怖いものがなくなる
スピリチュアリズムを勉強すると「怖いもの」が完全になくなります。
まず万人が怖れを抱く「死」。
これは魂の永遠性と死後の世界の存在証明がなされているので、人は死んだあと無になるのではなく、その後も地上と似たような生活を送るという霊的事実を受け入れれば、死ぬ恐怖が半減します。
そこで更に死後の世界のメカニズムを探求すると死ぬのが楽しみと化します。
私のように胸躍る状態になれば、その時点で死への恐怖度数はゼロ。
死への怖れが失せれば、この世に怖いものはなくなり、泰然自若としていられます。
次に「失う怖さ」。
この大半が大切な人との死別でしょう。
家族や友人・恋人がいなくなるのは誰しも辛いこと。
しかし、スピリチュアルな真理では、あの世へ行くと先に亡くなった人たちと「再会」できると言います。
現世ではもう会えなくても、自身が寿命を全うしてあちらの世に行けば、必ず会えるのですから、大切な人を失う恐怖に怯える必要はありません。
人以外でも、大切な物を失うのが怖いという人もいるでしょう。
これに関しても心配ありません。あの世には、この世の万物が全てあるのです。
家も車も服も食べ物も、自身が大切にしていた物がなんでも。
仮にこの世でそれらを失っても、向こうで再び入手すればよろしいのです。
前述の人を失うのと一緒で、一時的にはお別れ状態ですが、何十年か経過すれば改めて会えるのですから、何かを失う恐怖など感じる必要はありません。
次に「病気」。
これは死と匹敵する程の怖さでしょう。
月並みのことを言うようですが、肉体の病は生活習慣や食生活、常日頃から健康を意識してまともなライフスタイルを送っていればまず罹りません。
スピリチュアルでは「その人の身の丈以上の試練は起きない」という真理があります。
要は、乗り越えられない試練を神が人間に与えることはしないということ。
特殊な奇病や治療困難な大病に侵されても、その苦は分相応なものなので、決してクリアできない難題ではないのです。
確実に突破できることなのですから恐怖に慄く必要はありません。
もしそれで命を落としたとしても、「死は救済であり幸福の幕開け」なので、肩を落とさず意気揚々と幸せの光を掴みましょう。その先に天国である幽界・霊界が待機しているのです。
恐怖や不安が生まれる原因は「無知」です。
恐怖対象が未知であり、それらについてなんの情報も知らないために恐怖が湧き出てくるのです。
無知を「知」に変えましょう。
スピリチュアル真理、宗教真理、哲学真理。様々な分野から真理を獲得して悟りを開くのです。
すると、心に潜んでいた恐怖という魔物は煙の如くスーッと消えていき、そこには煌びやかな幸福の灯がともることでしょう。