Ameba Ownd

アプリで簡単、無料ホームページ作成

「宇田川源流」【お盆休みの歴史談義】2 歴史の独自性と歴史による地産地消

2021.08.16 22:00

「宇田川源流」【お盆休みの歴史談義】2 歴史の独自性と歴史による地産地消


 昨日は「地域」における歴史の扱いについてみてきた。

 町おこしなど街の特徴を前面に出さなければならないときは「ナンバーワン」ではなく「オンリーワン」を目指さなければならないということになる。

 そして「自然が多い」などのことは、間違いなく日本は日本の国土内で、ほぼ同じ環境、ほぼ同じ文化を持っているということから、基本的には「ナンバーワン」にしかなれず「オンリーワン」になることは少ないということになる。

 特に江戸時代という時代あ、日本橋を中心に五街道が整備されていて、その街道を中心に宿場町が全国にできていたのであるから、それだけ人の往来が多かったということになる。

 まあ、水戸黄門というドラマが参考になるとは思えないが、しかし、その水戸黄門でもある通り、各地宿場町があり、その宿場町の間を街道がつないでいる様子はよくわかる。

 また幕府の支配が行き届いていて、というか幕藩制度の内容が非常によくできていて、基本的に支配ができていない場所が少ない状態になっていた。もちろん、マタギしかいないような山の中などは、多少は支配が行き届いていなかった可能性があるが、逆にそのようなところは人間も少ないので、支配の必要もないということになるのである。

 さて、そのように見ていると、それだけの往来によって「文化」は流入する。もちろん、その「文化」の流入は、地域の特色に合わせて様々な意味で「良いところだけを取り入れる」という形で行われるようになる。まさにそれが「文化」なのである。

 例えば「蓑・笠」というものがある。雨をしのぐものである。しかし、これが雪国になれば「蓑笠」だけではなく「雪靴」や「カンジキ」というようになってくるのである。地域の環境や、地域の特性、気候や天候などによって、文化の流入がその土地によって姿を変えるということになるのである。

 同時に、その地場産品によって、代用品を作るようになるのである。

 誰でもが知っている代用品が焼酎であろう。

 「酒」というものがある。もともとは「稲の神様」の大和言葉で「サ」という。そして高貴な人の食べ物のことを「朝餉」「夕餉」などの「餉(ケ)」という。まさに稲の神様という高貴な存在の食べ物が「サ」の「ケ」、つまり「サケ」なのである。そこで、日本の神事には必ず三々九度などのようにして「酒」を飲む習慣がある。神様と同じものをいただいて、神様の力を人間の内側から、あるいは人の中にある魂から発揮するということになろう。その「酒」が、米の取れない地方、つまり、九州の南の方、現在ん鹿児島などでは「芋焼酎」というような形になってしまっているのである。まさに「酒」の代表品ということではないが、しかし、米がイモに変わって醸造方法も変わったものということになるのではないか。

 このようにして、様々なものが現地に入りその現地の中において代用品が作られ、それが現在になって名物というようになっているのである。

 なぜ「代用品」が「名物」になるのか。

 当時は「代用品」というのは、きほんてきに「本来のものがいいのだが、しかしその原材料が地域で産出できない、または地域においては貴重品でコストが合わない」ということから、所民でも手に入るもので代用するということになる。

 まさにそれ腰が「地産地消」の原点であるということになるのではないか。

 このように実は、歴史というのは古いときであるために物流なども便利ではなく(人が足で運んでいた・早くてもうまくらいしかなかった)また、保存も容易ではない(当然に冷蔵庫などはない)状態で、その場にある物で作ったということを意味する。

 それはそのまま「現地で容易に手に入り、なおかつ他の土地のものに代用する力がある」ということであり、そのまま「地産地消」となるのである。

 まさにこのことが、現在の「地産地消」「名産品」の原点であるということになるのではないか。

 このようにして「名産品」「土地柄」ということは「歴史」の中においてその地域に最も適合した内容を作るものであり、なおかつ、その地域の中において、最も得意ない分野ということになる。

 これが現在の「地域興し」でよく言われる「地産地消」の原点であろう・

 逆が「小京都」という言葉であることは、容易に想像ができる。まさに、その土地に適合しているかどうかはわからないが、「小京都」というように「京都をまねする」ということである。逆に「小」という言葉が書かれているとおり、その地域でしか集まらないのでどこか京都に「真似ている」だけで、京都そのものにはなれない。それが小京都である。

 このように考えると、「地域」と興すということは「歴史」を学ぶということに他ならないだ。

 さて歴史を学ぶといっても様々ある。

 今まで見てきたのは「地産地消」という観点から出あって、そのことは単純に「生産物」や「環境」または「名産品」の歴史になる。しかし、この場合、「名産品の歴史」なのか、あるいは「その名産品を扱っている店の歴史」になってしまうのかはなかなか難しいところが出てくる。実際に、上田市の「真田紐」は名産品だが、実際は真田が考案したといえども諸説あり、高野山に流されていた時に考案したという説もあるので、純粋に上田の商品なのかどうかは悩ましいところではある。また、「酒」などは、どこの店であるが「酒屋」や「ブランド」の歴史になってしまい、その地で酒造りが行われた徳の歴史などはほとんどないということにあるのである。実際に、ブランドの歴史というような感じになってくるのであるが、このブランドの歴史は、ブランドそのものが「貨幣経済」となってからということになるので、物々交換の時代にはあまりブランドの発展にはつながらない。京都周辺はそれでも早くから「宇治茶」のようなブランド化が早かったようであるが、それも例外的である。要するにブランド化というのは貨幣経済の中での付加価値をブランドで付ける道具ということになるから、当然に、貨幣による取引以降つまり、元禄文化から化政文化の間くらいから徐々に発展するということになり、すべてが武断度がついて地味やブランド名がつくのは、江戸時代後期から遅くなれば明治初期ということになる。

 このように考えると「品物」の歴史というのはなかなか難しい。そこで、歴史を学ぶという場合は「人物」または「出来事」の歴史ということになってくる。あと意外とマニアックなところで言えば「道」や「地名」または「山」「寺」「神社」の歴史というところがある。このマニアックなところは「すべてを「土地の歴史」としてしまえば、人・出来事・土地という三つの歴史になってくるのである。

 さて「出来事」はなかなか簡単である。まあ、例を挙げれば「関ヶ原合戦の地」「西郷隆盛自決の地」など、合戦の血や自決の地(首塚や墓地)などは、一つには人が多く死んでいることから、忌地となってしまっていること、もう一つは語り部などがあってその話をするということから名所になるということになる。このタイプで最も有名なものの一つが壇之浦であろう。平家滅亡の地であるがどの語怪談話「耳なし芳一」の舞台となって、庶民のレベルまでつながる。このほかにも岡山県の桃太郎など「童話や民話」に語り継がれることによって様々なプレミアがつき、そこに多くの人が知る名所ということが出てくることになるのである。

 人物に関しては、様々なところにある「弘法大師の湯」や「明智光秀の産湯の場所」(昨年の大河ドラマ「麒麟がくる」の影響で、なぜか四か所もあるのだが)など、「人の一生のうちにその人が住んだ場所や活躍した場所」などが出てくる。歴史に「人」を感じる場所というのはなかなか思いれが強く、特に墓地(白虎隊や赤穂浪士、沖田総司や近藤勇などの新撰組など)は、人に関する内容として多く出てくる。まさに、その「人の一生分の話をすることで、そのゆかりの土地をアピールする」ということにつながることになる。

 そしてもう一つが「土地」である。神社や寺、城などは、だれが築き(または建立し)そしてどのような歴史をたどったかはよくわかる。場所があるので、その場所に関しての説明から、その人や歴史を見ることができる。比叡山延暦寺のように、途中で事件(焼き討ち)にあってみたり、白でも栄枯盛衰があると、なかなかドラマティックに語れる。

 いずれにせよ「物語」になることが重要であることがお気づきであろうか。つまり人間は「歴史」を通して、そこに物語を感じ、その物語に関して「自分をその物語の中に投射して楽しむ」ということができるようになるのである。

 この「物語を用意してあげること」こそが「地域興し」の原型であるということができる。昨日に話した「都会を持ってくる」のではなく「昔に回帰して、その昔の中で現代の人を回帰させて、歴史の人物と置き換えるような作用を持たせる」ということになるのである。そのことを楽しむ観光客は多く、そしてそこにそのまま居たいと思う人がそのままその地で話をするということになるのである。

 では人物に関して、どのようになるのか。それは次回お話しすることにしよう。