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病とは何か

2018.08.24 05:27

https://www.kokugakuin.ac.jp/article/245249  【「病とは何か」古代ギリシャの語り

人文科学で考える人類と疫病】 より

 新型コロナウイルスのパンデミックが世界中に恐怖と不安をもたらしている。古代ギリシア哲学・医学思想史を研究している文学部哲学科の木原志乃教授は、「医学の祖と呼ばれるヒッポクラテスが残した疫病についての語りからは、新型コロナとどう向き合うのか、また、そもそも病とは何かを考える糸口がある」と話す。

コス島の「ヒッポクラテスの木」。ヒッポクラテスはこの木のもとで弟子たちに医術を説いたといわれている(木原教授提供)

―― 古代ギリシアの疫病の教訓が21世紀のコロナ禍に活かせるのか

 世界を混乱に陥れた新型コロナウイルス流行の一連の流れを見ながら、「哲学を研究している立場から何が言えるのか」ということについて考えたい。そして、パンデミックおよびエピデミックという言葉の発祥地である古代ギリシアの時代に遡って、その意味を見出し、さまざまな形で伝えることを試みていきたい。もちろん、過去の出来事が、今起こっている現象に対して、そのまま答えを提供してくれると考えることはできない。しかし「古代の人々は病にどう向き合ったのか」「そもそも、病とは何なのか」という問いを立てることが研究者にとって重要であり、古代の人々が病にどう向き合ったのかを明らかにしながら、現代の私たちは病とどう向き合えば良いのかを考える入り口にしたい。

―― 古代ギリシアを襲った疫病の一例は

 古代アテナイ(ギリシャ共和国の首都アテネの古名)の歴史家、トゥキュディデスが記した『歴史』によると、紀元前430年夏に発生した疫病によって、アテナイの総人口30万人の3分の1が死亡したと伝えられている。エジプトやペルシャなどを経由して、グローバルな蔓延の様相を見せていたこのときの疫病の正体はペストとも推測されたが、天然痘や発疹チフス、デング熱、麦角中毒あるいは麻疹(はしか)など諸説があって病名は確定されていない。感染者は、頭痛やさまざまな部位の炎症に見舞われ、嘔吐と下痢、けいれんなどを伴う高熱が続き、一週間程度で死亡した。重症化しやすく、感染力の強い病であったことは確かで、患者から看病している人にも感染するなど、疫病によって、人と人とのつながりが断たれることの絶望についても語られていた。紀元前427年冬には第二波が到来し、アテナイ社会の秩序を大きく揺るがせた。

―― 医学書では病はどう記述されていたのか

 医学の祖であるヒッポクラテスの医学書は、医学者的な冷静で客観的な視点で考察されており、歴史書や古代文学と違い、恐怖をあおるような形での記述は見当たらない。ヒッポクラテスの医学書には『流行病(エピデーミアイ)』と題されたものが多数残されている。トゥキュディデスの記録と比較すると、臨床記録ともいうべきこの医学文書には対人感染と免疫についての記述が見られない。それは意識的になされたことであり、「罹患」=「穢れ」という差別的な考えに対するヒポクラテス派の批判的精神の表れではないかとの指摘もある。当事者に責任のない災厄の汚染や伝染という捉え方を意図的に排除したとも考えられる。日ごろから心身を自己管理するように人々を啓蒙した彼らにとっては、限界はあるかもしれないが、日々の養生法こそが免疫低下を防ぐ感染症予防の心得であったのだ。

―― 2500年が経過し、人類は再び試練を経験している

 コロナ禍で人とのかかわりの制限を余儀なくされ、社会や経済、教育のあり方を一気に変容することを強いられている。さらに、日々の生活管理の必要性が打ち出されるとともに差別などの問題も表面化し、積極的な対応が求められている。ヒッポクラテスの語りは、患者との対話を通じて、病気になった理由や経緯、病気についていまどのように考えているかなどの「物語」から、患者の抱えている問題に対してアプローチするという「ナラティブ」を重視する現代医療の流れとも一致しており、コロナ禍の今こそ、彼らが伝えている「語り」から、人類が病とどう向き合うべきかを考える手がかりが見いだされるのではないだろうか。

https://www.kokugakuin.ac.jp/article/245285  【コロナ収束後も、病の根本と向き合って

人文科学で考える人類と疫病】より

 医学の祖と呼ばれるヒッポクラテスが残した疫病についての「語り」から、今のコロナ禍への教訓を見出そうとしている文学部哲学科の木原志乃教授(古代ギリシア哲学・医学思想史)は「新型コロナウイルスのパンデミックがワクチン接種を通して収束を迎えた後も、乗り越えられた過去にしてはいけない」と語る。

ヒッポクラテスが生まれたコス島のアスクレピオス神殿跡。ここには古代ギリシャの医療と治癒の神が祀られていた(木原教授提供)

―― 古代ギリシャの時代の医者はどうだったのか

 2014年、海外派遣研究でギリシャやイギリスに1年間滞在、多くの学会に出席し、資料にも目を通した。すでに古代にも、多くの町医者がいたが、魔術師や祈禱師のような人たちもいて、医療と呼べないような怪しい行為をしていた。これらと区別するために、医者のアイデンティティーや医術の根拠づけが極めて重要だった。医者たちは論争的で、ソフィスト(詭弁家)的な討論も盛んに行われた。古代の医者たちは、「語り」の問題を強く意識していたと言える。身体部位を象った奉納物は興味深く、今でも医学の神様が街のあちらこちらに残っている。宗教的な祈りを捧げて治癒されることが医療行為だった時代から、宗教と医学が一体化しながらも、次第に分かれていく、まさにその時代が古代ギリシアであった。その中で、医学の祖であるヒッポクラテスの流れを引き継ぐヒッポクラテス派(コス派)が、大きな役目を果たしていた。

―― ヒッポクラテスとはどういう存在だったのか

 ヒッポクラテスの出発点として、「自然の中に生きる人間」という考え方がある。ヒッポクラテスは病を超自然的な外部からくる脅威とは捉えずに、自然の一部であると考えた。人間も自然という全体的システムの中で生きていて、その中で釣り合いを取っているわけで、たとえ病に罹ったとしても、バランスが一部乱れた状態であると考える。ここで言う「ピュシス(physis、自然)」とは、物質的自然という見方が生まれる前の初期ギリシアの哲学者が思索した自然のことを言うが、それは生命の源とも考えられ、万物はそこから生まれ、そこへ没するとされていた。病は身体の内部だけでなく、外部との釣り合いも含めた全体から見ないと測れないと言う発想はとても面白い。「病とは何か」の定義が簡単ではないという現実にもつながってくる。だから、「病と戦って、やっつける」とか、「病が収まったら、コロナ禍も全て終わり」というものではない。ワクチン接種が進み、コロナ禍がとりあえず収束したとしても、「病とは何か」という根本問題と向き合い続けなければならない。コロナ禍を契機に、そのことを改めて考えさせられた。

―― 病とはどう向き合うべきなのか

 超高齢社会に直面した現代、コロナ禍が起きる前から、病についての問題は非常に重要で、研究がなされるべき分野であると思っていた。「生とは何か」「死とは何か」については、ギリシア哲学で深く考察されているが、「病とは何か」について哲学テキストと医学テキストとの連携の中で、探っていくのが面白い。その中で、古代ギリシアのヒッポクラテス派の医者たちの語りを中心に、彼らが何を記録しどう伝えているのかの研究を深めていこうと考えている。そこから病をどう捉え、どう対処していくべきかについての深い英知が導き出されるのではないか。「病とは何か」の定義は、「生き難さ」が中心にあると思うが、必ずしも本人が「生き難い」と思っていなくても、その人を病として治療すべきだという考え方もある。病とは、何かを数値化することによって、病と病でないものを線引きをするものではないからだ。「病とは何か」を探っていくうえでは、医者と患者のコミュニケーションの中で、病を癒していくという考えが重要になる。患者の「語り」にしっかりと耳を傾けるという倫理的な側面を自覚的に語っていたのがヒッポクラテス医学である。ここから古代ギリシアで何が語られてきたのかを解きほぐし、発信したい。