俺も小さいころからやっていれば今頃…
会社関係の人とピアノでつながるようになってから数人に言われたことがある。
「俺も小さいころからやっていれば今頃…」
もう何年も前のことなのに思い出すときがある。まぁ、無意識的に嫌だったということだと思います。
「俺はピアノ始めたの10歳の時だから決して小さいころとは言わないよ」といったものの
それでもその人からしたら小さいころ始めたってことらしい。
そういうことはあまり言わない方が良いと助言したもののついに聞き入られることはなかった。
これはピアノ、ほかの楽器、習い事、スポーツ、その他でも珍しくない心理現象なのかもしれない。
でも出来るだけこの考えは修正した方が良いと思います。
なぜというと裏を返すと「やる前からは負けを認めてしまっている」からです。
また言った人に対するリスペクト(尊敬)がないからです。
何事も続けることは大切ですが、ある人がそのレベルに達すには様々な壁があったはずです。
私の場合は、普通高から大学は音楽を専攻しました。高校ではそりゃもう音楽で俺に勝てるやつなんか存在しない、みたいなもう普通高では誰も気に掛けない天狗状態だったのです。
それが大学へ入ってみるともう全然、今までやってきたことが通用しない。日芸ピアノ科のレベルは全国の音楽大学のレベルで考えると「う~ん」というものですがそれでも駄目だった。
「この人、指は動かないけど合わせるのは上手いよ」って声楽の同級生から言われたことを今でも忘れられない。普通にしてたけどしっかり傷ついている。
そんなこともあり1日10~14時間ぐらいの練習を自ら課し周りから無謀と思われていた難曲に挑んでは失敗の連続を繰り返していたのです。
ちょっと成功しだしたのは大学3年の試験から。
大学最後の4年の卒業試験演奏で当時はまだ珍しかったメシアンの「幼子イエスのための20のまなざし」を弾いてここでやっとそこで花開きました。
卒業後は、まだ自分の技術に自信を持てなかったので研究生として2年残りそこで「ペトルーシュカ」やドゥティーユの「ソナタ」などを弾きました。
このころは練習すればどんな曲でも弾ける自身がありました。練習(1日8~10時間)すれば…ですが。
でも世界的なピアニストの録音を聴くともうそこには努力では到底埋められない差があるな、追っても追っても遠くなる感じがしていました。
上記に挙げた「俺も小さいころからやっていれば今頃…」は、その方があるレベルに達する壁を越えるのに必要な底知れない努力の量を感じてないのかな。
今はバイオリンとかフルートでこの感覚があります。先生との間に到底埋まらない差がある。
現在、ピアノを始めて44年になりました。
企業に就職して早、30数年。ピアノも空いた時間でせっせせっせと磨きをかけてきた結果、レコードを聴いても臆することがなくなりました。
現在、ゴドフスキー「ショパンエチュード」をものにするためひたすら頑張っています。
もう今のレベルに達するのに30年以上も掛かっています。
卒業後、赴任した大阪でゴドフスキー=ショパンエチュードの楽譜を全部揃えたのでそこから数えて。
これがアムラン並みのテンポで弾けるようになったらYouTubeに動画をアップするつもります。あと少し(希望…)
大器晩成型と言えば聞こえが良いですが私の場合は、泥臭い努力で運を掴んでいくしかないんですよね。そのせいか忍耐力と継続力はすごくアップしたと思います。