ネットでの裁判の公開について(参議院浜田聡議員のお手伝い)
良いお天気、梅雨あけか?なんで屋根ん!猛暑はもうしょうがない、、、猛暑で脱毛症、、、もうショック、、、。
さて、昨日は参議院浜田聡議員のお手伝いに上がり裁判の公開について考証しました。
参議院浜田聡議員はご自身のブログにて既にそのお考えを明示されております。
https://www.kurashikiooya.com/2021/07/30/post-12882/
https://www.kurashikiooya.com/2021/07/31/post-12886/
上記を拝見した上で僭越ながら私の考えを下記に記します。
浜田議員は
「裁判所への一般国民によるチェックを強化することで、裁判所が???な判決を出すことはある程度予防できるでしょう。そのためには、繰り返しになりますが、裁判もインターネットでの公開を進めていくべきであると私は考えていることを改めて強調しておきます。」
と意見されています。浜田議員のブログにも示されていると通り、外国でも裁判の音声や映像を公開したり、中継を配信したりしている国もあるようです。
裁判は原則として公開されているものであることは国民の殆どの方がご存じのことだと思います。裁判は誰でも見ることが出来ると憲法にも定められている重要な国民に与えられた権利です。(憲法82条1項:裁判の対審及び判決は,公開法廷でこれを行う)また、民事裁判の記録は原則として誰でも閲覧することが出来ます。(民事訴訟法91条1項:何人も,裁判所書記官に対し,訴訟記録の閲覧を請求することができる)
以上のことから裁判は傍聴できますし、民事裁判の記録を閲覧することも出来ます。公序良俗に反すること以外の裁判は非公開には出来ないようです。政治犯罪や出版に関する訴訟や国民の権利に関する事件は常に公開しないといけないとわざわざ明記されています。恐らく1910年に発生した幸徳秋水氏が天皇暗殺を計画したとされて密室裁判で死刑になった大逆事件など治安維持法関連の政治弾圧が発生したことを鑑みて殊更に公開を義務付けているのだろうと思います。
憲法第37条にて求められている公平な裁判が裁判を利用するすべての人に求められているのは当然のことだと思います。一方、訴訟当事者にとって公開裁判の重要性は一義的ではありません。訴訟当事者にとって自身の望むことではないが他に術がなく止む無く訴訟に踏み切らざるを得なくなったケースの多いでしょう。そのような者は公の場で自身のトラブルを詳らかにされることは望むべくもないことだろうと思われます。刑事裁判においても被害者にとっては発生した事件そのものが被害であり迷惑であるにも関わらず裁判を通して広く世間に公開されることは二次的な被害の拡大だと感じる人もいるでしょう。特に反社会的勢力が関わる事件の被害者にとってはむやみに裁判を公開されることは耐えがたいストレス又は恐怖を抱くことになるかもしれません。刑事裁判の被害者や証人に関してはビデオリンクや遮蔽措置などの配慮もありますが、その者にとっては公開が原則である裁判の精神的な負担は図りしれないものであるかもしれません。
つまるところ、私が懸念しているのは裁判の公開が更に進むことによって訴訟当事者の権利が侵害されたり、また、それを恐れるあまり訴訟制度の利用を控えることになったりすれば、本末転倒になるということです。裁判は諍いであったり、トラブルであったり、犯罪であったありすることが一般的です。原告、被告の双方の当事者としてのプライバシーも並行して保護されなければならないケースも多いはずです。安全で健全な社会を望むべく、裁判は公開されることで、より公平でより公明で厳正で正当でなければなりません。その為の方策として裁判の公開による透明性を図るということは理解できます。それと同じく、裁判の当事者の権利も保護されるべきだと思います。
裁判は出来るだけ公開され公平を期さなければならないのはその通りでしょう。もちろん、国民の知る権利もありますのでそれに応えなないといけません。半面、裁判では争点がある以上、訴訟当時者の情報が明らかにされることはプライバシー権を侵害することもありえると思います。特に刑事訴訟において個人情報が開示されることに関しては慎重であるべきだと思います。事件によっては被害者に更なる危害が加えられる危惧がないとは言いきれません。民事裁判においてもプライバシーを晒す必要性がどこまであるのか疑問です。それは肖像権でも同様です。インターネットでの裁判の中継の配信などは当事者のプライバシー権や肖像権や個人情報などの保護は必要だと思います。ただし、業務にあたる公務員や弁護士や検察官はそれに当たらないとは思いますが。ライブ配信は個人の権利を侵害する事故が起き得ると思うので特に避けるべきだと思います。ただし、原告と被告の双方が裁判の映像での公開を望む(同意する)場合は映像の公開できる運用を視野に入れた法整備を検討することも時代の潮流を考慮して必要になるのかもしれません。
憲法で定める裁判の公開は「裁判の公正」や「裁判の信頼性」を確保することを目的にしています。決して、裁判の内容や当事者の情報を不特定多数に開示する為ではないはずです。裁判の公開が人権を損なうことに繋がってはならないと思うのです。
例えば、訴訟の内容を記した記録を訴訟当時者がSNS等で公開することは法的に是認されません。裁判はたとえ公開であっても個人的にSNS等に公開することは当事者の人権を侵害することもあり得ます。
「不特定多数の者による傍聴や訴訟記録の閲覧が制度的に保障され,また,当該裁判を傍聴した報道機関により法廷に現れた事実として報道される可能性があるからといって,当該訴訟の原告であることが無制限に公表されることについて,法的保護を受けないことになるわけではない。上記の制度的保障によって知られる以外の場面では,当該情報は,なお,自己が欲しない他者にはみだりに開示されたくないと考えるのは自然なことであり,その期待は,上記(ア)のとおり,保護されるべき性質を失っていないからである。」
(平成23年3月17日名古屋高裁)
裁判が公開、つまり、傍聴が可能であり、裁判記録を閲覧することも可能であることから当事者の情報を不特定多数に開示することが法的に認められているわけではないことが上記の判例からも明らかです。裁判が公開であっても当事者の情報は法的保護を受けるということです。みだりにインターネット上などに当事者を特定できるような情報を明示することは名誉棄損など損害賠償請求の対象になり得るようです。
私は一律でのインターネットでの裁判のライブ配信には賛同できませんが、裁判の記録を議事録と共に映像での記録することを検討しても良いのではと思います。それは、公開を目的としなくても良いと思いますが、裁判の進行や証拠採用などの是非など原告や被告、傍聴者などが疑義を抱いた場合は疎明資料として録画映像があると良いと思います。裁判を録画することで裁判官も緊張感を持って法廷に臨めると思います。以前、私が原告の裁判に尋問で参加したことがあるのですが、私の尋問中に裁判官は寝ていました。居眠りというより熟睡でした。法廷に鼾が鳴り響き続けました。目の前にいた書記官のような人は私に向かって無言で小刻みに頭を下げて謝るばかりでした。私は数億円の被害を被った被害者である裁判です。判決内容によっては人生に少なからず影響するかもしれません。そんなことは構わずに裁判長は約30分近く爆睡を遂げました。裁判長にとっては裁判が日常ですので緊張感が薄れているのでしょう。しかし、私にとっては裁判に出廷するなんてそうあることではありません。録画があるとすれば私はこの裁判官の怠惰な態度を事後に叱責していたかもしれません。
話は少しそれましたが裁判を映像で保存することは色んな意味で有効かと思います。警察の取り調べの可視化は2018年から義務化されていて、2018年は87.6%、2019年は97.5%が可視化(録音・録画)が実施されています。ほんの数%の被疑者は可視化に同意しておらず、その場合は実施されません。取り調べの可視化によって行き過ぎた警察の捜査や冤罪の防止に繋がるとされています。警察の取り調べの可視化によって警察官や検察官の大声や文言による脅迫や暴力は根絶されると思われます。自白を強要されることはなくなりますので冤罪もなくなるはずです。警察の取り調べに関わる録画・録音の果たす役割は大きなものです。
裁判所においては既に裁判記録の開示が為されて来たので録画録音による劇的な変化はないのかもしれませんが、裁判官の姿勢を正し、緊張感を生むだけでも十分な効果だと思いますので是非実施してほしいです。だたし、その場合には原告被告が共に同意した場合に限ることは言うまでもありません。
以上、最後までご拝読を賜りありがとうございます。