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こんぶトマト文庫のふみくら

心が吞み込まれないように

2021.08.14 15:40

不誠実な言葉をまき散らし、一匙ばかりのちっぽけな利己心や虚栄を満たすためなら、多くの人を傷つけたってかまわない。

自らの行ないについて謝罪をすると嘯いて、結局はそれすらポーズで真摯な人たちを嘲笑うかのような真似をする。


こういう人たちと、それを有り難がり信望し取り巻く人たちがたくさんいるという事実に、心が挫けそうになる。

別段、今問題となっている事案に始まった話ではないし、例の方が「謝罪を撤回する」と銘打った釣り動画を投稿したのだって、あの方特有の悪辣さと言うわけではない(そのことにまた愕然とするわけだけど)。

ああいう一介の悪徳商人のような人のみならず、今やもっと影響力があって権力があって本来仁徳を重んじ公正を努めるはずのエライ人たちですら、同類の賢しさを連日惜しみなく披露してくれている。


ただでさえ出口の見えない感染症との一方的な共同生活を送らされているのに、連日心にキツいことが起き過ぎている。

挫けちゃ駄目だとかなんだとか、前向きに思う事すら重く感じる。じゃあそれら一切を見ずにいて、好きなものやキレイなものだけを見て生活を送ればいいのだろうか。それは良くないことだ、と言い切ることも出来ない。完膚なきまでに心が壊れてしまったら、それすらも出来なくなってしまう。そうならないよう、喧しく煩雑な騒音から距離を置いて静養が必要な人もいる。

でも、真正面から受け止めるには、あまりにも膨大であんまりな出来事が起き過ぎている。

だんだんと、心が黒いものに呑み込まれてしまいそうになるのを感じながら毎日夜を迎えている。



それでも、それに呑み込まれるわけにはいかないんだよなぁ、と泣きそうになりながらいつも思う。

きっとそれに呑み込まれてしまったら、何もできなくなる。気力がなくなる。面白いを面白いと思えなくなる。何もかもから色が無くなる。灰色になる。自分が無くなる。

目先の自分だけを守るために、都合のいい世界に閉じこもる事だってしたくない。

僕は本が好きで、音楽や映画も好きで、美味しいものも好きで。

このところ全然会えてないけれど友人も好きで。実家とはやや疎遠気味だけど姪っ子には会いたくて。

まだまだ行けそうもないけれど夜行バスでの旅も好きで。行きで持ってった空っぽのカバンいっぱいに本を積めて帰り道に後悔する古本市も好きで。

そういう、これまで僕が好きでいたものや人たちを、これからも好きだと胸張って言うためには、それに呑み込まれてしまうわけにはいかない。


百折不撓、という言葉がある。幾度失敗しても初志を貫くこと、という意味だそうだ。

今の社会、とりわけ自らを過酷な状況に追い込むことがやたら好きな社会では、一度でも心が折れることを忌み嫌う。一回の失敗すら認められない、認めたくない。破綻した現実を屁理屈で虚飾してでも直視しない。一度たりとも失敗しないことこそが素晴らしい、そんな価値観。とても息苦しい。

折れたってかまわない。というよりとうにあちこちバキベキと折れ目だらけだ、こちとら。それでも思うところがあるのなら、そう在りたいと願うことがあるのだから、折れても凹んでもちょっと一回休憩とか貰ってからでも、心が呑み込まれないよう生活をしていこうと思う。