非武装によって平和は訪れない
アメリカのバイデン大統領は、米同時多発テロから20年の節目となる9月11日までに、アフガン駐留米軍を完全に撤退させると表明し、アフガニスタンから米軍が撤退し始めたため、反政府武装勢力タリバンが侵攻を開始し、8月15日首都カブールが陥落し、ガニ大統領は国外へ逃げた。
そこで、「武」にまつわる言葉ついて、つらつらと述べようと思う。
1 「あらそう」と「争」
大和言葉の「あらそ(争)う」の「あら」は「あら(荒)」で、「そう」は「きそ(競)う」の「そう」で、「きそ(競)う」は「きお(気負)う」に由来するから、負けまいと意気込んで荒々しく競うのが「あらそ(争)う」という本来の意味なのだろう。
これに対して、世界最古の漢字辞典である『説文解字(せつもんかいじ)』(西暦100年頃)によると、「爭引也」(争(そう)は引(いん)なり)とある(読み下し文:久保)。つまり、「争」の原義は、引くことだ。
そして、下記の絵のように、「争」という漢字の最も古い形状は、三又に分かれた鋤(すき)又は鍬(くわ)を上下から手で引っ張り合う形だそうだ。
漢語は、大和言葉と異なり、対象・原因を盛り込んでいる点で、即物的だ。
後藤朝太郎著『文学史第1巻』(昭和18年)16頁より
古代支那(しな。chinaの地理的呼称。)では、争いの原因が農具だったというのが面白い。
現代社会に生きる我々にとって、鋤鍬は、ホームセンターで手軽に買える道具の一つにすぎないが、よく考えてみると、古代の農耕社会において、農具ほど貴重な財産はない。農具がなければ、土地を耕作することができず、食べていけないから、農民にとっては命の次に、否、命よりも大切な物だったことだろう。しかも、現代の農具は、安価な大量生産品であるのに対して、当時の農具は、全て手作りだから、青銅製や鉄製の農具は、きっと高価だったに違いない。
子供の頃、家庭菜園で農作業をしたことがあるので、農業の大変さを多少は知っているつもりだったが、上記の絵を見るまでは、農具の貴重さにまで思いが至らなかった己を恥るとともに、古代支那の貨幣(「布幣(ふへい)」という。鋤の一種である「鎛(はく)」が同音の漢字「布」に代用されて、「布幣」と書かれるようになったそうだ。)が鋤鍬のミニチュアであることが初めて腑に落ちた。
https://www.imes.boj.or.jp/cm/research/kinken/mod/gra_china2.pdf
2 「たたかう」と「戦」
このように大和言葉の「あらそ(争)う」は、競うだけで、暴力を振るうわけではないが、これがエスカレートすると、「たたか(戦)う」になる。
「たたか(戦)う」は、「たた(叩)きあう」に由来する。青銅器や鉄器が移入されるまでは、日本では棒や石器で叩き合って戦ったのだろう。
これに対して、『説文解字』によると、「戰鬥也(戰(せん)は鬥(とう)なり)。从戈單聲(戈(か)にしたがい、單(ぜん)を声とする)。」とある(読み下し文:久保)。
https://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/ho04/ho04_00026/ho04_00026_0012/ho04_00026_0012.pdf
「戈(か)」は、現代でも「干戈(かんか)を交える」と表現するように、L字型の「ほこ」を意味する。
そして、「鬥各本作鬬」(鬥(とう)はおのおの鬬(とう)を作る本(もと)なり)とある(読み下し文:久保)。
「鬬(とう)」は、常用漢字では、「闘」と書くが、「門(もん)」とは無関係らしい。下記の絵にあるように、二人の人が壺に入った食料と斤(おの)を奪い合っている様子を描いたのが「鬬」なのだそうだ。私には、二人の人が棒状の武器を持っているように見える。
古代支那における闘(たたか)いの原因が、備蓄している食料と斤であることが面白い。
後藤朝太郎著『文学史第1巻』(昭和18年)6頁より
なお、「單」(常用漢字では「単」。)は、通常「たん」と音読みするが、匈奴(きょうど)の「冒頓単于(ぼくとつぜんう)」のように、「ぜん」と音読みすることもある。ひょっとしたら、本来の音読みは、「ぜん」ではなく、「せん」だったから、「戦」を「せん」と音読みするのかも知れない。
そして、論者によって説明が異なるが、「単」は、二又に分かれた武器を意味すると説明されている。
しかし、私は、「單」のデザインからすると、下記の写真にある四神旗(しじんき。青龍・白虎・朱雀・玄武をそれぞれ描いた四本の旗をいう。)や錦の御旗のような、二又に分かれた矛(ほこ)に短い旗を付けた物のように見えるのだ。
二又の矛に旗を付けた物を旗印として先頭に高々と掲げて、戈(か)を持った兵隊が行進している様子を描いたのが「戦」ではないかと思うのだが、如何なものだろうか。ど素人の考えなので、鵜呑みにしないでいただきたい。
https://www.chuko.co.jp/boc/serial/shishin/
https://bbs4-imgs.fc2.com//bbs/img/_308700/308675/full/308675_1258812814.jpg
3 「いくさ」と「軍」
さて、戦いの規模が大きくなると、いくさ(軍)になる。
大和言葉の「いくさ(軍)」の語源には、諸説あるそうで、「いく」は、的(まと)を意味する「いくは」、若しくは射るを意味する「いくう」、又は矢を意味する「さ」に関係していると言われている。
古来より、我が国では、鏑矢(かぶらや。射ると、矢の先端に取り付けた中が空洞の鏑(かぶら)の穴から空気が入ってピューッと大きな音を発して飛ぶ。)を射ることを合図に「いくさ」がスタートするのが慣わしだから、「いくさ(軍)」の原義は、「矢を射ること」なのだ。そして、敵の大将を討ち取るか、敵が降伏すれば、「いくさ」は終了する。
古来より、このような「いくさ」の作法が長年のしきたりとして慣習法化している点が興味深い。これは、とりもなおさず「いくさ」が、ルールなしの無差別殺人ではなく、トラブルを解決するための方法として確立していたことを意味するからだ。また、敵の大将を討ち取りさえすれば終了なので、無駄な血を流さずに済む点で、残虐なことを好まない国民性に合致したルールと言える。そして、これが将棋としてゲーム化しているのも面白い。
これに対して、『説文解字』によれば、「軍圜圍也(軍(ぐん)は圜圍(かんい)なり。四千人為軍(四千人を軍となす)。从車、从包省(包(ほう)の省(はぶ)きにしたがい、車(しゃ)にしたがう)。軍兵車也(軍(ぐん)は兵車(へいしゃ)なり)。」とある(読み下し文:久保)。
古代支那では、4千人をもって一軍としたわけだ。兵車(へいしゃ)は、下記のような戦闘に用いる車だ。
兵車には、他にも色々な種類があるし、歩兵もいただろうが、下記の軽車の場合、御者1名に兵2名の計3名だから、単純に軍4千人を3名で割ると、約1333台の軽車で一軍が構成されていることになる。実際にはもっと台数が少なかったはずだ。
平野が狭い日本とは異なり、古代支那では大平原でこのような兵車を用いて戦争をしたわけで、スケールがでかい。兵車が何百台、何千台も隊列をなして全力疾走で突進してきたら、敵は逃げ場を失う。
そして、「圜(かん)」も「圍(い)」も、囲むことを意味する。「包(ほう)の省(はぶ)きにしたがい」というのは、包むの勹の省略形が「軍」の冖だというわけだ。従って、兵車で包むように取り囲むことを「軍」と呼んでいたわけだ。
つまり、ぐるぐると疾走する兵車で取り囲んで敵を皆殺しにするのが「軍」なのだ。
漢民族同士だけでなく異民族との間でも戦争を繰り返してきた支那らしい戦法であり、それは同時に、支那が敵を皆殺しにしなければ生きていけないほど過酷な状況にあったことを物語っている。
https://three-kingdoms.net/12471
4 「たけし」と「武」
大和言葉の「たけし」は、「たか(高)」や「たける(猛)」と同じく、勢いが盛んで強いさまを意味する。
これに対して、「武(ぶ)」という漢字は、戈(か)と止(し)から成っていることから、戈(か)を止(「とど」又は「と」)めることが「武」だと考えられてきた。
すなわち、『春秋左氏伝(しゅんじゅうさしでん)』の宣公十二年に「夫文止戈為武」(それ文(ぶん)に戈(か)を止(とど)めるを武(ぶ)となす)とある(読み下し文:久保)。
つまり、戈を止めると書いて武というわけだ。
『説文解字』も、これを引用して、「 武楚莊王曰夫武、定功戢兵。故止戈為武。」(武(ぶ)は、楚(そ)の荘王(そうおう)いわく、それ武(ぶ)は、兵を戢(おさ)め功(こう)を定(さだ)める。故(ゆえ)に戈(か)を止(とど)めるを武(ぶ)となす。)とある(読み下し文:久保)。
「戢(音読み:しゅう、訓読み:おさめる)」は、おさめる、しまう、しまいこむという意味だ。「功(音読み:こう、訓読み:いさお)」は、いさお、てがらを意味する。
要するに、軍隊は、進軍して攻撃するだけが能じゃない。そこに存在するだけで抑止力になるから、軍隊を駐屯(ちゅうとん)させて、周囲に睨みを効かせることで無用な戦争を回避し、平和を保つことができるのであって、武力行使をとめてとどまることが「武」だというわけだ。
『春秋左氏伝』の宣公十二年には、「夫武禁暴戢兵。保太定功。安民和衆。豊財者也。」(それ武(ぶ)は、暴(ぼう)を禁(きん)じ兵(へい)を戢(おさ)め、太(たい)を保(たも)ち功(こう)を定(さだ)め、民(たみ)を安(やす)んじ衆(しゅう)を和(やわ)らげ、財(ざい)を豊(ゆた)かにするものなり。)とある(読み下し文:久保)。
つまり、武は、兵の暴虐を禁じて、兵をおさめ(駐屯地にしまいこみ)、平和を保って、論功行賞を行い、民を安心させ、民衆の心を和らげ、経済を豊かにすることだというのだ。この禁暴・戢兵・保太・定功・安民・和衆・豊財を「武有七徳」という。
日本にも沖縄等に米軍が駐留しているので、言わんとするところがよく理解できる。
ところが、世の中には、平和とは、軍隊のない世界だと考える人々がいる。理想は結構だが、現実にはあり得ない間違った考え方だ。
古今東西を問わず、平和とは、武力の均衡によって成り立っている状態にすぎない。ある地域に武力の真空状態が生じると、武力の均衡が崩れて、戦争に至るのが冷厳たる事実だ。
現に、アフガニスタンから米軍が撤退したことにより、武力の真空状態が生まれて、武力の均衡が崩れ、タリバンが侵攻してきたのだ。お若い方々は、アフガニスタンを忘れないでいただきたい。我が国から米軍が撤退すれば、その分自衛隊を増強しない限り、同様の事態になるからだ。
にもかかわらず、社会党委員長の石橋政嗣『非武装中立論』(1980年、明石書店)や憲法学者の小林直樹『憲法第9条』(1982年、岩波新書)は、自衛隊は憲法第9条に違反するから、これを解体し、米軍を撤退させて日本を非武装にした上で、中立の立場を採れば、平和になると主張していたが、頭がお花畑でない限り、これはまさに武力の真空状態を作出して、ソ連や中国などに日本を占領させんとする外患誘致のプロパガンダだ。リアルタイムで本を読んだが、お金をドブに捨てた気分だった。
お金と言えば、我が国は、アフガニスタンに莫大な投資をしている。下記のPDFをご覧になれば、その金額に腰を抜かしますよ。今後のタリバンの対応如何によっては、本当にお金をドブに捨てたことになる。
なぜマスコミは、アフガニスタンの女性の人権ばかり報道して、日本の投資については報道しないのだろうか。中国がタリバン政権とウィグル問題に干渉しないことを条件にタリバン政権を国家承認する可能性があり、その結果、日本の投資の成果が中国に奪われることを隠したいのだろうか。
https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/files/000497951.pdf#page=168
なお、最近の研究によれば、「止」という漢字は、足の形であり、「とまる」・「とどめる」という意味の他に、「進む」・「行進する」という意味があり、「武」は、戈を持って進む、攻める、戦うという意味なのだと考える説が一般的だそうだ。
つまり、武は、戈を止めるという解釈は、学術的には間違っているわけだ。
https://www.kanjicafe.jp/detail/6559.html
しかし、古来より、支那でも日本でも、「武」は、戈を止めることだと理解されてきたという事実の方が大切であり、学術的に間違っていても従来の解釈の方がより良い教訓を得られると思う。
それにしても、古代日本に漢字が移入された際に、膨大な漢字一つひとつの意味に合った大和言葉を当てはめて訓読みをした先人の努力には、本当に頭が下がる。この先人の努力なくして、現代日本の文明・文化は存在し得ない。
最近、本を読まない人が増えているそうだ。現代文ですらそうならば、古文や漢文を読む人はかなり減っているのかも知れない。
多文化共生という名の日本乗っ取り計画が推進されている時代だからこそ、日本人のアイデンティティーを守るため、かかる先人の努力に敬意を払い、日本語を後世へと伝えていくことが求められている。