、多国籍のクラス(最大8カ国)で、授業で何をしてもいいこと、そして給料が比較的よかったことなどが理由でした…


それにしても化石採掘場のような職場であまりにも疑問に思うことが多かったのです。

それで元学科長Aとただの非常勤Bの間で、勉強会でも持つかね、という話に。


実は、その学校では毎学期勉強会と称したダベリ会が実施されていて、その場を借りて何かしようか、という話になりました。

Bは以前、専門学校時代に別の同僚と学校で自律学習に関するワークショップを開いたことがあったのです。


AとBは、何ができるかいろいろ相談したのですが、内部事情から学校内での勉強会は結局開催されないことになりました。

それでも、やることはできたかもしれないんですけどね。

その学校の圧倒的多数は自分がやっていることに全く疑問も感じずに過ごしてきた方たち。

いきなり新参者が何か口を開いても、逆効果かもしれない…(実際、Bは講師会で口を開いて黙殺されました😅)

じゃあ、外でやっちゃおう!という話になりました。


とにかく敷居を低く、だれでも参加できて、でもきちんと理論的背景があり、互いの学びがあるような場が作れないかな?という野望⁉︎です。


外でやるとなると、会の名前を作らなくちゃ、です。

でもネーミングセンスが絶望的なBと忙しい元学科長Aとの間で暗礁に乗り上げたかのように思われました…


そんなとき、Bの元にBの出身校からメーリングリストが届きます。

このメーリングリストは日本語教育に関わる某大学の教師、在校生、卒業生などからなっているのですが、その名前は「わかめ会」。


ネーミングセンスがゼロのBは、「わかめがあるならこんぶがあってもいい。こんぶの方が幅広く使える」とわけわかめなことを考え、Aに話したところ、無事、了承されました!


そして初めて「日本語教師こんぶの会」としてワークショップを外部会場を借りて開催したのが、4年前、2017年の8月なのです。


おっと、Cはどこへ行った?と思いますよね?


ここからCの再登場です!


なんと、この最初のワークショップに、Cが参加したのです。

当時、元学科長Aとただの非常勤Bは、WSのフライヤーに本名を載せていたので、それを見つけて参加したのでした。

が、その時Cがすぐにこんぶのメンバーになったわけではありません。


しばらくAとBは2人で年に3〜4回のWSを開いていました。

それだけでもいいよね、と思っていたのですが…


ただの非常勤Bは、せっかく何回かWSを持ってアンケートもとったから、振り返りのためにその内容をまとめて日本語教育学会のポスター発表に出す、という暴挙に出たのです。


身の程知らずにもほどがありますが、その年、どうも応募人数が少なかったようで、査読を通ってしまいました。

ポスター発表なので、まあ気軽に考えていたのですが、そこで新たなつながりができていきます。

それについては、またの機会に。


話を戻すと、その発表をCが見に来て、そのポスターの前で「私もやる!」という決意表明?を行い、連絡先を交換。

現在の3人体制になりました。

紆余曲折があったんですね~


現在も3人の職場、立場は全く違います。

と、ここまで書いて気づいたのですが、ある意味変化していない部分もありました。

元学科長Aは再び管理職に。

ただの非常勤Bはただの非常勤のまま。

専任になると言ったCは専任として。

それぞれの職場で働いています。


適材適所、というものがあるんですね😉

そして、働き方や年齢の違い(3人の年齢は結構ばらけてます)は私たちには全く障壁にはなっていません。


結構、喧々諤々の議論に発展することもあるんですが、それもよきかな、という関係性です。


最後まで読んでいただき、ありがとうございます!

「ブログ充実&強化月間」はまだ続く予定です~

よろしくお願いします~~