松島の旅
黄 文葦
今年の春、一年半ぶりに日本国内旅行に行った。憧れの日本三景松島へ。
3月末、緊急事態宣言が解除されたばかりで、宮城県の感染人数が急増している中、ちょっと躊躇いがあったのが、大震災十年後の東北を訪れたい気持ちが強くて、三月の最後の週末に旅を出た。実に一週間前、東日本大震災の余震とみられた地震のあと、松島にも津波警報が出た。今回の旅をするには、ウイルスと地震を警戒しなければならないだろう。
その日、松島の海が穏やかであった。松島海岸駅を出て、ホテルに行く前にまず伊達政宗ゆかりの瑞巌寺を見学。瑞巌寺の国宝の庫裡に入るには、土足禁止。筆者がスーツケースを持っているのを見た一人お年寄りの警備員が声をかけてくださった。「スーツケースは床を傷つける恐れがあるので持ち込まない方がいい。私はスーツケースを見ていてあげるよ」と優しく言った。 確かに、スーツケースを文化遺産の場に持ち込むことは配慮不足だ。親切な対応を頂いて、リラックスした見学ができた。
不思議に、週末の時間帯には、この広い重要文化財の建物を訪れる人は3〜5人しかいないようであった。 一つ一つの「金壁荘厳光を輝し」(松尾芭蕉語)の障壁画をじっくり贅沢にまわって吟味した。歴史の雰囲気を感じる木の床を棉のスリッパでゆっくり歩くと、わずかに床のきしむ音が聞こえてくる。一瞬、自分が古代の大奥に身を置くと錯覚を覚えた。
松島湾とその周辺に60余りの島々を浮かぶ。海に架けられるいくつかの赤い橋が、松島とそれらの小島を結んでいる。その中、一番長い橋は福浦橋(全長252m)、一番大きな島は福浦島。 太平洋からの清々しい風に吹かれて、朱塗りの橋を歩くのはとても爽快だ。自然から遠ざけたり、身体を動かなくなったりすると、脳も五感も歪になっていく訳だろう。新型コロナ時代、肌で感じる花と木のある自然風景がとても貴重なものになっている。
翌日、松島湾に雨と強風のため、多くの遊覧船が欠航になってしまった。湾内一周遊覧船コースの予定だったのが、変更して、藤田喬平ガラス美術館と松島海岸駅前の松島離宮を見物。 また不思議なことに、その時間に、美術館の中、観客は自分しかいなかった。一人で貸し切りのように、ガラス芸術品を勘能した。コロナ時代の旅には、未曽有の体験があった。言葉を失うほど美しくて日本とヨーロッパの文化を融合させた柔らかく花のようなガラス芸術品たちである。
ヴェネツィアの製作活動について、藤田喬平は以下の語録があった。「しかしよく考えてみると、美しいものに対しては、日本も外国もなく『美しいものは美しい』という見方があるんだよね。僕はこの二つの国から素晴らしい感覚を受け継いだと思っているよ」。 美しいものには国境がない。二つの国から文化的な感性を受け継ぐ。肝に銘じる言葉である。赤、緑、黄色カラーバリエーションのガラス食器は中国の赤煉瓦と緑のタイルの古典建築物を連想させる。
松島には歴史、伝統、そして現代性が共存する。松島海岸駅前の交番の建物は、二階建ての古民家らしい。あたかも文化財の建築物、藩主の御宅。その中、親切な「村の駐在さん」が住んでいるだろう。 同じく松島海岸駅前、昨年10月にオープンした大型商業施設である松島離宮の中の「茶屋勘右衛門」は、東北の特産を使ったオリジナル製品を販売している。いろいろな面白い発想がみられる。例えば、ドリンクボトルで販売するプレミアム米。筆者は気仙沼のパンを買い、お土産として東京に持ち帰った。
因みに、松島離宮のトイレには、松島の数々の赤い橋をイメージした赤い手すりがついている。しかも、トイレの中、音楽のボダンがある。そのボダンを押すと、癒しの音楽が流れる。トイレはクラシックモダンな空間である。
松島離宮の中、絶景スターバックスがある。筆者はスーツケースを1階の店員に預け、2階に上がった。二階の窓から、松島の海と島々が眺めながらコーヒーを飲んでいた。2日間の旅を記憶にとどめておこう。 新型コロナ時代の旅、マスクと除菌スプレーが欠かせないものだが、とても「疎」の自然と人文環境の中、心に響く風景が残されている。何かを探しているときに、探しているものとは別の価値があるものを偶然見つけるという気持ちになった。