里芋の朝露は天のしずく
https://haretoki.net/post-9097/ 【 里芋の朝露は天のしずく】
https://fragie.exblog.jp/23777616/ 【芋の露と芋の葉の露】より
季語別句集や全句集などを作成している関係もあって、今のふらんす堂内は、季語の情報が飛び交っている。
季語についての今日のわたしたちの一番の発見は、「芋の露」と「芋の葉の露」の季語の違いであった。ご存じ?
「芋の露」はかの有名な飯田蛇笏の〈芋の露連山影を正しうす〉でよく知られている。秋の季語で「露」の傍題である。
じゃ、「芋の葉の露」は?これが大きく異なるのです。
「芋の葉の露」はなんと秋の季語「七夕」の傍題なのである。
歳時記から顔をあげながらこの発見を発表したPさんに、「いったいなんで芋の葉の露が七夕なのよお?」ってわたしは聞いたのであった。
するとそこには、なんとも奥深いゆかしき意味が込められていたのである。
講談社版日本大歳時記によると、「七夕」の項目の前が「硯洗(すずりあらい)」という項目となっている。そして解説を読むとどうやらこの「七夕」と「硯洗」は深い関係があるらしいのである。
まず「硯洗」解説の一部を紹介したい。この項を脇村禎徳氏が書かれている。(脇村氏は先日ふらんす堂から句集『素心』を上梓されたばかりである。)
「硯洗」とは、
七夕の前夜、平素使っている硯や机を洗い清めることをいう。(略)また七夕の朝、芋の葉や稲の葉の露をうけて墨をすり、牽牛・織女の二星に色紙をかくために硯を洗い清めておく。ともにこれは、七夕がもともと水にちなむ祓えの祭であったことに由来するものであろう。
「芋の葉や稲の葉の露をうけて墨をすり」なんてなんあまりにも風流すぎてあたまがくらくらしてきそう。でもこういうゆったりとした時間の流れのゆかしさはわるくない。「硯を洗う」という行為がなにゆえ季題に結びついているかというと、「七夕」という日本の伝統行事と結びついているからなのだ。そして「七夕」の項目では山本健吉氏がこう書いている。
(略)竹には五色の短冊に歌その他の文字を書き、種々の色紙の片とともにつるし、六日の宵から庭先などに飾る。笹竹に子供の手習いとが結びついたものである。字が上手になるようにと、、芋の葉の露で墨をすって字を書く風がある。(略)
どうよ。
「芋の露」と「芋の葉の露」の大きな違い、驚いてしまうでしょ。
でも、現実的にはおなじものなんだよなあ、、、、
「芋の露」をインターネットで調べると大きな芋の葉の上にきらきらと露の玉が輝いている。
これって「芋の葉の露」でもある。
で、
「七夕」の傍題として「芋の葉の露」を詠んだものがあるかと歳時記をさがしてみたのだが、今のところ見つからない。
しかし、
かくのごとく、
季語の世界は深い。
そして楽しい発見がある。
秋になったら芋の葉にたまった露を採取してそれで墨をすって七夕の短冊を書いてみようかなあ、
だって、字が上手になるんでしょ。
http://www.worldfolksong.com/calendar/tanabata/satoimo-asatsuyu-sumi.html 【里芋の葉の朝露で墨をする理由・由来は?】 より
七夕の短冊に墨で願い事を書くと叶う?
天の川の雫がたまる?神様の水「天水」って本当?
里芋(さといも)の葉にたまった朝露を集めて墨をすり、その墨で七夕の短冊に願い事を書くと願いが叶うという風習があるが、その理由や意味合い・由来は一体何だろうか?
なぜ里芋の葉でなければならないのか?七夕と里芋を結びつける説得力ある理由付けは存在するのだろうか?簡単にまとめてみた。
里芋の葉が使われる理由は?
朝露を集めるのに里芋(さといも)の葉が使われる理由は何だろうか?
葉の形状的に雫(しずく)がたまりやすい、水をはじきやすい、などの性質が前提条件となるが、肝心なのは七夕と結びつく理由付けの方だ。
里芋(さといも)の葉と七夕が結びつく理由については文献が見当たらなかったが、ネット上で軽く調べてみると、芋の葉の雫は天の川の雫を受ける傘、その雫は月からこぼれ落ちた神様の水「天水」である、といった旨の興味深い解説が見つかった(根拠は不明)。
ただ、その「天水」とやらが何故「芋」の葉でなければならないのかについては理由付けがなされていなかった。ハスの葉ではダメなのだろうか?稲の葉露も良さそうだ。
雫がたまりやすい形という理由以外に、何か天空と芋を結びつける意味合いがあるのかどうか、大変興味があるところだ。
サトイモは子孫繁栄の縁起物
里芋・サトイモは、親イモに寄り添うように子イモ・孫イモと、一つの種芋からたくさんのイモができるため、子孫繁栄の縁起物としてお節料理・正月料理などでよく使われる。
特に、親イモ、子イモ、孫イモが塊状になる品種「ヤツガシラ(八頭)」(上写真)は、末広がりを意味する「八」と、組織の長(頭 かしら)になる立身出世の意味合いで、特に縁起がよいとされる。
子沢山の里芋で子宝祈願?
最後に、なぜ芋の葉が七夕の朝に使われるのか、その由来・起源について一つのヒントとなりうる江戸時代の文学作品をご紹介したい。
江戸時代後期の戯作者・山東京山(さんとう きょうざん/1769-1858)が1833年に記した「五節供稚童講訳」(ごせっくおさなこうしゃく)では、芋の葉と七夕の関係性について、次のような解説がなされている。
これは町方などには芋畑稀(まれ)なるゆえせぬ事なれども、昔よりする事なり。七夕様、一年に一度会い給ふゆえ、一夜に百人の子を儲け給ふといふ俗説によりて、子育て、または子を授け給へと祈る者、芋の葉の露にて願い事を短冊に記して献(ささ)ぐれば、願ひ事叶ふといふ。芋は子の沢山あるものゆえに、その葉の露を墨にすることと、昔の書に記せり。
この解説によれば、一年に一度しか会えない七夕様は、一度に百人の子を授かるとの俗説により、七夕は子宝祈願の絶好の機会であったようだ。
そして子沢山の縁起物である里芋の葉の雫で墨をすり、七夕様に祈願すればきっと子宝に恵まれる、と考えたのは至極自然な流れといえる。
あくまでも一つの解釈だろうが、里芋の葉と七夕を結びつける一つの筋の通った有力説といえそうだ。
https://okwave.jp/qa/q1466230.html 【七夕の短冊を書く前に、朝露をとりにいくのってなぜですか?】より
小さいころ、七夕の日は朝早く起きて、芋の葉っぱにたまっている朝露をとりにいきました。この朝露で墨をすって、筆でお願いごとを短冊に書いていたのですが、それってなぜか?わかりますか?ウチの父も母も「昔からそうだったからなぁ」と理由を知りません。急に理由を知ってみたくなりました
質問者が選んだベストアンサー
こんにちは。
私も一生懸命やりましたよ!未だに字はヘタですが・・・(苦笑)色々な説や理由があるのでしょうが、昔、祖父に聞いたところによると、里芋の露は、月からこぼれ落ちた神様の水、天水の雫で、その神様からおすそ分けしてもらった天水で墨をすって字を書くと、字が上手くなったり作文が上手になるのだと、教えてもらいました。別の地方では、里芋の露集めて、それをお供えする風習もあるそうですよ。
上手になるかどうかは別として、何だかロマンティックで、子供心にワクワクしながらやっていました。子供にも伝えていきたい風習です。
ご参考になれば幸いです。