Ameba Ownd

アプリで簡単、無料ホームページ作成

富士の高嶺から見渡せば

ソウル地下鉄「安国駅」は「反日テロ翼賛」駅

2021.08.29 13:28

ソウル地下鉄の駅のホームに「倭人(日本人)を屠殺しよう」という物騒な抗日詩が貼られている、と日本のネット市民の間で話題になっているので、実際に地下鉄3号線安国(アングク)駅まで行って確かめてみた。

話題となった発端は、韓国の中央日報(日本語版)8月26日付に「韓日関係、『善くないサマリア人』と共存する知恵を学ぶ時だ」と題する寄稿文が掲載され、その冒頭に次のような文章があったことである。

(以下引用)「ソウル地下鉄3号線の安国(アングク)駅5番乗り場の前に立って列車を待つときはいつも複雑な思いを抱く。5番乗り場のスクリーンドアには抗日詩が貼られているが、作者は李奉昌(イ・ボンチャン)義士だ。その最後の部分は『倭人を屠殺しよう』という内容だ。屠殺は肉屋で牛や豚を刃物で切って分けるという意味だ。なぜこのような詩をここに貼っているのか気になった。管轄部署に尋ねたところ『倭人(日本)大使館に行くには安国駅で降りなければいけないため』『安国駅一帯が独立運動の街であるため』という説明を聞いた。韓国に来る日本人がこれを読むとどんな気持ちになるだろうか。これは文明国家がすることではない。立場を変えて考えてみよう。東京銀座の電車駅に『朝鮮人を切り殺そう』という文字が貼られていれば、これを見た韓国人の気分はどうだろうか。『倭人を屠殺しよう』という詩句を見て複雑な気持ちになるのなら『土着倭寇』として攻撃されるかもしれない。」(引用終わり)

最後の「土着倭寇」とは「親日派」のことであり、要するに「倭人を屠殺しよう」という言葉を見て複雑な気持ちになるようでは、「親日派」すなわち「民族反逆者」と見なされて当然、という意味である。確かにこの寄稿文に対する韓国のネチズンの反応も、この筆者に対して親日派かという激しい非難だった。

そして日本でも、この寄稿文を対して、韓国情報を扱うYoutubeチャンネルやTwitterでは、さっそく反応が見られた。たとえば、<YouTube チャンネルWWUK TV 8・27「正直、今までで一番酷い物かもしれない。」>や

韓国ニュース解説8・28「韓国の地下鉄に『日本人をとさつしよう!』という文言が掲げられている」>などである。

問題の地下鉄3号線安国駅に行ってみて分かったのは、李奉昌(イ・ボンチャン)の言葉は確かにあったが、「倭人を屠殺しよう」(왜인을 도살하자)という言葉ではなく、「敵国の首魁を屠戮(とりく)すべく誓う」という表現であった。

これについては、のちほど詳しく説明するとして、それよりもっと驚いたのは、地下鉄安国駅のホーム全体が、抗日独立運動家たちの反日・抗日スローガンの一大展示場になっていたことだ。駅ホームと電車乗降口を仕切る全面ガラス張りのホームドアには、ホーム両側の端から端まで、ホームドアの乗降口ごとにガラス壁には「100」という大きな文字が並び、その「100」の真ん中の丸の中には、安重根や柳寛順など抗日独立運動家や李承晩、安昌浩などの上海臨時政府の要人たちの顔が入り、その隣にはそれらの人々が発した言葉、残した言葉が20~30くらい,表示されている。

いままでも何回か、この駅を利用した時には気がつかなかったが、要するに100という数字が示すように、1919年3月1日の3・1独立運動から100周年を祝ったおととし2019年に、この安国駅ホーム全体が、3・1独立運動や上海臨時政府を記念するいわば「反日・抗日記念館」に姿を変えていたのだ。

なぜ、ここが反日・抗日記念館となったかといえば、近くに駐韓日本大使館があり、地下鉄安国駅の真上の交差点の角には、日本の広報文化センターがあるからだろう。さらに言えば、1884年、金玉均らが起こしたクーデタ「甲申事変」の際、改革派の拠点となった日本公使館があったのも、この安国駅のすぐそばだった。

ところで、いま仁川国際空港とソウル市内をつなぐ空港電車のなかのテレビモニターでは、「独島(竹島)は韓国領」だと主張する映像を延々と流し、韓国を訪れる各国の観光客やビジネス客に対して、極めて政治的なメッセージを強烈にアピールする。ソウル中心部・光化門前の大通り世宗大路の下の地下道には世宗大王の業績や李舜臣の亀甲船を展示する大きな記念館のほかに、「独島」に関する独自の展示スペースがあり、竹島の写真が大きく張り出されてライトに照らされた展示場は地下道のなかでひときわ目立っている。この地下道は、地下鉄1号線市庁駅や5号線光化門駅に通じるルートで、要するに通勤客や観光客は否応なく「竹島は韓国領だ」と主張するメッセージを目にすることになる。

日本政府も「領土・主権展示館」などという施設を千代田区霞が関の虎ノ門三井ビル1階などという目立たない場所にひっそりと作るより、若者が大勢集まる渋谷駅のハチ公前広場や地下道、地下鉄ホームにどーんと構えてみてはどうだろう。それぐらいしないと韓国の横暴な振る舞いや主張にはとうてい対抗できないからだ。

ところで、「倭人(日本人)を屠殺しよう」と伝えられた李奉昌の言葉だが、実際に安国駅のホームドアに掲げられているのは以下のような言葉である。

나는 적성(赤誠)으로써 조국의 독립과 자유를 회복하기 위하여 한인애국단 (韓人愛国団)의 일원이 되어 적국의 수괴를 도륙하기로 맹세하나이다.

(私は赤誠をもって祖国の独立と自由を回復すべく韓人愛国団の一員となり敵国の首魁を屠戮すべく誓う。)

ここでいう「도륙(トリュ)・屠戮(とりく)」とは『小学館韓日辞典』では「殺戮」の意味とされる。別に「도살(トサル)・屠殺」という言葉もあり、こちらは殺戮や畜殺を意味する。因みに中国語には「杀戮」(shālù)や「屠宰」(tú zǎi)という用語はあるが、「屠戮」という単語は辞書になく、韓国独自の用語のようだ。いずれにしても「屠る」(ほう・る)とは「鳥獣の体を切り裂く」ことであり、「도륙(屠戮)」とは「牛や豚のように肉体を切り裂いて殺戮する」という激しい言葉であることに変わりはない。

ところで、中央日報に寄稿文を寄せた筆者は、これは「抗日詩」だといっているが、実際は、1932年に李奉昌が昭和天皇の暗殺を企んで、天皇の車列に手榴弾を投げるというテロ事件を実行する前に彼が書いた「宣誓文」である。

そして、この宣誓文を誰に宛てて書いたのか、というと、この宣誓文のなかにも出てくる「韓人愛国団」の責任者で、のちに上海臨時政府主席となる金九に宛てて書いたものだった。「韓人愛国団」とは、上海臨時政府に参加した独立運動家らが1930年に結成した韓国独立党が、日本の要人暗殺と日本の統治機構の破壊活動を行なう特務隊、つまりテロ実行組織として作ったもので、その責任者として、テロ計画を策定し、テロ実行の指令を出した者こそ、のちの上海臨時政府主席となる金九だった。

ソウル市の孝昌公園に金九の記念館がある。その白亜の建物の前に、手榴弾を右手に持ち、まさに投げる瞬間のポーズをとった李奉昌の像が立っている。そしてその像の横には、彼の直筆と思われる「宣誓文」を刻んだ石碑もある。

ところで、前述の宣誓文にあるとおり、「敵国の首魁」と称して昭和天皇の暗殺を狙って、1932年(昭和7)1月8日、陸軍の観兵式からのお帰り、還幸の車列が、皇居・桜田門の外、警視庁庁舎前に差し掛かったとき、還幸の列の馬車に対して、李奉昌は沿道に飛び出して手榴弾を投げつけた。しかし、どの馬車に天皇がご乗車されているかを李は知らず、やみくもに投げた手榴弾は宮内大臣が乗った馬車の付近で爆破したが、爆発の威力は小さく、馬車の底部に数センチの傷を2,3箇所付けただけで済み、負傷者はいなかった。

日本では「桜田門大逆事件」と呼ばれる事件の顛末だが、韓国側はこの事件を「李奉昌義士による昭和天皇処断義挙」というとんでもない名前で呼んでいる。

この事件と「韓人愛国団」に関連して、金九記念館の内部にある展示の日本語の説明文にはつぎのような一節があった。

1930年、臨時政府で活動していた人々が韓国独立党を結成した。韓国独立党は、日本帝国の要人暗殺と植民統治機構の破壊を担う特務隊を作ることを決める。金九はその責任者となり、韓人愛国団を組織した。若者を対象に団員を募集し、米国在住の同胞から資金を集め、爆弾を用意した。日本帝国の侵略に真っ向から立ち向かおうと、1932年、李奉昌義士による昭和天皇処断義挙が、同年4月には尹奉吉(ユンボンギル)義士による上海虹口公園義挙が決行される。李奉昌と尹奉吉による義挙は、安重根(アンジュングン)の伊藤博文処断とともに義烈闘争の代表的な成果として評価されている。これによって大韓民国臨時政府の存在と独立という韓国人の熱望を世界中に知らしめた。

要するに金九は現在のアフガニスタンのイスラム過激組織タリバンと変わらぬテロ指導者であり、李奉昌らはその命令に従う自爆テロ犯と何ら変わりはなかった。実際に李奉昌も尹奉吉ものちに死刑判決を受け、処刑されている。

こうしたテロ活動によって「臨時政府の存在を世界中に知らしめた」と言っているが、連合国軍側は上海臨時政府を亡命政府とは認定せず、海外の朝鮮独立運動団体の一つとして見ていたに過ぎなかった。ましてや日本と戦った交戦国とも戦勝国とも認めなかったのは、サンフランシスコ講和条約に韓国が参加できなかったことでも明らかだ。

地下鉄安国駅の反日・抗日スローガン展示館の話に戻る。李奉昌の大逆テロ実行に向けた宣誓文の横には、金九の「この国を心配して泣いたことがありますか。そう自問するだけで恥ずかしさで涙が目に一杯になります」という言葉、その隣には、尹奉吉の「独立は遠からず実現すると信じてやまず、大韓男児としてすべきことをして未練なく去ってゆくべし」という言葉が掲げられている。要するにテロ実行を計画し指令を出した金九というテロリストの親玉の両脇を、「義士」と称して二人のテロ実行犯が固めた構図になっていて、これだけを見ても、韓国がまさに暴力テロを称揚し、それに血道をあげたテロリスト国家であることを世に示しているのである。

東京五輪の選手村に、韓国選手団は変な格好の虎の絵とともに「虎が降りてくる(범 내려온다)」という言葉を掲げたが、韓国人なら誰でも分かるこの言葉の意味は、「爆弾を日本に落とす」という意味だった。ふだん虎は「ホランイ(호랑이)」というが、ここでは「범(ボム)」という聞き慣れない言葉をつかった。ボムとは韓国人にBomb(爆弾)をまず連想させる言葉だ。

パラリンピックの車いすバスケットで日韓戦が行なわれる前、韓国チームの主将チョ・スンヒョンは「かつては日本戦になるとバスケットの試合をするというより誰か一人でも叩きつぶすという気持ちでコートに入ったものだ」と言って笑ったという。

中央日報8・27「東京パラ 日本戦の必勝を誓う車いすバスケ韓国代表」

人の痛みを身に染みて感じているはずのパラリンピック選手が、日本人を「叩きつぶす」という言葉を平気で発するのである。韓国人のテロリスト体質は過去の話ではなく、今も色濃く流れている血というしかない。