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偉人『二宮尊徳』

2021.10.29 00:00

二宮尊徳と言えば薪を背中に背負い読書をしている銅像を重い浮かべる。毎週偉人の記事を記すにあたり誰に白羽の矢を立てようかと思いを巡らすのであるが、今回は二宮尊徳こと二宮金次郎にしたのである。なぜなら前回のエイブラハム・リンカーンは読書を原点に自らの道を切り開いた。では日本にはその様な人物は?と思い立ったのが彼であった。

二宮尊徳は1787年神奈川県小田原市栢山の中流農家の長男として誕生。父利右衛門は農家の出身でありながら教養があり息子にも本を与えていた。しかし農民としては裕福な暮らしであったが奉仕の精神が強い父は徐々に財を潰してしまうと同時に体も壊してしまった。

尊徳12歳の頃、村の川が氾濫し総出で土手を作ることになり父の代わりに参加した。しかし尊徳は年端もいかない子供である。一人前の働きができず心苦しく感じた彼は、帰宅後数人分のわらじを編み翌日そのわらじを配ったのである。尊徳の非凡な点は自らの不足を補うためにどう行動するかを考える賢い知恵を持ち合わせていたことである。同時に土手が二度と決壊しないように小さな苗木を200本植え、木の根がはることで地固めをする本で得た知識を実行したのである。

尊徳14歳の頃に父、16歳で母が亡くなり幼い弟2人を母方に預け、尊徳自身は父方の祖父方に身を寄せ、昼間は伯父の手伝いをして過ごす。しかし勉学への思いは断つことができず夜に油の灯りで読書する。しかし伯父は農民に学問は不要だと厳しく叱責した。そこで尊徳は夜の勉学を伯父に咎められないように拾った菜種を荒地に蒔き育て、それを油屋に引き渡す代わりに燈明油をもらい夜勉学に励んだのである。

尊徳はこのように努力を続け25歳で武家の子供の家庭教師に抜擢された。その武家屋敷の女中にお金を貸して欲しいと頼まれたものの、その貧しさからお金を返してもらう当てがないと判断し、その女中に料理をする時の薪を減らす方法を教え余った薪を尊徳がもらい売って返済分としたのである。その人物の持つ力や役割をどう活かすかを常に考えていたのである。このことがきっかけで尊徳はお金に困る人々を助けるようになり、その噂が広まりやがて農村復興の話が舞い込んだのである。。

農地改革のみならず、天保の大飢饉で作物がとれず苦しんでいる村人の年貢を少なくする方法を計算し、藩主に掛け合い財政再建を実施した。その取組の中で農民や村人のやる気を起こさせるために賞金を出したり、人材を適材適所で活かし全国の600もの村を復興させたのである。

薪を背負っただけの人物として歴史の片隅に埋もれさせるのは勿体無い人物である。尊徳が子供の頃から読んでいた書物の中に『孟子』がある。その中に「至誠にして動かざる者は未だこれ有らざるなり」があり、真心を持って対処することを重要視したのである。

前回のリンカーンも尊徳も書物を読むという環境が如何に重要であり、その知識と自分人身が生み出す知恵によって行動するということが結びついたとき大きな作用が生まれ、そして人としての道徳が加われば推譲になったのである。二人に共通することは手探りで物事に挑んだのではなく、日々の小さな知識に知恵が積み重なり緻密な計算や判断力と大胆な決断力が物事を成し遂げる方向へ進んだと考える。いろいろなことを知るという読書はやはり身を助けるものだと痛感するのである。