毎日よくなったらこうして、ああしてと、楽しい妄想をしてテンションを上げています
リウマチ感謝!さん、はじめまして。
私は2011年年末頃から顎、両肩、足の裏などに違和感を感じるようになりました。母がリウマチでもう15年も苦しんでいるので、「ひょっとしたら、私も、、、?」と自分でもすぐにリウマチを疑い、1月初めに病院で診断が下りました。
苦しんできた母を見ているので、いずれ私もああなるんだ、と目の前が真っ暗になり、しばらく何も手につかない状態でした。
そんな時、ネットでリウマチ感謝!さんのサイトに出会ったのです。「リウマチは治らない」としか思っていなかった私、それが冒頭の「リウマチは努力次第で必ず治せる」という言葉にハッとしました。
早速、『リウマチ感謝!』の書籍を注文し、一気に読み耽りました。 私は15年前に台湾人と結婚し、台湾の地方都市に住んでいます。『リウマチ感謝!』を読み進めていくにつれ、私の中に再度絶望感が。。。。
ここは台湾、 リウマチ感謝!さんや他の皆さんのように日本の通信販売を気軽に利用することも難しい、セミナー等にも参加できない、台湾の病院での診察も言葉の壁がある(私の中国語は何とか日常生活に困らない程度)、日本と同じ食材を手に入れることは困難、などなどできないことばかりが多いような気がして、はっきり言ってリウマチ感謝さんのように治すことは無理ではないかと感じたのです。
でも、本を終わり近くまで読み進めるにつれて、やはりそうではないのかも、と感じるようになってきました。自分がリウマチになった原因をはっきりと見つめること、幸せは人を責めることでは得られない、病気は本当の幸せと健康を手に入れるチャンス! などなど、今の私の心にズシンと響く言葉ばかりでした。
思えば私がリウマチになったのは、母からの遺伝体質もあるでしょうが、15年の結婚、それに伴う海外生活の様々なストレス、主人とその家族に対する不満やイヤなことを自分の中に閉じ込めてしまい、一人で苦しんでいた(とその時は思っていた)ことにあると思っています。
リウマチを発症した時期は、離婚を真剣に考えるほど自分を追い詰めていました。もしリウマチにならなければ、私はますます自分を追い詰め、主人や子供だけでなく、もっとたくさんの周囲の人々を不幸にしてしまっていたかもしれません。
リウマチが私にそのことを教えてくれました。病気は心のシグナルなのですね。
学生の時に、家族に対する不満から過食症になり、娘が幼稚園くらいの時には私の情緒不安定から娘が吃音になりました。(今は過食症、娘の吃音とも解消しています。)
「病は気から」って言葉、身にしみてたはずなのに。。。今度こそ三度目の正直で、自分の気持ちでリウマチを克服してみせます。
今、丹田式呼吸法と、半身浴、寝る前のイメトレなどを試行錯誤でやり始めています。台湾にいて、リウマチ感謝!さんや他の完治された方々と同じようにできるのはこれくらいしかないし、第一お金もかからない!
そして、仕事をしないでのんびりさせてくれている主人に感謝してゆったりした気持ちで過ごしていこうと思っています。毎日、良くなったらこうして、ああして、と楽しい妄想をして、テンションを上げています。
ブログでのリウマチを克服された方々の体験記も読んでいてとっても励みになります。皆さんが本当に様々なことに挑戦されながらも最後は自分の努力で克服されたことを思うと、私にもできないことはないような気がします(自信過剰!?)
それに、台湾にいて悪いことばかりじゃありません。何よりも暖かいこと、外食しても安いし、病院の診察代だって日本の何分の1なんです。
でも病院で出された西洋薬の抗リウマチ薬と痛み止めはやはり続けています。今の主な症状は、起きた時の手のこわばり、足裏の腫れ、両肩から手にかけての焼けるような痛み、立ち上がる時の膝の痛み、歩行が超スロー、等といったところ。でもいずれ西洋薬をやめる決心もつくといいな、と思っています。
それに今は私がリウマチになんてなってる場合ではない! 子供ももう小学生でさほど手がかからないし、これからちょくちょく日本に帰って母の世話をしなくちゃと思っていたところだったんです。
母には私がリウマチになったことを言えないでいますが、元気になって日本に帰り、母にも少しでも元気を分けてあげたいのです。母や主人、子供たち、多くの友人が私が元気になるのを待ってくれている、と思うだけでも幸せです。
発症してからはまだ4ヶ月ぐらいで、リウマチ体験記、というよりは、これからの努力宣言!といった感じになってしまいました。努力が実ってうれしい報告ができるように頑張ります。
【台湾在住 鏡征代様 2012年3月29日記】