崩れ去る展望とその復旧作業
これは確か2018年の春に甲子園球場へ阪神タイガースの試合を見に行った時の写真。
超満員46000人の大観衆が詰め寄り、同級生と酒を飲みながら「やっぱり甲子園は気持ちがええ。こればの人間入ってなんぼよ!」と話していたのが懐かしい。
まさかこの写真を見て、どこかの真っ白い都知事のおばはんの如く、心中で
「密です(・-・)☞密です密です!SOCIALDISTANCE!!」
と思うようになるとは悲しい限りです。
昨年の3月頃から本格的に国内全域で危機意識が広がったように記憶している。
プロ野球の開幕は2ヶ月ずれ込み、GWは自粛しろ。
オリンピックも延期、お盆に家にいろ、祭りは無い。
これは全て致し方のない事なのです。
勿論優先されるべきは、人命。
その次に優先されるのはそれを救う体制。
そんな事は分かっている。
誰も感染したくないし、感染を拡げたい訳では無い。
当然、明日の朝起きて
ドラえもん(CV.大山のぶ代)が部屋に居て
もしもボックスが部屋にあったら
「コロナウイルスが完全に収束した世界!!」と受話器に向かって叫ぶ。
そして有給を取って、嫁と仲のいい友達カップルを連れてユニバーサル・スタジオ・ジャパンに行き、
その次の日も有給を使って地元の友達を連れて東京で行われている阪神ー横浜DeNAの試合を見に行く。
そしてその次の日も多分、急に有給を使ってしばらく会えていない千葉に住んでいる叔母さんの所と幼馴染の家に泊まりに行く。
勿論移動は新幹線。朝から晩まで嫌という程にビールを飲まなきゃいけないから。
例え近いうちにコロナ騒ぎが終息して、インフルエンザ程度の感染病の扱いになり元の日常が戻ったとしても、
2020年以前と以降では多くの物事の見え方が、多くの人の間で変わるはず。
本質的に人間の暮らし、営みに必要なものだけが残り
形骸化され、前任者がやっていたから…という理由だけでだらだらと続いてきたものは全て滅んでいくんじゃないかなと思う。
多くの文化が存続の危機に立たされている。
泣き言を言ってもコロナは容赦する事無く
感染者が出たら都会と違って、村八分にされそうなこんな田舎でも我々の体と活動範囲を蝕んでいくのだ。
なら、感染対策を万全にして
何が大事で本質的なものなのか、今出来ることは何なのか
色んな視点から今一度考え直す時なのでは無いだろうか。