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深田晃司 監督

2017.02.17 09:05

深田晃司監督

映画も人生と同じに

人の一生は予測ができなくて最期まで終わりがない。しかし私たちは普段から予測できて完結する映画に慣れてしまっている。それに気づかせてくれたのが、去年カンヌ国際映画祭の『ある視点部門』の審査員賞を受賞した深田晃司監督だ。知名度の高い深田監督は、今年ロッテルダム国際映画祭でも地元記者とのインタビューがびっしりと詰まっていた。取材に「もちろん」という即答でインタビューに応じてくれた監督は、バンクーバーや釜山など世界中の映画祭から招待されているにもかかわらず、前から入っている予定を優先しながら行動している。多忙なのに「特に何も変わっていません」とあっさりと答える彼に『シンプル』という言葉がよく似合う。

時間のかかった完成度の高い絵を見ているような深田監督の作品は、映画館を離れてからもかなり長い間余韻が残る。それは映画のシーンだったり俳優の顔やセリフだったりするが決して音楽ではない。「音楽は非常にパワーが強いから使い方を慎重にしている」と語る監督は、音楽独自の持つイメージを観客に向けることを避けている。監督によると「ある音楽を聴いて1つの感情に走られると自分の作品の意図が壊されてしまうような危険性がある」そうだ。むしろ「カメラと被写体の関係が自分にとって一番大事」と丁寧に語ってくれた。

観客の想像力に任せる

「100人いたら100通りの見え方がある映画を目指している」と語る監督は、映画の持つプロバガンダ性に気をつけている。映画は常に集団を動かす力があるので、イメージ通りの筋書きや完結を強要しない。主人公と一緒に泣いたり笑ったりして同化することにもあえて距離をとっている。また賢妻良母の日本人女性が浮気をしたり、メインキャストが意識のない身体障害者だったりと、世界に送る日本映画の中でも型破りな部分を持つ。映画『淵に立つ』はバンクーバー国際映画祭でも観客の予測を見事に裏切り気持ちを動揺させた。感情やメッセージを定義させないで見る人の想像力に委ねるところも彼の映画の特徴だ。登場しなくても映画全体を支配していた主人公の八坂だが、監督によると彼は『暴力』そのものを表す。日頃目に見えないけれどいつ出現するかわからないという可能性を秘めた存在。ある意味で深田映画は非常に哲学的だ。

初日満席のIMAXの映画館。ロッテルダムの観客のために短編『鳥(仮)』を用意した監督。上映が終わると大きな拍手が起こった。「なぜショートのコンペに出品しなかったのか」という問いに、「iPhoneで撮った作品をIMAXで上映してくれただけで満足」という謙虚な答えを返し会場を大いに喜ばせた。一つ一つの質問に言葉を選んで通訳にも気を配っている姿は、真面目でバランスのとれた監督そのものだった。「またお客さんの想像力を開けるものを作りたい」と静かに微笑んだ深田監督の次作が今からとても楽しみである。