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〜ヒーリングサロン〜ほしのやしろ

思い出に学ぶこと

2021.08.31 23:47

おはようございます。

今日から9月。

もう秋!実りの秋です!


秋は紅葉も楽しみです。

若い時に庭師だったからか、四季による植物の姿の移り変わりについ目がいきます。

変わりゆく姿が美しいです。


他人様の庭木を剪定する時、よく言われたことがあります。


切ったという感じを出さずに剪定する。


それは、控えめに切るという意味ではなく、自然な形に仕立てるように、元からばっさりと切るのですが、切り口もわかりにくくして、いかにも切りましたという切り方をしない事。

バランスを考えて、しかも登っている最中はその木の全体像が見れないので、1番上のほうから感覚で切りながら、降りてくるのですが。

で、切り終わり、下に降りて全体を見て、どこか飛び出していたりすると、そこ目掛けて登り、(登ってると飛び出てるのがわかりにくいので)また感覚で整えるわけです。



やぁ、トモコちゃん、見ろよ、自然に生えている木の形こそ素晴らしいなぁ。

俺らはよ、剪定であれを目指すんだ。


と、人の手の入っていない山の木を見付けては、私に教えてくれた先輩庭師。

その方はもうこの世にはいませんが、日常生活でも役立つことをたくさん教えてくれたなぁと、日々思い出します。


自然の姿に仕立てる。


これは、エネルギーワークにも通ずるところもあるなと思うのです。

バランスよく、しかも、ワークしました!という感じではなく、元からそうであったかのような美しさを際立たせる。(人をパワフルな美しい元の姿に戻すというお仕事ですね)


今は必要ないものを昇華させ、その人が生き生きと自然体に生きれるように。



庭師時代は運動神経も何もなかったけど大木にしがみついて過ごした日々。

梯子や脚立で作業より、木にしがみついて動いてるほうが好きで、安心だったなぁと思い出したりします。全身真っ黒になって必死だった頃の(やっと良いと言えるようになった)思い出です。


その先輩庭師のおじいやんは、


人様の家で練習させてもらって、我が家の木は誰も真似出来ねぇように立派に仕立てるんだ。

それが一番だ!


と口癖のように言っていて。ご存命の時は、それはもう、いつ見ても手入れが行き届いていた通りから見える、ご自宅のマテバシイの木。

あのような自然な美しい姿で手入れをしてある木は、未だに見たことがないです。


医者の不養生ならぬ、庭師の庭不養生というような言葉はその方の辞書にはないようで。

美しさとは何かを追究し表現されてました。


おら、死ぬときは前に倒れて死ぬんだ!


というのも口癖だったその方。

なーにを言ってるんだかと当時、若い私は思ってました。


畑で倒れて亡くなっていたという知らせを聞いたのは、私が産院にいる時でした。

産まれたばかりの赤ちゃんを抱きながら泣きました。

しかし、死ぬときまで有言実行とはすごいなと今だから思います。

着地点を決めて生きていらした。


基本的に庭師は男のお仕事と捉えられていたので、職場は9割男子で、私は超カタブツで厳しい職人気質のおじいやん連中に囲まれていたのです。


おめぇはバカか。


と何度言われたことか。笑

今は笑えるけど、当時は涙を堪えながら、いつか見返してやる!と毎日踏ん張ってました。


確かにバカだった。

今でもまだバカだけど、何がバカって、着地点を見極めてない。

宙ぶらりんで投げやりで生きてました。


信念って大切。自分を信じる力。

自分の方向性。

ただ、自然に向く方へ伸ばすだけなんですよね。

無理矢理方向性を決めるのではなく。

自然の木がそのままで美しいように。

何かを他に求めることはせず。


たぶん、自分を信じていれば、見渡すとなんでもある気がします。


現在では、先輩はほとんどこの世にいらっしゃいませんが、数日前に、夢で出てきてくれた1人のおじいやんは、夢の中で神社にいまして。気付いた私に手を振ってくれて。


目が覚めても、笑いながら手を振ってくれた顔が脳裏に焼き付いていて、とても幸せな気分だったんです。


いろいろな方々と出会い、それから25年ぐらい経つけど、庭師時代は色濃い経験でした。


感謝してもしきれないってこういうことだなと、思います。

草むしりのおばさんたちや、職人のおじいやんたちと、また会ってお話ししたいな。


最近、とめどなく感謝が溢れてきて、感謝が溢れてくると幸せなんだなーと感じてます。


ただただ、私たちは生かされてる。

着地点を自分なりに決めて有意義に過ごしたいなと、改めて思うのです。


皆さまも良い日をお過ごし下さい!

感謝。