少女Aが消された話
教え子と電話で話していて、こんな話を聞かされた。
「こないだね、仕事のセミナーを受けにいったんですけど、隣の席の子が消しカスそのまま、椅子も出しっぱなしで帰っちゃったから、私、ついでに軽く掃除したんですよ。そしたら講師に『人のところに手出しなんかしなくていい!』って怒鳴られて。
そのすぐあとに、今度はスリッパが出しっぱしになってたのが目に入ったんですけど、手出しすると、また怒鳴られるかなぁと思って、そのままにしてたら、『なんで目についたのに仕舞わないんだ!』ってまた怒鳴られて。もうどうしたらいいんですかねえ」
「私の可愛い教え子を何しょんぼりさせてくれてんだ? このジジィめが、貴様のシャンプーに中性洗剤混ぜて毛根根絶やしにしてくれようかー? ああん?」と言いたい気持ちは置いておかないが(置かないんかい)(置くわけない)、このように「そんなバカな」と言いたくなる出来事は、残念ながら意外と珍しくない、ということが歳をとってきてようやく私にも大分解ってきた。
「会社に入って、覚えた言葉の一位はあれですよね」
同期のヴァネッサとよく、そう話したものである。
「あれですね」
「そう、」
「“理不尽”。」
ピータン社に勤めていた、夏の終わりのある日の出来事。
一つの大きな仕事の締め作業を迎えていたその日、社内はてんやわんやしていた。
中でも一番可哀想だったのは、最も社歴が浅い若手の女子二名。
一日中、単純作業に張り付かされて、自分の本来の仕事が何も出来ない状況。
結果、残業を余儀なくされていた。ちなみに、この会社は、残業代が一切なかった。
私とヴァネッサは、自分たちの仕事も立て込んではいたけれども、「出来ることをしなきゃね」と、後輩のサポートをすることにした。
私たちが手伝うことにしたのは、翌日送る、「取引先への案内文書」、その発送準備。
通常、この文書はA4サイズで刷られるので、
●「社内の印刷機で作った角2封筒。通称【エコノミー】」
(文書を折り畳む必要なし)
●「外注して作成した定形封筒。通称【小さい封筒】」
(折り畳む作業が付随)
のいずれかに入れる。どちらを選ぶかは、取引相手の規模によるのだが、このときの案内は、これらの封筒に包んだ後、別の大型書類に同封して送ることになっていたのである。
つまり、
1.今回の案内文書のサイズ自体は、郵便料金に関係しない
2.後輩の分までさばくのに、「折る」という作業を加えていると膨大な時間がかかる
3.ヴァネッサ曰く、「かつて先輩に、『本来なら、案内文書は折り曲げずに送るのが礼儀であるが、郵便料金を考えて折っているだけ』と聞いた」とのこと
4.小さい封筒より、角2のエコノミーの方が安っぽいし、封筒そのものの単価に大きな差異があるようには見えない
5.しかも、台風が来ている(私は徒歩通勤だが、ヴァネッサは電車で一時間)
というわけで、「エコノミー角2封筒のみ」を使い、私とヴァネッサは、自分たちと後輩たちの分の案内文書を全て作った。
後輩たちは、「ありがとうございますー! とっても助かりました!」と、笑顔で感謝の言葉をくれた。
翌日。
課長(当時35)は、いつもより多めに並んでいる「エコノミー角2封筒」たちを一瞥し、冷たい声で私とヴァネッサに言った。
「これ、どうして小さい封筒に入れなかったの?」
「あ、今回は特に折る必要もないと思いましたし、文書は折らずに入れた方がいいって先輩に言われたこともあって…」
「それ、誰に言われたの?」
低い声で課長は続ける。周囲は、触らぬ神に祟りなしとばかりに黙々と作業を続けている。
「あ、あの……」
答えようとするも、課長の視線に射竦められるヴァネッサ。
「それに、エコノミーの封筒の方が安いんじゃないかと思って……」
おずおず答える私に、
「それ、確認したの?」
課長は詰め寄る。
「えっ? いいえ」
その答えを聞くや否や、課長は作業場から一段飛ばしで階段を駆け上がり、経理に金額を確認に行った。そしてすぐさま、ドッドと野蛮な足音を立てながら戻って来て、
「小さいのが4.7円。エコノミーが7.2円」
とわずかに息を弾ませて言った。
そして、日頃から開いているのかいないのか解らないほど細い目をさらに鋭く尖らせて、こう吐き捨てた。
「はじめから面倒くさかったって言えばいいのに、それを値段がどうこうって、ごまかしやがって」
私とヴァネッサは茫然と立ちすくんで、何も言えなくなった。
前の日に、課長は見ていたはずだ……台風で風が窓をガタガタ揺らす中、私とヴァネッサが2倍の作業をしているのを……そしてそのあと、今度は自分の仕事を片付けるために残業をしていたのを……
けれど、課長にとっては、そんなことよりも、「単価2.5円×およそ80団体くらい=総額約200円」が大切だったというのか……
私とヴァネッサはしょんぼりしすぎて、残りの仕事を事務的に片付けるのがやっとであった。
その時の私たちの心境を的確に説明する言葉を私は今も持たない。
代わりにその晩の私の日記を引用しようと思う。
「メンッッッッッッッッッッッドくさかったら、人の分の仕事までしねーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーよ!!!!!
私たちは、何か悪いことをしたかなあああああああ!?
お手伝いに侮辱をもってお答えくださるとはどういう了見だ、このデスメタル課長!!!
頭パンクさせんのはライブ会場でだけにしてくれってええーーーーーーーの!!!
あとさあ、『案内は本当は折り曲げない方が礼儀』って言っていったの、こないだ退職したあんたの嫁だからな!!!
ああああああ、どこかにポータブルこえだめ、売ってないかなあああああ~~~~~!!!
課長の引き出し一段一段に入れてやりたいわ!!!!!!」
※ 「ポータブルこえだめ」とは、とある漫画家考案の、「妄想上の流行バカ売れ商品」。
思うに、課長は、「2.5円」どうこうというより、私たちが「イレギュラーな動きを行った」ことしか見えなくなっていた、そしてそこだけを抽出して苛立ったのではないかと思う。
この会社の人たちは、職種柄、みな、いわゆる「勉強が出来る人」であった。
社長はことあるごとに「うちは頭脳集団」と言っていた。社員の多くも、それに同意していた。
私はその様子を見るたびに、なんか恥ずかしい光景だなぁと思っていた。
それは、彼らの「勉強が出来る人である」という思いが、努力を誇るものではない、つまり「プライド」と呼ぶのに値しないものに感じられていたから。早い話が、虚勢を張っているようにしか見えなかったのだ。
そう感じられていたのは、会社全体に漂っていた、ある種の空気によるためだったと思う。
その空気というのが、
「出来ないやつがバカ」
というもの。
「え、なんで解んないの?」「見て解んない?」
と何度言われたか解らないし、質問をすれば、
「も、ち、ろん」
と冷ややかな目で答えられたことも数知れずあった。
「自分は解る」「自分は出来る」ということを、グラグラな自分のよりどころにしていた社員がとても多かったのだと思う。
彼らは「出来る者」の立ち場から、人をバカにしていたように見えるけれど、その実、本当は「自信がなかった」のだと思う。
自信がないから、心の容量が小さくなる。結果、些細なことに動じる。
よって、「自分が想定していたのと違う行動」を取られると、容易に不安になる。
その不安は、あっという間に苛立ちに変わる。
そしてヘリクツをこねあげて、「正論っぽいもの」を上手に構築し、「上司」あるいは「年長者」という段差の上から相手を押さえ込んで、後輩の非をあげつらい、発散して、満足する。というわけである。
そして、それはまぁ、大方、こうして見抜かれているもんである。
だが、それが解っているからと言って、心が乱れないはずもなく、怒りと悲しみではらわたが煮えたぎり、体内で新しい臓物料理でも出来上がりそうになっていたそのとき、神様がくれたタイミングのようにして、印刷所から私宛に電話がかかってきた。
その年、私は、会社が発行する出版物の販促チラシのデザインを担当していた。
レイアウトのみならず、全てのイラストも私がひとりで作成していた。
その中に一つだけ、課長が描いたイラスト……それは、アルファベットの「A」をモチーフにした、彼としては真剣に描いたのであろうが、異形の妖怪にしかなっていなかった、通称「少女A」も、面白半分で混ぜてあげていたのだが、
「あの、送って頂いたチラシの案なんですけど、一枚だけタッチが違う絵が混ざっているみたいでして……」
「ですよねー! それ、削除しちゃってくださーーーーーーーーーーい!」
私は満面の笑みで、課長の「少女A」を抹殺するよう、印刷所に依頼したのであった。