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茜色の空

2018.08.27 13:35

http://www.oi-hideto.com/archive/h301001.pdf  【茜色(あかねいろ)の空】

清少納言が枕草子(まくらのそうし)で「秋は夕暮れ」と言っているように、秋は夕日、夕焼けがひときわ美しい季節です。そしてその空の色はよく「茜色」と形容されます。茜は植物の名前ですが、一般的にはその根で染めたわずかに黄みを帯びた沈んだ赤色を言うようです。

大学生の時、東京で「茜ロッジ」というアパートの一室に住んでいました。普通の2階建てのアパートで、なぜその名が付いていたかはわかりません。名前から連想されるような夕焼けの空をアパートから見ることもありませんでした。そもそも東京の都心で美しい茜色の空を眺めたいというのは、漫画「三丁目の夕日」の時代(昭和30年代)ならいざ知らず、無い物ねだりというものでしょう。高村光太郎の詩にも「智恵子は東京に空が無いといふ」との有名な一節があります。

ところでなぜ、夕焼けは茜色に染まるのでしょうか。それは、日中の空がなぜ青いのか、という原理と同じことのようです。太陽は沈むにつれて、私たちの真上から横に移動します。そうすると、太陽光の空気層を通る距離が長くなるため、波長の短い青い光は次第に届かなくなり、それまで細かい塵(ちり)の間をすり抜けてきた波長の長い赤い光が、塵にぶつかり散らばり始め、私たちにはその赤い光が満ちた空が目に映るのです。夕暮れ時には地平線や水平線近くから太陽光が横串をさすように長い空気の層を通って差し込むからきれいな茜色の夕焼けが見られるのです。

全国に数ある夕日スポットの中でも、屋島から見る西の空、瀬戸内海の島影に沈む夕日と静かに燃え立つような茜色の夕焼けの神秘的な美しさは比類なきものだと思います。もちろん「日本の夕陽百選」にも選ばれています。そんな絶景をバックにして、夏の終わりから秋の初めにかけて、屋島山上にて「天空ミュージック」というイベントが開催されました。天下一品の瀬戸内海の夕景、夜景を借景にしたぜいたくなステージで繰り広げられる上質な音楽ライブが売り物で、毎年好評を博しています。文字どおり天空にいて神々と一緒に音を楽しむような不思議な雰囲気が醸し出されるのです。

「瀬戸の花嫁」の出だしにも日暮れが歌われます。茜色の空が夕波に映る様は、この地に住む者の一番の自慢で、心落ち着く情景のように思います。 


https://blog.goo.ne.jp/isobegumi/e/aee8f7c3ccd3ae023cfb0d6f338b254d  【楕円の思想 〜 『茜色の空 哲人政治家・大平正芳の生涯』(辻井喬)を読む】より

ひとりの政治家のことを書いた小説を読むなど、これまで一度もなかった。そして、そのようなものをわたしが読むなど、想像もつかなかった。ましてその主人公が、ついこの前までほとんど興味がなかった大平正芳であるなど。

物語のなか、「楕円」というキーワードが何回か出てくる。

初出は、27歳の正芳が横浜税務署長としてはじめて行った訓示のなかだ。それは実際に大平正芳の言葉として記録されているものらしい。

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「行政には楕円形のように二つの中心があって、その二つの中心が均衡を保ちながら緊張した関係にある場合、その行政は立派といえる。(中略)税務の仕事もそうであって、一方の中心は課税高権であり、他方の中心は納税者である。権力万能の課税も、納税者に妥協しがちな課税も共にいけないので、何れにも傾かない中正の立場を貫く事が情理にかなった課税のやり方である」

(Kindleの位置No.803)

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本書の最後に「楕円」が登場するのは、日本国総理と米国大統領の間における密約をスクープしたが「情を通じて情報を入手」したというその取材方法によって罪に問われた元通信社記者との会話中だ。福田赳夫との「四十日抗争」のあと、いわゆる「ハプニング解散」を経て行われた史上初の衆参同日選挙直前である。

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今まで不正確に“楕円の思想“と呼んでいたのは、敵対者や相反する要素を大きく含む超越者を待望する思想であってはいけないのだ。むしろ、田島がヒントを与えてくれたように、個と集団という二つの核を包み込む世界観をしっかり持て、という思想なのだとひそかに自分に言い聞かせていた。

(No.5354)

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「楕円の思想」という言葉で、わたしが思い浮かべるのは、『21世紀の楕円幻想論』(平川克美)だ。そのなかで平川さんは、花田清輝が『楕円幻想』というエッセイで書いた「楕円が楕円である限り、それは、醒めながら眠り、眠りながら醒め、泣きながら笑い、笑いながら泣き、信じながら疑い、疑いながら信ずることを意味する」というテクストを受け、こう記している。

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 花田が言っていることの意味は、相反するかに見える二項、これまでわたしが言及してきた言葉で言えば、「縁」と「無縁」、田舎と都会、敬虔と猥雑、死と生、あるいは権威主義と民主主義という二項は、同じ一つのことの、異なる現れであり、そのどちらもが、反発し合いながら、必要としていることです。

 どちらか一方しか見ないというのは、ごまかしだということです。

 ごまかしが言い過ぎだとすれば、知的怠慢と言ってもいいかもしれません。

(P.206)

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この書を読み、いたく興奮したのは、2018年5月のことだ。

それから2年が経ち、思いもかけないところから「楕円」というキーワードが、わたしの脳内にふたたび飛びこんできた。

大平正芳。

「鈍牛」というそのニックネームがいかにもさもあらんと少年期から青年期にかかるわたしに思わせた彼の風貌と口調、そして楕円形、脳内でそれらがごちゃまぜにリンクしあいながら、この人物のことを、も少し知りたいと思った。


http://coupecamper.cocolog-nifty.com/blog/2013/11/post-a2df.html  【「茜色の空 哲人政治家大平正芳の生涯」辻井喬 +(追記)追悼:辻井喬氏(堤清二氏)】より

以前、ある雑誌で大平元首相が再評価されていることを知りました。

大平首相と言えば、母校出身者で唯一首相になった人。興味を持っていたところに、mixiでのご友人「がんもどきさん」の読書評で、本書を知り、ずいぶん時間を掛けてゆっくり読みました。

これは、評論ではありません。小説家・辻井喬(=元西武セゾングループ創始者である堤清二)による、大平首相の内面を照らす小説です。

当時は、「あ〜、う〜」でそんな凄い人に見えなかったのですが、再評価記事を読み、さらに本書を読んで、なるほどとの思いを強くしました。

哲人政治家と副題にあるように、大平首相の清廉潔白な性格と筋を貫き通す姿勢に感銘を受けました。

政治という魑魅魍魎が跋扈するドロドロとした世界でも、決して揺るがなかった高潔な魂。

大蔵官僚としても非常に優秀だった彼は、若い頃から、どっしり構えて、深く物事を見通す癖を付けていたことがわかります。今更ながら、日頃の生活の積み重ねの大切さを知ったような気がしました。

追悼:堤清二氏(辻井喬氏)

偶然にも、作者である辻井喬氏(堤清二氏)の訃報が伝えられました。

日経新聞(11/29朝刊)のの追悼記事を読み、改めて、80年代の「おしゃれで文化的な生活」を演出していていた西武グループの勢いを思い出し、とても懐かしい気持ちになりました。

今でも、私が服を買いに行くのは、近くの柏髙島屋ではなく、池袋西武本店です。

謹んでお悔やみ申し上げます。

彼の功績ということで、日経新聞から一部抜粋します。

改めて、本当に凄い人だったんだと感嘆します。

「堤清二氏死去 消費文化先導 足跡大きく」

・「生活総合産業」をいちはやく標榜し、(中略)70〜80年代に豊かな都市生活にあこがれた大衆の消費文化を先導した。現在の小売業にも大きな足跡を残している。積極的な拡大路線を取り、西武百貨店池袋店を売上高で百貨店日本一に導くとともに、セゾングループを小売業や金融、ホテル、不動産開発など100以上を傘下に持つ企業グループに成長させた。

・パルコは先端ファッションのテナントを集めるだけでなく、劇場を併設するなど文化的な試みを導入。人々が「モーレツ」に働いた高度経済成長期を経て、おしゃれで文化的な生活にも手が届きそうになった80年代。斬新な広告やイメージ戦略を駆使する堤氏の事業は、当時の消費者の意識を巧みにつかんだ。

・西洋環境開発の清算過程でセゾングループは外部からの買収の標的になり解体された。裏を返せば、それだけ価値ある会社が集まっていたともいえる。例えば現在は独立系の良品計画。80年発売の「無印良品」は西友のプライベートブランドが発祥だ。最近のプライベートブランドブームの背景である「質素で賢い消費を先取りしたブランドで、海外でも評価が高い。

・堤清二氏は経営にはつまづいたが、事業家として後世に残したものは大きい。

 かつてのグループの主要会社で唯一セゾンブランドで事業展開するクレディセゾンの林野宏社長は「人生最大の師を失いました」と話した。

・辻井喬のペンネームで、小説や詩も多数発表。93年に高見順賞、94年に谷崎潤一郎賞、2004年に野間文芸賞を受賞した。美術館開設など文化事業にも力を入れた。