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【神人靈媒日記 2021.1.7】 〜指導靈との対話/過去の疑問について〜

2021.08.22 00:00

【神人靈媒日記 2021.1.7】 〜指導靈との対話/過去の疑問について〜 


 私: 教えて頂けますか?なぜ、このような状況になったのか? 

 指導靈: わしはあんたが間違っておるとは思わんよ。

むしろ正しいことを言ったからこそ、そうなったんやわ。 

 私: わたしが正しいことを言ったから、疎遠になることになったということですか? 

それは、間違いないのでしょうか? 

わたしに非がありますか? 

 指導靈: あんたは何も間違っておらんよ。正しいことを言っている。

せやけど、相手には分からんのんや。なぜそのようなことを言っているのか? 

必要な情報が足らんということと、思い込みの囚われが強いゆえ、

あんたの言葉は受け入れられんのんや。 

受け入れるためには、それなりの知識も必要。

思い込みを手放すことも必要。

何より己の我を己で押されられるようにならんと、あんたとは話し合えんのう。 

 私: そうですか。やはり難しいですか…。 

 指導靈: それは仕方ないことじゃ。

分からんもんは分からんのんや。分かる時になったら分かるやろけど、

その頃はもう疎遠になってしまった後になるやろなぁ。 

 私: そうですか…。とても残念ですが、それは仕方ないことですね…。  

教えてほしいのですが、ひとつひとつ確認させて頂いて宜しいですか?  

日聖さんが、わたしの指導靈となられたのは、わたしが大阪にいた頃になりますか? 

 指導靈: そうじゃなぁ。 

 私: わたしは靈媒としてどうやって生きて行けば良いか分からず、

毎日のように死ぬことばかり考えていたある日、

"知らないお爺さんと幼いわたしが手を繋ぎながら夕陽を眺めている"という光景を靈視しました。

 その時のお爺さんとは、どなただったんですか? 

 指導靈: そりゃぁなぁ。わしでもあり、あんたの近親靈の方々でもあり、また誰でもないんじゃよ。

 私: 誰でもあり誰でもないとは、架空の存在ということですか? 

 指導靈: そうじゃなぁ。あんたは独りではない。

ちゃんとあんたの側にいて守っておるものが居るということを、

伝えるために見せた光景のひとつやなぁ。 

 私: なるほど。納得出来ました。誰でもあり誰でもないということの意味が。 

あの時、「大丈夫じゃよ。あんたの人生は良くなってゆくよ」と、とても優しく言ってくれました。

 わたしは、ただただ嬉しくて泣けてきて甘えられて、頼り甲斐のある氣に包まれていました。 

 指導靈: そうじゃったなぁ。わしはその頃から指導靈の一人として居たんじゃよ。 

 私: わたしは和歌山にいた頃、太陽靈団によって魔界から救い出され甦り、

それから靈的な指導を受けることとなりました。  

日聖さんは、太陽靈団からの使者でしたか? 

 指導靈: そうじゃ、わしは靈団からあんたを視てゆくようにと言われて、

指導靈として関わるようになった、その一人や。 

 私: ありがとうございました。たくさん御指導下さり感謝します。 

 指導靈: あんたは、あの頃だいぶ疲れておったなぁ。

生きることに氣落ちしており、心身共に全く生氣が無くなっておったのう。

悪靈に憑依され続けてもおった。 

 私: そうでした。自分でそれらを引き寄せていたんでしょうね…。

20数年前は生きてゆく目的や、未来に希望を見出すことなど出来ず、

靈媒体質の苦しみと経済苦に押し潰され、ただただ楽に死ぬことばかり考えていました。 

 指導靈: そうじゃったのう。よくわしにもたてついて叫んでおったわい。 

 私: そうでしたか。 もしや、問答の靈人だったとか? 

 指導靈: そうや、よう分かったのう。 

 私: 今、瞬間で思い出しました。 「それは、なぜじゃぁ?」の連続で、

毎回氣が狂いそうになってました。 

 指導靈: そうじゃったのう。あんたがなぜそう思うのか?

自分で理解するより他に道を説くことが出来んと思ってのう。 

腹ただしかったろうけんど、しつこくしてみたんやわ。 

 私: でも、あの「なぜじゃぁ?」によって、

確かになぜ自分はそう思うのだろうか?と自問自答し思考を見つめるきっかけになりました。 

 指導靈: ほうけぇ、それならええんや。 

 私: わたしは何んで自分はこんな風になったのか?

頭が狂ったのか?心が病んだのか?それとも悪霊に取り憑かれているのか?

どうやったらゆっくり眠れるのか?どうやったら変な声が聞こえなくなるのか? 

そんなことばかり毎日毎日考えていました…。 

 指導靈: そうじゃったのう。わしは側で話し掛けてやるより他に何も出来んかったわいのう。 

 私: ある日、淀川の公園で、子供たちがわたしを囲み、話し掛けて来た時のことですが、

あれは子供たちの思考を操作してわたしを導いたのでしょうか? 

 指導靈: せやな。あん子らはみんなわしらに使われたんやわ。

憑依して喋ったんは、わしやで。 

 私: 本当ですか? 

 指導靈: ほんまや。中心となって話した坊主は。わしや。 

 私: それは初めて知りました…。 

 指導靈: せやな。話しておらんかったからのう。 

 私: 「おっちゃん、今日は歌、唄わんのか?おっちゃん、

なんで歌わんのや?おっちゃん、歌上手いやんけ。また歌、唄いやぁ。」 

「おっちゃん、あんなぁ、人生、色々あるかもしれんけんど、

ええこともあるし、頑張って生きやぁ。ほんじゃなぁ。」 

 指導靈: せやったなぁ。そう言った。 

 私: あの頃は、子供らに馬鹿にされたとしか思えず憤慨しましたが、

後々考えると初めて会って話す子供がそんなこと言う訳がないですよね…。 

それで、あの後でわたしは、本気で変わりたい!と心の底から思いました。 

そしたら、「そうけ、変わりたいんか?」ってまた声が聞こえて、 

あぁ、変わりたいわ!って言ったら、

「ほんなら、3つのことを教えたる。」って言われたんです。 

それも、日聖さんだったんですね…。 

 どうもありがとうございました。 


 2021.1.7 神人 拝