正当化の裏側に隠されたもの
2021.08.25 05:31
自分を正当化するって
全力で自分を守りたいとき
なんだと思う
完全なる防御
プライドが傷つくことを
全力で回避しようとする行為
つまり、自分の否を認めている行為でもある。。
一体、どうしてひとは
自分のことを正当化するのだろう
本当に向き合うべきものから
目をそらし
自分がこうなったのは
わたしを追い詰めた〇〇のせいだ。。
わたしは悪くない
こうなったのも仕方がない
自分の間違いを認めたとたん
一番避けていたものを
直視しないといけなくなるようなコワさ。。
実態のわからない
そのコワさと向き合うことを回避するために
ひとは自分のしたことを正当化する
自分を正当化したり
ごまかしてまで
恐れているものは
一体なんなのでしょうか
コンナジブンハアイサレナイニチガイナイ
コンナジブンハイキテイルカチガナイ
そんな呪いを自分にかけ続けているのかもしれない
それをひた隠しにするために
自分の行いを正当化する方法に
打って出る
責められそうになったら
正論を相手に投げかけて
有無を言わさないようにする
自分が正しい
相手が間違っている
一歩も引かないこの状況で
一番苦しむのは実は、
正当化する癖がやめられない
当の本人だ
どれだけ逃げても
何度でも向き合う機会はやってくる
自分を正当化したい気持ちが起こったら
そのときは
素直に負けを認めるのも
勇気ある前進ではないだろうか
正当化したい気持ちの裏側に隠されたもの
それを認めたあなたは
自分は愛されるにふさわしいのだと
そのときやっと腑に落ちる
心底安心できる
Thank you for reading my blog.
Sofie KT.