恋になるまであと二週間
晴れ渡る空、穏やかな気候。
休日として出かけるにはぴったりの日和たる本日、ルイスは自宅たる屋敷から外に出ることなく一日を終えることを覚悟していた。
「ルイス。先週も紹介したが、こちらは私が最も信頼を寄せているウィリアムだ。今日から我が家に住むことになった」
「今日からよろしくね、ルイス」
「……」
「照れているのかい?何、ウィリアムは君を悪いようにはしないさ、安心しなさい」
「…………」
初対面でいきなり抱きしめられたのは悪いことには入らないのだろうか。
ルイスはアルバートの後ろに隠れたまま、目の前で微笑んでいるウィリアムという青年をジト目で睨んでいた。
先週知り合ったばかりの彼はアルバートにとってとても大切な人のようで、久々に再会するなりそのまま居候という名の同居を提案してしまったらしい。
通学するには不便な場所に住んでいるからというのが同居の理由なのに、大学に入学もしていない今の時期から住むのは何故なのだろう。
そもそも警備の人間含めこの屋敷に立ち入ることが出来る人間は限られているはずなのに、一時のお茶だけでなく同居を許可するなんてアルバートらしくない。
アルバートはいつだってルイスの意思を尊重してくれる人だったのに、このウィリアムという人の同居に関してはルイスの意見など聞きもしなかったのだ。
気持ちが落ち着かないからもう会いたくないと伝えたのに、彼はそんなルイスの意見を無かったことにしてウィリアムの同居を決めてしまった。
確かにアルバートは昔から強引なところがあったけれど、今回は今までの比ではない。
ルイスの人見知りの気質が強いことを誰より知ってくれているはずなのに、いきなり初対面の人間と共に住むなんて一体どういうつもりなのだろうか。
このウィリアムという人、理由は分からないけれど、妙にルイスの気持ちを乱すのだ。
「よろしくね、ルイス」
「…はい。よろしくお願いします」
本当は嫌だ。
せっかくアルバートと二人きりで充実した日々を過ごしているというのに、よく知らない人といきなり同居するなど絶対に嫌だ。
けれどそれを言ってはアルバートの気を悪くしてしまうだろう。
兄は先週再会したこの人に会えてとても喜んでいたし、彼との同居を心待ちにしていたのだ。
新しく家具を取り揃えてウィリアム専用の食器やカトラリーも買い足していた。
アルバートが決めたことならばルイスは逆らいたくないし、兄の気持ちを尊重してあげたいと思う。
だから断腸の思いで、ルイスはウィリアムの同居に賛成したのである。
「ルイス、君とも仲良くなれたら嬉しいな」
「……」
「そう照れなくても良いんだよ、ルイス。まずはお茶にしようか。ついておいで、ウィリアム」
「はい」
照れてなんかいないのに、むしろ疎ましく思っているのに。
珍しく自分のことを分かってくれないアルバートに頬を膨らませて密かに不満を表していると、それをウィリアムに見られていたらしい。
彼はくすくすと笑いながらルイスを見ていて、優しく笑っているはずなのにどこか寂しそうに見えてしまった。
「ねぇルイス。今更だけど、君のことはルイスと呼んでも良いかい?」
「あ…はい。どうぞご自由に」
「良かった。ありがとう、ルイス」
初めて会ったときからルイスと名前を呼ばれていたから気にしていなかったけれど、ウィリアムはそのまま呼び捨てることを気にしていたらしい。
初対面で抱き締めてきた割には律儀な人だと、ルイスが頷きながら了解をすればどうしてだか泣きそうに表情を変えられてしまった。
「あ、あの…?」
「あぁごめんね。君の名前を呼べることが嬉しくて」
「僕の名前ですか?」
「あぁ。良い名前だね、ルイス」
「…アルバート兄様が付けてくださったんですよ。ねぇ、兄様」
「あぁ。我ながらこれ以上ないほどルイスに相応しい名前を付けたと自負しているよ」
「素晴らしい名前です、アルバートさん」
当然名付けられたときのことをルイスが覚えているはずもないが、四つ離れた最愛の兄が自分の名前を付けてくれたのだという過去は何より誇らしく思っている。
だからルイスは自分の名前を一番に気に入っていた。
整った容姿を褒められることも明晰な頭脳を褒められることも嫌いではないけれど、アルバートが初めて贈ってくれたこの名前がルイス一番の自慢ごとだ。
大切な贈り物を褒められるのは、まるでアルバートに愛されていることを実感するようで気分が良い。
アルバートの声で名前を呼ばれるのはルイスのお気に入りなのだが、不思議とウィリアムの声で呼ばれるのも心が落ち着くような心地がする。
ウィリアムのことは疎ましいはずなのに、触れられても心から拒絶は出来なかったし、彼の声で名前を呼ばれるのも嬉しいように思う。
そんな自分に気付いたルイスはハッとして、絆されてなるものか、と頭を左右に振って目を瞑る。
「…ルイス」
「何ですか?」
「ふふ、何でもないよ」
変な人、と戸惑ったように言うルイスを見て、ウィリアムは涙が出そうな感覚になった。
ルイスの存在を感じながらその名前を呼び、声を掛ければすぐに反応が返ってくる。
そんな当たり前の日常をウィリアムがどれほど切望していたか、ルイスが知ることはない。
前世では当たり前のように享受していた幸福は、今この瞬間においてどうしようもない奇跡のようだ。
ずっとこの名前を呼びたくて、実際何度も呼んだのに、結局何も返ってこなかった不毛な時間をウィリアムは長く繰り返していた。
ようやく当たり前の日常が帰ってくるんだなと、そう実感するだけで嬉しさで胸がはち切れそうだ。
今世ではもう弟ではないけれど、変わらずこの子はウィリアムにとって唯一大切な人。
何としてもこの子の特別になるべく、そして今度こそ最後の最後まで守り抜くために尽力しなければならない。
「早くルイスと仲良くなりたいな」
「…に、兄様」
「だからルイス、そう照れなくても良いんだよ」
「て、照れてないです」
ウィリアムの気持ちを理解出来るのはアルバートだけだ。
彼は二人のやりとりを眩しいものを見るかのように目を細めて見つめており、どうしてそんな目をしているのかルイスには分からないけれど、照れてないのにどうして照れているなんて言うのだろうとまたも不満を覚えてしまう。
ムッとしたように頬を膨らませる仕草は酷く幼かった。
だがウィリアムの言動一つ一つに反応して真っ白い頬が薄く染まっている姿は、ルイスの自覚があろうとなかろうと誰がどう見たって照れているのだ。
ましてルイスと最も近いアルバートがそれに気付かないはずもない。
今日から同居するウィリアムがこの屋敷に足を踏み入れたときからルイスは照れて可愛らしい様子を見せているのだから、間違いなく二人は早々に恋人になるのだろうなと、アルバートは安堵にも似た確信を覚えていた。
「さて、ここに住まう上での注意点だが…」
「はい」
「特にないな。ウィリアムの思うままに過ごせば良い」
「え、兄様!?」
三人はリビングに揃い、ルイスが淹れた紅茶を飲みながら今後について話し出す。
引っ越してきた形のウィリアムだが元々荷物は少ないそうで、午後に段ボールが二つ届く程度で済むらしい。
家具一式は揃えてあるし、必要なものは追々集めていけば良いだろうという考えだ。
それにルイスは不満はないけれど、ウィリアムと同居するに当たって幾つかの約束はしておいてほしいと思っていたというのに、アルバートの一言でそれは挫かれてしまった。
「兄様、今日からウィリアムさんがここで暮らすんですよ!?何もないということはないでしょう!」
「大丈夫だよ、ルイス。ウィリアムは非常識なことはしないから」
「ですが…!」
「ウィリアム、先日も言ったが私とルイスにはそれぞれ護衛が付いている。屋敷の中では干渉されないが、一歩でも出れば即座に監視対象となってしまう。始めのうちは視線が鬱陶しいかもしれないがじきに慣れるだろう」
「分かりました。僕としてもその方が安心です」
「ルイスの護衛は一番腕の立つ人間で、身辺調査も滞りなく済んでいるベテラン達だ。間違いが起こることはまずないだろう」
「そうですか。ルイス自身の護身術は?」
「無論、そこらの暴漢では太刀打ち出来ない程度には鍛えている。後でルイスの携帯の位置を特定出来るアプリを教えるからインストールしておいてくれるかい?」
「後でと言わず今すぐにでも」
「……」
ルイスの言葉に構わずアルバートとウィリアムは会話を続けている。
けれどその内容は主に護衛についてのことばかりで面白くない。
アルバートが過保護なのはいつものことだが、知り合ったばかりのウィリアムにまでそれを求めるのはどうしてなのだろうか。
この前会ったときもその部分で妙に意気投合していたし、ウィリアムはやたらと自分と仲良くなりたがるし、アルバートはそれを当然のように受け入れているし、ルイスだけが納得のいかないことばかりだ。
またも頬を膨らませて不満を表に出していると会話に区切りが付いたのか、隣に座るアルバートがルイスの腰を抱いてくる。
それ自体は普段している行為なので戸惑わずに体を寄せてみれば、低いけれどよく通る声が聞こえてきた。
「知っているだろうが、私とルイスは兄弟にしては深い仲だ。そういった場面に出くわすこともあるだろうが、まぁ気にしないでくれ」
「は、え?兄様?」
「大丈夫です。ルイスも僕に遠慮せず、アルバートさんとは普段通り過ごしてくれて良いからね」
「は?」
ちゅ、と頬にキスをされたかと思えばアルバートは変わらず微笑んでいるし、それを見たウィリアムもにこにこと笑っている。
恥ずかしがる自分がおかしいのだろうかと、ルイスは二人の顔を交互に見ては何も言えずにただただ目を見開いていた。
「ご馳走さま、ルイス。料理が上手なんだね、どれもとても美味しかったよ」
「お口に合ったのなら良かったです」
「ウィリアム、今日は移動で疲れただろう。先に入浴を済ませると良い」
「アルバートさんとルイスは?」
「私達は後で構わない」
「ではお先に」
届いたウィリアムの荷物を片付け、ルイスが作った料理で夕食を済ませて和やかな時間を過ごす。
アルバートとウィリアムと過ごす時間は驚くほどに居心地が良くて、同居に賛成していなかったはずなのについつい安心してしまった。
かけてくる言葉の一つ一つが優しいウィリアムはまるで女性を口説いているかのようだ。
スマートな言葉選びは彼がそういったことに経験豊富なことを示しているようで、何となくルイスとしては面白くなかった。
「兄様、どうしてウィリアムさんをこの家に住まわせたんですか?」
「以前も言っただろう?彼の家からは通学に不便だから、助けになりたいと思ってね」
「まだ大学は始まっていないのに?」
「早く慣れておいた方がいいだろう」
「…兄様は否定していましたけど、やっぱりあの人、兄様のことがすきなのではないですか?」
「すきとは?」
「…兄様の恋人になりたい、という意味で」
「……」
「…………」
「…ふっ、くく…はははっ」
真面目な顔をしてあり得ないことを言うから飽きることなく可愛らしい。
想像だにしていなかったことを言うルイスに、アルバートは珍しくも声をあげて笑ってしまった。
ウィリアムに好かれている自信はあるが、それはあくまでも親愛の延長でしかない。
アルバートはどこまでいってもウィリアムの兄で、彼もそうとしか受け止めていないだろう。
だが以前の記憶がないルイスにしてみれば、それは納得いかない関係に見えてしまうのだ。
ウィリアムの欲もアルバートの欲もルイスにしか向いていないというのに、当の本人がそれを知らないというのは中々愉快である。
ルイスは微笑むのではなくはっきりと笑うアルバートの姿に思わず見惚れてしまったが、彼は自分の発言を笑っているのだと気付くとすぐさま拳を握って熱弁した。
「で、でも兄様。あの人はやたらと僕と仲良くなりたいとか、やたら僕に優しくしてくれます。兄様を懐柔しようと僕を狙っているのかもしれません」
「なるほど?将を射るにはまず馬から、という東洋の諺もあるくらいだからね。私を得るためルイスに手を出そうとしていると考えたのか」
「そうでなければ初対面の僕に優しくする理由がありません」
「…初対面、か」
「兄様?」
一瞬だけアルバートの表情が変わったかと思えば、すぐにまた愉快そうに笑う表情に戻ってしまった。
ルイスは違和感を声色に出したけれどアルバートが気にすることはなく、足を組み直して言い聞かせるように声を出す。
「ルイス、彼がお前に優しくしたい気持ちに裏はないよ。どうかその気持ちを疑わないであげてくれないか」
「…どうしてですか?」
「言っていただろう?ウィリアムはずっとお前に会いたかったと。彼はずっとルイスに会いたくて、ずっとお前に優しくしたかったんだ。ウィリアムは私ではなくルイスを見ているよ」
「……そう言われても」
「戸惑うのも無理はないさ。時間はたっぷりあるから、ゆっくり彼のことを知っていけば良い。ルイスとウィリアムが仲良くなるのなら私も嬉しい」
アルバートの言うことにルイスは逆らえなくて、了解するように頷くことしか出来なかった。
この人が認めたのだからウィリアムが信頼に足りる人であることは間違いない。
それに我ながら警戒心が強いと自負しているのに、ウィリアムがそばにいてもはっきりした不快感を覚えないのだから安心感ある人なのだろうことも分かる。
だから余計にルイスはウィリアムが分からなくて、自分の中に入ってきてほしくないのに、彼は勝手にルイスの中に居座っているのだ。
嫌だとは思わないから余計に困ってしまう。
「さぁルイス、ウィリアムはきっとどのボトルがシャンプーかも分からないだろう。教えてきてあげてくれるかい?」
「…分かりました」
アルバートの指示にゆっくりと足を動かし、ぱたぱたと子どものような足音を響かせて廊下を歩く。
普段ならば静かに歩くはずなのに、今は何となく気乗りしなくて足音を立ててしまった。
気にする人はいないからまぁ良いかと、ルイスは浴室に来ては磨りガラスの向こうにいるであろうウィリアムに声をかける。
ちょうどシャワーを浴びているのか勢いの良い水音が聞こえていた。
「ウィリアムさん、シャンプーは白いボトルに入っています」
「え?」
「トリートメントは赤、ボディソープは黄色です。間違えないでくださいね」
「もしかしてルイスかい?」
「え、ぅわっ」
大きめの声で簡潔に伝えたはずが、シャワーを出している浴室の中ではあまり届かなかったらしい。
ウィリアムの声が聞こえてきたかと思えば、いきなり浴室の扉が開いて温かいシャワーがルイスの体に降りかかってきた。
「ごめん、うっかりしていた!大丈夫かい、ルイス」
「いえ…大丈夫です」
「あぁ、濡れてしまったね…そのままでは冷えてしまう、こちらへおいで」
「え?あ、あの」
「いいから」
シャワーにそれほどの勢いはなかったようで、ルイスの衣服が濡れる程度で床や壁には飛んでいない。
器用なことだと、ならば僕にもかけないでほしかったと、ルイスはぼんやり思いながら顔に跳ねたお湯を指で払う。
そうしてひとまずタオルで拭こうと近くにあったそれに手を伸ばそうとするが、先にウィリアムに腕を取られてそのまま浴室に引き込まれてしまった。
「服、脱がせるよ」
「え?え、大丈夫です、待って」
「恥ずかしがらないで。風邪を引いたら大変だろう?」
「で、では、ウィリアムさんが出たらすぐに入るので」
「僕はまだ髪も洗っていないからもう少し時間がかかるんだ。一緒に入ってしまった方が早いよ」
「え、や…んっ!」
ルイスの抵抗をものともせず濡れた服を脱がし、ウィリアムはあっという間にルイスを裸にしてしまった。
シャワー中に浴室のドアを開けるくらいうっかりしている人なのに、あまりにも手際が良すぎて驚きだ。
まだ二回しか会っていない人に服を脱がされ、何も纏わない姿を晒していると思うと卒倒してしまいそうだった。
けれどそんなルイスの背を優しく抱き寄せて温かいお湯をかけてくれるウィリアムの目はとても真剣で、恥ずかしく思う自分がおかしいのかと錯覚してしまいそうになる。
お風呂なんてアルバートとしか一緒に入ったことがないというのに、まだよく分からない彼と入ることになるなんて。
「温まったかい?」
「…は、ぃ」
「良かった。湯船に浸かろうか、肩が冷えてしまう」
見れば当然ウィリアムも裸で、あまり身長は変わらないはずなのにルイスよりも体格が良いのが一目で分かってしまった。
濡れた肌が妙に艶めいていて、アルバートとは別の意味で色っぽく見える。
何となく目のやり場に困って視線を逸らしていると気配だけで笑われているのが伝わってきて、むっとしたように顔を合わせればそのままバスタブに連れられた。
モリアーティ家自慢のバスタブは大人が三人入ってもゆうに足を伸ばせるくらいに広い。
それなのにウィリアムはルイスのすぐ隣で肩を抱き寄せて温かい湯を堪能していた。
「あの…近く、ないですか?」
「そうかな?こんなものだと思うけど」
「広いバスタブですし、もう少し離れても良いと思うのですが」
「ルイスは僕と近いのは嫌かい?」
「嫌…というか…あまり慣れないといいますか…」
「なら少しずつ慣れていこうか」
ルイスが距離を取ろうとしてもウィリアムの腕は離れなくて、どうしてだかその腕を完全に拒否することも出来ない。
にっこりと笑う顔がとても綺麗で、妙に心がざわめくようだった。
アルバートとよく似た温かいその手を懐かしく思うのは何故だろうか。
せっかく広いバスタブなのに、ルイスは膝を抱えてすぐ隣にいる居候とぴたりくっついている。
ウィリアムと一緒にお風呂に入ったと知られたらアルバートに怒られるだろうか。
怒られたくはないけれど、ここから出るのも惜しい気がする。
一体どうすれば良いのだろうかとルイスがぼんやり考えていると、肩を抱いていたはずのウィリアムの腕がゆっくりと背中に回ってきた。
「あ、の…」
「…ルイスの体は温かいね」
「……お風呂に入っているので」
「そうじゃなくて…ううん、そうだね。お湯のせいだ」
「…ウィリアムさん?」
いやらしいどころか慈しむような手付きで抱きしめられた。
ちゃぷりと響く水音以外は何も音がしないはずなのに、とくりとくりと心臓が早く脈打つ音が聞こえるようだ。
ウィリアムに聞こえなければ良いと思う。
「ねぇルイス」
「はい」
「僕の弟の話を聞いてくれるかい?」
「…ウィリアムさんには弟がいるんですね」
「今はもう、いないけれど…とても大切な人だったんだ。それこそ、僕の全てを投げ打ってでも生きていてほしいくらいに、大切な人だった」
「……」
震える声で言葉を紡ぐウィリアムに、ルイスの声は出てこなかった。
下手な返事をしてはいけないと無意識に判断したのかもしれない。
飄々として余裕めいた今日ではなく、初めて会ったときのように必死で懸命な声が悲しかった。
「とても大切だったのに、僕は間違えてしまったんだ。あの子の気持ちを知っていながら突き放してしまった。一人で頑張らせてしまったこと、昔も今も僕はずっと後悔している。寂しがり屋で、頑張り屋で、愛されたがりで、周りのために自分を殺して誰かを演じることが出来る…そんな弟のことが、僕は誰より大切で、愛おしかった」
「…そう、ですか」
「とても可愛い子だったんだよ。とても強くて、綺麗な子だった。…君と似ているんだ、ルイス」
可愛いも綺麗も、その容姿を指しているわけではないのだろう。
いや、容姿も可愛く綺麗だったのかもしれないが、きっとウィリアムにとってその弟は存在自体が強くも可愛くて綺麗で、触れてはならない聖域だったのだ。
悲しそうに、それなのに愛おしそうに言うウィリアムをすぐ近くで見たルイスは思わず頬が引き攣った。
「…僕は、アルバート兄様の弟ですよ」
「知ってる。素敵なお兄さんだね」
自分とその弟を重ね合わせて見ているウィリアムが、何故かとても嫌だった。
僕は僕なのだと、そう気持ちを込めて伝えればいとも簡単にいなされてしまった。
分かっていないわけではなく、ウィリアムはちゃんとルイスをルイスとして認識しているのが伝わってくるのだ。
だから余計によく分からなくて、ルイスの戸惑いは増していく。
そんな戸惑いの中でルイスはうわごとのように声を出す。
「…僕は兄様の弟ですが、たまにならあなたの弟になっても良いですよ」
「本当かい?」
「はい。だから、そんな顔をしないでください。あなたがそんな顔をしていると、」
僕が悲しい。
そう言おうとして、まだ二回しか会っていないはずなのにそんな執着を見せるのはおかしいだろうとルイスは言葉を止めた。
鮮やかな緋色の瞳はルイスのものとよく似ている。
色だけでなくその顔立ちも似ているように見えるのは気のせいだろうか。
「…アルバート兄様が、悲しんでしまいます。兄様はあなたに会えて喜んでいました。兄様を悲しませないでください」
「…そうだね、アルバートさんは優しい人だから」
「はい」
自分ではなくアルバートを引き合いに出して、ルイスは無理矢理にウィリアムの笑みを手に入れる。
ウィリアムからこんなにも真っ直ぐ熱意を持って想われていたその弟は今どこにいるのだろう。
この人を悲しませないでほしいと思う。
そのためなら僕が代わりになっても良いと、ルイスはそんなことを考えてしまった。
(じゃあルイス。早速だけど、僕のことは兄さんと呼んでもらって良いかな?)
(兄さん、ですか?)
(そう)
(…兄さん)
(うん)
(…ウィリアム兄さん)
(ふふ、ありがとう)
(おや。二人とも、もう仲良くなったんだね)
(アルバート兄様。これは、あの、ウィリアムさんにも弟がいたらしくて、寂しくないように僕が代わりになってあげようと思っただけで)
(…そうか。優しいね、ルイスは)