愛することは祝福
女性は恋愛に陥ると用心深くなります。防衛本能が働くのは当然ですが、それだけではありません。陥落不可能な要塞を作って、どうするか黙って見守ります。そうなると非情にもなります。やり過ぎかどうかは当人たち次第です。
愛とユーモアでギフトできる男性なら女性も安心できると思います。
暴力を振るうのは論外で、愛する力のない証明でしかありません。愛する力は異性だけに発揮されるわけではありません。
愛するとは、簡単にできることではありません。恋するのも同じです。相性があるからです。
他の女性に走るのも同じです。簡単に恋する人がいます。ドンファンと呼ばれる男性がそうです。ヤリマンもそうです。彼らは依存症です。
花に高山植物が、魚に深海魚がいるように、人にも種類があります。その種類で恋をして愛していればいいのです。愛し合う二人と、愛し合ってるつもりの二人では、愛の行為であるセックスにも違いがあります。
遊びのセックスと本気のセックスでは、「どちらが気持ち良いか?」という質問がよくあります。個人の違いですが、遊びの方が気持ちが良い場合が多いと思います。ただスポーツのようなもので飽きがきます。飽きることなく続けられるとのも才能ですが普通ならすぐに飽きます。
本気だと飽きません。愛情があるからです。それほど愛情とはすごいものなのです。愛の行為は祝福です。
愛おしいと思うからひとつになりたい、溶け合いたいと思う。自分がなくなってもいい、相手の中に入りたい、、混じってしまいたいと思うのです。祝い、分かち合う・・・祝福の行為です。
そんな気持ちになりたい相手がたくさんいたら異常です。相手とまじわる目的が自分を失うためです。喪失でしかありません。
当人は愛がどいうことなのか、わからないまま、愛のようなものを愛と思い込んで没頭します。同じ言葉で語り、同じ行為をしていても「あり方」が違えば、全くの別物ということがあります。
愛とは、相手の「あり方」と関連付けられた気持ちの中で引き起こされることです。