『シランフーナーの暴力』
『シランフーナーの暴力』
知念ウシ著、未来社、2013年
書評1:
沖縄のむぬかちゃー(ライター)・知念ウシ氏が20年かけて綴ってきた論集。なぜ沖縄だけに在日米軍基地が集中するのかという問いを出発点に、沖縄と日本から政治的関係性を鋭く見つめ、それが植民地主義、ならびに日本人による「知らんふりの暴力」によるものだということを明確に示しています。
沖縄人による県外移設要求とは、「私たちを差別するな。侮辱するな。近代以来の、私たちや他の地域・民族を犠牲にする生き方をやめてくれ、責任をとってくれ」という日本人への呼びかけであるとし、県外移設要求の正当性を確かめるとともに、日本人の自己解放・回復の貴重な機会であると論じています。『沖縄の米軍基地』の出版と、「本土」に広がる基地引き取り運動の出現に、重要な役割を果たしました。(里村和歌子@福岡):『沖縄の米軍基地を「本土」で引き取る!』(コモンズ、2019年)より転載
書評2:
「沖縄の米軍基地は日本「本土」で引き取るべきだ」という、ウチナーンチュ(沖縄人)とヤマトンチュー(日本人)との間に強い緊張と摩擦を生じさせる主張を続けてきた著者の発言集。著者は東京の大学に合格した時「これで日本人になれた」と安堵したが、のちに日本人になりきれない自分を発見、日本人の沖縄に対する無知、無責任に憤り、日本と沖縄の関係性は、明治の「琉球処分」から続く「植民地主義」が構造化された結果であるとの認識に至る。前著『ウシがゆく』と執筆時期がほぼ重なる文章群の中で、自身、今読むと胸がつまるという20代の文章は、その認識に至る著者の心情と思考のプロセスを追体験できる貴重なものだ。
国土の0.6%の面積の沖縄に全国の米軍基地の70%が集中している不平等を「シランフーナー(見て見ぬふり)」せずに、植民地主義を日本人がやめない限り根本的解決はない。近代以来の日本人の「他の地域・民族を差別する生き方をやめてくれ、責任をとってくれ」と著者は突きつける。
『無意識の植民地主義―日本人の米軍基地と沖縄人』の著者野村浩也氏と共に「沖縄の米軍基地を本土に引き取る」運動に強い影響を与えた著者は、緊張も摩擦も批判も一身に受けながら、誰よりも強い意志と勇気を持って発言し続けてきた。植民地主義をやめることは日本人が「自己を解放、回復し、人間になるチャンス」であり、沖縄人と日本人が「植民地主義的でない対等な人間同士として」「出会い直す」ことへの願いが底にある。
この本は「ワラビンチャー(子供たち)へ」捧げられている。それはおそらく「決してこのままの沖縄を手渡しはしないからね」という著者の決意表明であると同時に、すでに「このままの沖縄」に生きさせられているワラビンチャーに対する激励とも読めて胸を打つ。「子供たちへ」という日本語は、単なる「日本語訳」でなく、「日本人の子供たち」への呼びかけかもしれない。(新城肇@首都圏)