自然の世界
Facebook・新田 修功さん投稿記事 青空フェチ……😊💕
私の大好きな作家である辻内 智貴さんがおっしゃるには、人間は「星空派」と「青空派」に分かれるそうです。
私は間違いなく「青空派」です 😃💕
以下、「青空のルーレット」のあとがきより
「青空と居ると、それだけで、なんだかシアワセな気分になってしまう。
そして、ただもう、安心してしまう。
青空というのは、あれは、けして、空の表皮などではないのである。
ペラリと剥ける様な、それだけのものでは無いのである。
青空というのは、あれは、背中に永劫の宇宙をズシリとかかえて、それでもニコリと笑ってみせている、痛々しい笑顔の様なものである」
………………………………✨✨✨
この青空のように、背中にどんなに悲しみや苦しみを背負っていようとも、いつも明るく、笑っていたものです 😊✨✨
今日も読んでくれてありがとう🙏😊💕
おやすみなさい。また、明日😴
Facebook・近藤裕子さん投稿記事《 聞聲悟道 見色明心 》
もんしょうごどう けんしきみょうしん 曇門禅師の言葉。
自然の世界は 素晴らしい音と彩りで溢れています。
川のせせらぎ、鳥の声、花の色、木漏れ日に輝く緑の葉、、、、。
耳から目から その感動は心に伝わり命が甦ります。
日々を懸命に生きていればいるほどその喜びは悟りとなります。
自然の感動を明日の希望に繋げたいものです。
http://rinnou.net/cont_04/zengo/120101.html 【探している宝は、君の眼の前にある】より
聞聲悟道。見色明心。『禅語に学ぶ 生き方。死に方。』
(西村惠信著・2010.07 禅文化研究所刊)より
―聞声悟道、見色明心(『雲門広録』中)
古人は自然の音を聞いて世界の真実を悟り、眼に入った色を見てわが心がどういうものかを明らかにしたのである。これをみて分かるように、あらゆるところに仏法への門が開かれているのである。
ある僧が五祖法演禅師に向かって、「私は禅の教えを求めているものですが、禅というものには、どこから入ればいいでしょうか」と問うた。すると禅師が、「お前さんはあの谷川を流れる水のせせらぎが聞こえるかい」と言われた。「はい、よく聞こえます」と答えると、「そこから入れ」と言われた。
そう言われて、いくら谷川のせせらぎに耳を傾けても、すぐに仏法の道理を悟ることなどできないであろう。その理由はせせらぎを聞く者の未熟さにあって、いくらせせらぎの音が仏の呼び声であっても、馬の耳に念仏である。
同じように大自然が宇宙の真理を眼の前に見せつけてくれていても、気づかない者にはまるで夢を見ているようなものであろう。南泉普願なんせんふがんという和尚は、庭に咲き乱れる花を指さして、「時の人、この一株の花を見ること、夢の如くにあい似たり」と言われている。われわれ凡人の眼は、骸骨の眼のようにポッカリ空いた節穴でしかないのである。
ところが苦労して道を求めてきた人には、何でもない日常的なものを見たり聞いたりするだけで、瞬間に世界の真相を見抜いてしまうのである。あるいは真理を攫んだ自分の、尊い心に気づくのである。
古人は、「曾かつて雪霜の苦に慣れて、楊花の落つるも也た驚く」(『虚堂録』他)と言っている。修行を重ねてきたものは、風に吹かれて楊花ようかの花が飛ぶのを見たくらいでも、眩しいような実在の姿に、驚いてしまうものらしい。
Facebook・ごとう 孝二さん投稿記事 「人は感動するたびに健康になる」
感動が交感神経を成長させる 自律神経を制する者は人生を制する
健康を維持・増進し、自分の夢をかなえるために求められるのが、交感神経を鍛えること
過保護かつ、ぐうたらな生活は自律神経の働きを低下させる
健康で長生きし、長寿を楽しみ、人生を充実させようと思うなら、ぐうたらな生活を改め、
自律神経の働きをよくする生活に切り替える必要がある
交感神経を鍛える時のポイント
交感神経を鍛えるということを常に意識し、実践すること
鳥肌が立つような感動をすることがポイント
物事に感動するためには、繰り返し経験することが重要になる
交感神経を鍛えるための具体的な方法
絵画を見る 音楽を聞く 演劇などを鑑賞する 何かにチャレンジする 異性と親しくなる
孫の笑顔を見る ウォーキングをする ラジオ体操をする 大声を出して笑う
人は感動するたびに健康になる!
一生感動!!!!!!!!!!!
(世界有数の心臓外科医が明かす人体の摂理) 南 和友 著
https://ameblo.jp/drminori/entry-12693320025.html?fbclid=IwAR1Je5ER98V8FnBT3DH2r5k4ywVBPG6mdzPo3VufXz5eZV_RyvS4joh9DAc 【”欲望の前にある欲求”】 より
私のフォロワーさんのブログをまずはお読み下さい↓めっちゃ面白くて思わずプッとなってしまいました爆 笑
いやいや でもね 笑い事ではなく まさしく その習慣が出口の便秘を引き起こすのですよ
痔や肛門のトラブルの背景にある出口の便秘「出残り便秘」と「鈍感便秘」。
知らない方はコチラの解説記事を読んで下さいね下矢印
出残り便秘・鈍感便秘 〜その残便感は便秘かもしれない〜
なぜ排泄力が落ちて便が残るようになったり、便感知センサーが鈍ってしまい便が下りてきても分からなくなったりするのか?
それは便意を我慢することから始まるのです。
便意があるということは、便がスグそこまで下りてきて出かかっているということ。
身体は意識するしないにかかわらず便を出す準備をしているのに、それを無視するとどうなるのか?
出かかった便は肛門に挟んだ状態となり、その場の便意は消失。
便があることに肛門が慣れていきます。肛門は便の通り道。
便が通過していく所であって、便を溜める場所ではありません。
そこに便は無いんです。いついかなる時も(排便直前以外は)空っぽです。だって通路ですからね。そこに便が落ちていたらビックリですよ
だけど便意を我慢すると、通路であるはずの肛門に、便が存在することになってしまいます
便があるのが当たり前になると、気持ち悪さや残便感も無くなり、常に肛門に便が充満している状態に・・・
たくさん溜めて、出口の方の便を少しずつ出す「ところてん方式排便」をしている人も多いです
毎日排便があるのに、診察すると肛門の中にたくさん便が残っている患者さんを大勢診ているので、自己申告の「毎日快便」や「スッキリしてます」は信用しないことにしています
そんな便通だから痔になっちゃうのよ〜
その言葉も、肛門に溜まっている便を出してもらうと皆さん納得されます。
便意があるときにトイレに行くと排便反射を利用して排便できるのでスッキリ出やすいです。
そのゴールデンタイムを逃すと、いきまないと出なかったり、全部出し切れず残ったりする。
だから便意は我慢しない。あっ・・・と思ったらすぐトイレ。便意が強まるのを待ったり、トイレを後回しにしない。
全てを差しおいてトイレに入る。これしかない。
だけど人間だもの。
いつでもどこでも排泄ができるわけではない。行きたいと思ってもトイレが無い場所に居る時もあるでしょう。
接客中、電話中、会議中などなど、TPOをわきまえて我慢しなければいけないシチュエーションだってある。
社会生活を送っていれば便意を我慢しなければならないことは多々あるのが現実。
そういう意味で出残り便秘も鈍感便秘も現代病とも言える。
きっと自覚症状がないだけで出残り便秘の人は多いだろうなぁ。そして痔になってから出残り便秘を知る、気付く。
うちの診療所では、そんな衝撃の便秘の診断が繰り広げられています。
毎日排便があり、自分は快便だと思っていたのに便秘だと!?まさしく青天の霹靂。
でもこんな快便の自分が痔になった理由が分からなかったので納得。
最近は多くの患者さんがブログを読んで来られるので、昔のように便秘の診断に衝撃を受けられるケースは減りました。
「私、出残り便秘だと思うんです!」「やっぱりそうでしたか」と言われることが多い今日この頃。この便秘を直さなければ、手術して痔を治しても、また何年か経ったら痔になってしまいます。
だからねちゃんとトイレに行こう!!行きたくなったら我慢せず、すぐトイレへ。
学校も職場もトイレ最優先になると痔という病気は減るだろうなぁ。