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正直爺さんポチ連れて裏の畑で泣き寝入り

2021.08.19 11:18

子どものころ、学校帰りに立ち寄れるような身近な場所に書店があり

立ち読みでいろいろ本を流し読みしながら、

どうしても欲しい本があると、なけなしの小遣いで買い求めました。


少年時代は大阪府南部のあまり文化的ではない町に住んでいて

まわりには出版の仕事に就いている大人はいませんでしたし

自分が将来、出版に携わるなど、まったく思いもよりませんでした。


令和の今、世の中はごろっと変わり、

生活圏に書店があるなんてのは、

まるで都会人のみの特権みたいになってしまいました。


だけどネット書店や電子書籍の登場で、

その気さえあれば、誰にも出版する機会は開かれています。


極端に言えば、自分で出版するより

自分の目で本を選ぶことの方が困難な時代。


こういう世の中になった今、

もし、SNSやネットの書き込みがなかったとして、

インフルエンサーとか言われる人がいなかったとしたなら、

人はみな、何を頼りに本を買うのでしょうか。


ポピュリズムが非難される一方で、

「いいね!」やフォロワー数に代表される

多数決のような人気投票が消費や日常の行動を左右するようになっているようです。


数を稼げる「人気者」が発言力をもち、

資質の吟味は十分になされないままに

社会の要職に就くことも少なくありません。

五輪はもとより、そのことによる弊害が相次いで露見しています。


多様性、持続可能、脱炭素などなど

さまざまな人の立場や地球の将来を思う考えが広まっているはずなのに、

社会に支持されてきたはずの著名人が、さも得意げに弱者攻撃。

いったいどういうことなのでしょうか。


多様性とは裏腹に、むしろ、違う意見は一切認めず排除する

という窮屈な時代に向かっている。

長い歴史に培われた、長い目で人間を捉える

一見おかしそうに見えて、深い洞察が潜んでいる

というような人類の財産のような考え方が

どんどん葬り去られている。

そんな気がしてなりません。

もっと余裕のあった時代への逆戻りは、

もう、許されないのでしょうか


正直爺さんポチ連れて裏の畑で泣き寝入り

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