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こんぶトマト文庫のふみくら

ゆらゆら揺れる

2021.08.18 02:38

「コロナはただの風邪」という主張をする人がいる。

ネット上で見かけたとかそういう実在を確信できない幽霊のようなものではなくて、身近でそこそこ知っている人、会社の同僚でそういう人がいる。


昨日の仕事の帰りしな、少しばかりの残業があって僕らのほかには事務所に誰もいなくて、とりあえずやることひと段落したので先に帰りますわとなった際のちょっとした立ち話で、ワクチンの話をされた。あなたはアレを受ける気があるのか、と。若干言いにくそうに、少し不安げに。

そういった話を一対一ですることが初めてではなかったし、そしてこれまでの会話から、この人はきっとワクチンには反対なんだろうな、という事はわかっていた。他人に対して積極的に「ワクチンの危険性」を流布し、公共の場で直接的な行動に出る、というタイプではない。おそらく。ここにはちょっとばかりの希望的観測も入ってる。

その人いわく

・コロナは結局風邪をひどく拗らせたようなものだと思う

・ワクチンって言っても結局あれはワクチンではないという話だ

・厚労省のHPを見ても「確実にこうです」といった断定的なことは書かれてなくて、結局憶測の域を出ていない

・みんな既に一回かかっているのだろうから、大げさに行動を縛る理由もわからない

などなど。

先述の通り、これまでも時折この手の話はしてきていた。でも昨日がもっとも時間を割いて、忌憚なく、本心に近いところを晒け出して話をしていたように見えた。根拠や出典の是非がわからないことも多かったけれど、本人はこれらの話を強く信じているようだった。


正直、面食らっていた。

多分目の前のこの人は己の真に迫る相当深いところで「コロナはただの風邪」というあの文句と同等の事を思っているし、そしてそれを同僚に話している。

ああ、こういうことを信じている人っているんだ、とその時まず思った。


上記のような感想を抱いた辺りからも、僕自身は新型コロナ、Covid-19のことを「あれは結局ただの風邪のひどいバージョン」と処理することは到底出来ない。少なくとも、今のところ。

元来、人に感染していたウイルスがコロナウイルスというもので、それの新型ってことなのだからちょっと新しい風邪ってことなのだろう、と今なお終息が見えない現実を矮小化したいが故の言葉にしか聞こえない。例年多くの人が罹っていたインフルエンザの感染者数が激減するほどの対策を市井の人たちがみな取っていても、感染者数は収まらない。そんな圧倒的な感染力をもつものを、現時点で容易く見るのはちょっと無理だ。

近い将来、もしくは遠い未来、インフルエンザと同等の存在となる事もある、のかもしれない。でも今それをそうと定めるのはあまりに拙速だと思う。薬もなく、受け入れる体制もなく、容易く容体が悪化し病床を圧迫しその他医療が必要な病や怪我を負った人へも多大な影響を及ぼす環境で、自宅で療養してほしい、と行政の長が発言するのは棄民と言われても仕方ない冷酷さを感じる。


閑話休題。

僕はその人に対して、曖昧な言葉しか返せなかった。

ネット上でしか見かけなかったような言葉を目の前の人が発していること、それに対して一種萎縮してしまったこともある。でも、それに加えて「ああ、こういう考えに至る人って、不安であることに耐えられないから、こう考えるのだろうか」という事を考えていた。

その人は、理路整然としたものを好む人で、仕事をやる上でも根拠を明確にし手順を整えた上で計画通りに物事を進めることに人一倍こだわりがある人。そういう姿勢は今の仕事をするうえでとても参考になり、また僕自身が大雑把な人間でよく手落ちをやらかすのもあるから、日ごろ手習いとさせてもらっている。

今、理路整然としたものから遠いところで物事が回っている。その人が信望するものとはかけ離れている不条理で。それに対して折り合いをつけた帰結が、「コロナはただの風邪」なのかもしれない。そう思った。

確証もなく、展望が明示されることもない。現状ダメならダメだと言い切ってほしいのに、曖昧で根拠のない気休めばかり言ってくる。何処にも安定した場所がない。その状況が、不安で仕方ない。ならば自分で自分を安心させたい。という気持ちを起点にし、結果そういう考えに至ったのだろうか、とも思った。



僕は、その不安に寄り添う事は出来そうになかった。

昨日の状況からして、誰彼場所も構わずするような話ではないことを前提としているのだろうし、その上で仕事仲間である僕に話をしてくれたこと、それは嬉しいこと。そこで「僕もそう思いますよ」と肯定すればきっと喜んでもらえただろうし、その人の不安も少しは低減されたかもしれない。

でも、その主張には首肯することは決してない。受け入れることは出来ない。だからと言って不安で必死な顔を前に全部をむやみに否定することも到底出来ず、曖昧に応答することしか出来なかった。


不安で心が揺れている。止まることなくゆらゆらと。誰もかれもが。

それを止めてしまいたい、不安じゃなくなりたい、安心したい。そう求めることはとても当たり前なこと。

不安の源が現実にあるのなら、そんなものを寄越してくる現実など存在しないのだ、とすれば不安はきっとなくなる。


僕はまだ、今は不安な状況だと認識した方がいいと思っている。今はまだ、安心して安心することが出来ない。

この揺らぎを正しく収めるためには、どうしたらいいのだろうか。昨日の出来事にも引き続き揺らされながら、今日もゆらゆらと考える。