Ameba Ownd

アプリで簡単、無料ホームページ作成

「宇田川源流」【お盆休みの歴史談義】5 地産地消と歴史上の人物

2021.08.20 22:00

「宇田川源流」【お盆休みの歴史談義】5 地産地消と歴史上の人物


 地産地消というもの、これは昔の「名産品」につながるのですが、それは、庶民そのものができる訳ではありませんし、政治のトップが指導してできる物でもないのです。まずは、必要なものは何かということを考えます。

 ここで「必要なもの」というときに「なぜ必要なのか」という理由が異なる場合があります。例えば、雪国におけるかんじきや防寒具は「生活に必要」ということになります。なければ、生活が不便であり、雪に関する物であれば、場合によっては命を失ってしまうということもあるので、「必要」ということから、自然発生的に作られることになりますし、また改良されてゆくということになります。

 一方、例えば山田方谷が全国に広めた「備中鍬」などは、「便利」ということになりますし、また、新しい発明品を経済的なブランディングして効果を得るために販売しています。つまり「売った人」は、備中そのものの地名のブランディング的な地域名の上昇と、経済的な効果があるということになります。

実際に、備中松山藩は、通常の鍬の4~5倍で売れたということになりますし、「備中鍬」と名づけることによって、他の真似をする人を封じる効果があったということになるのです。そして、もう一つは「買った人」は、今までよりも労力が少なく便利なものを手に入れることができるので、得をするということになるのです。このように「経済的に」または「藩としてのブランディング」ということになるので、これは「偉人」が主導して行っているもので、その歴史上の人物が許可を与えながら、委託された業者が作っているということになるのです。

 そして、もう一つが、以前に書きましたが、他の地域でできたものと同じようなものが欲しいが、しかし、自分の地域ではそのものが作れない場合に、代替品で作るというものです。基本的には、なにか「代わりのもの」を作るということが非常に日本人の場合はうまいということになります。清酒の代わりに芋や麦、蕎麦で焼酎を作ったり、あるいは、糠の代わりに酒粕を使って粕漬を作るなど、様々な工夫をしている状況があります。このほかにも、地域を回れば様々なものが、「代替品」ということで、使われていることがわかります。

 最後に「物流の過程でできてしまう新しいもの」ということがあります。例えば信州にある「塩烏賊」や「蜂の子」、高知の「鰹の藁焼き」や「鰹叩き」など、魚などが腐ってしまうために、加工をしたり、あるいは塩で包んでみたり、またはニンニクなどで味を使たりというような感じになります。そもそも「江戸前寿司」であっても、腐らないために、シャリを酢で作り、魚を腐らないようにするということになります。そのために味付けがお酢などでつくことになり、そしてそれが名物になっているのです。

 このように「名産品」は「必然性」と「経済性」によってつくられるということになるのです。このようにして「人」が「名産品」をつくるのです。そしてそのものを「広める」または「流通させる」そして時代の移り変わりに次いで、保護する、または焦点を当てるということも、合わせて人が行うということになります。

 もちろん間違っている場合もあります。それを笑い話にしたのが「目黒のサンマ」という落語になります。まさに、目黒のように海のない所のサンマがもっともおいしいと偉い武士(確か将軍であったと思いますが)が言い始めるということは、「物を知らない高級武士」と「土地」と「もの」の関係が様々な話を作るのです。

 もう一つは「単純においしいだけ」ということはうまくゆかないということです。

 ここで言えることは目黒のサンマもそうですし、また、山田方谷による備中鍬を流通させた藩政改革も同じですが、「人は物語を求める」ということになります。実は物語を作ることができるのは人だけです。もちろん、「擬人化された自然」や「擬人化された神」も、または妖怪や幽霊などもありますが、しかし、実際にはそれらも擬人化されているということから、「人」が物語を作り、その物語に共感があるので多くの人が「感情を移入する」ということになります。

単純に「土地や環境が違う人が感情を移入して共感でき、喜怒哀楽を示すことができる」ということが最も重要であり、それが最も人々の印象に残るということになるのです。

 実は、共感を得られる物語がついて、そのうえで、人が焦点が当たり、その人が使った道具や、その人が作ったもの、食べた食事や飲んだ酒などが、「物語」の小道具となって出てくることになります。そして、それらを共有することが「時代」「土地(地域)」や「人のパーソナリティ」を超えて「印象に残る」ということになるのです。なにも史実や事実ばかりを描くことではなく、その内容を「物語」として、整えることが最も重要なのではないでしょうか。

 もちろん「物語」が本人を越えてしまう例は山ほどあります。坂本龍馬が最も良い例でしょう。そもそも坂本龍馬は、司馬遼太郎の「竜馬がゆく」までは、全く無名の人物でした。土佐高知の有名人といえば武市半平太の方がはるかに有名であったのです。しかし、今や坂本龍馬が有名になり、武市半平太などは知っている人の方が少なくなってしまいます。物語の力というのはそこまでの力があります。それだけでは無く坂本龍馬の実像よりも大きな人物になっているのではないでしょうか。

 しかし、今や実像よりも、司馬遼太郎の書いた「竜馬がゆく」の坂本龍馬の方が有名になっていますし、そのことを大きく宣伝する芸能人も少なくないのです。そして、坂本龍馬の持っていた物に関する内容や、坂本龍馬の好きだった愛用品の人気が上がるというようになっています。物語というのは、そのような力があります。

 実際に「物語」を「作り物」というように馬鹿にする人もいますが、しかし、そのような人々は、「地域」と「歴史」の関係をあまり良くわかっていないのではないかと思ってしまうのです。実際に、坂本龍馬などは作り話、少々誇大表現でやっているようなこともあります。ではそんなことはなお「聖人」といわれる山田方谷であっても、備中松山城を無血開城にするにあたり、藩士を説得するのにかなり様々なことを言っているのではないでしょうか。もちろん、「至誠惻怛」ですから、そのようなことはないのかもしれませんが。

 このように「物語を求めている一般の市場」ということを考えれば、当然に、当時も庶民の間に何か物語を多く出していたということになるでしょう。そのようなこと考えてみてみれば面白いのではないか。