国譲り神話と古代人
大国主神の「国譲り」
日本神話に登場するオオクニヌシの神(大国主神)は、因幡の白兎を助けた情け深い神様でした。出雲(島根県)地方を中心に、広い国土を立派に治めていました。いっぽう、今の皇室の祖先神とされるアマテラスオオミカミ(天照大神)は、高天原で神々と相談し、オオクニヌシに国土の統治権を譲りわたすよう、使者を派遣して交渉することにしました。しかし、1回目と2回目の使者は、オオクニヌシに従ってしまい、帰って来ませんでした。最後に遣わされたタケミカズチ(建御雷神)は、出雲の稲佐の浜に着くと、刀を突き立ててその刃先の上にあぐらをかき、大声で言いました。「この地上の国はアマテラスの子孫が治める国である。この国を譲りなさい。」オオクニヌシは2人の息子の意見を聞いた上で、次のように答えました。「息子たちの言うとおり、この国を献上いたします。ただ、私の住み処として、大地の底まで宮柱がとどき、高天原まで地木が高くそびえ立つほどの、大きく立派な神殿をつくって私を祀ってください。そうすれば、私は引退して身をかくします。」
古代日本人のものの考え方
『古事記』に書かれた「国譲り」の神話には、古代日本人の思想を読み解く手がかりがふくまれています。第1に、アマテラスオオミカミは高天原の神々と相談して使者の派遣を決め、オオクニヌシも息子の意見を聞いて身のふり方を決めています。日本には、古来よりできるだけ話し合いのもとでものごとを決める合議の伝統があったのです。第2に、世界の他の地域なら、国土を奪い取る皆殺しの戦争になるところですが、「国譲り」の神話では、統治権の移譲が戦争ではなく話し合いで決着しています。第3に、オオクニヌシの心境を考えてみると、自分は何も悪いことをしていないのに、汗水垂らして苦心の末につくりあげた国を他者に譲るのですから、オオクニヌシはさぞかし悔しい思いをしたに違いありません。そこで、希望どおりの巨大な神殿がつくられ、オオクニヌシを祀りました。それが出雲大社です。勝者は敗者に対して、その功績を認め名誉をあたえ、魂を鎮める祭りを欠かさない。古代の日本人はこうした譲りあいの社会の在り方を理想としていたのです。平安時代、子供のもの覚えのためにつくられた「雲太(うんた)、和二(わに)、京三(きょうさん)」という言葉があります。日本で背の高い建造物を3人兄弟にたとえて、①出雲大社(出雲太郎)、②奈良の大仏殿(大和次郎)、③京都の御所の大極殿(京三郎)の順だというのです。
姿をあらわす巨大空中神殿
今の出雲大社は高さが24メートルですが、最近、宮柱の根元が発見され、確かに奈良の大仏よりも高い48メートルの空中神殿を建てることができたことがわかりました。天皇の宮殿や奈良の大仏よりも巨大な空中神殿をつくってオオクニヌシを鎮魂したのは、日本が国家統一を成し遂げる上で「国譲り」がそれだけ重大なできごとだったことを暗示するのではないでしょうか。2003(平成15)年、出雲大社を訪問された美智子皇后陛下(当時)は、次のようなお歌を詠まれました。
国譲り祀られましし大神の
奇しき御業(みわざ)を偲びて止まず