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【平井有太(The 10th FUKUSHIMA)】震災後の福島が教えてくれた ビオクラシー(生命主義)。

2021.10.25 03:00
研究者も市井の人も、福島で出会った人たちが同じように口にしたのは「命が大事」という思いだったという。原発事故で突き詰められた様々な選択。そのの根幹にあったのが「命」に他ならない。

文・写真 = 宙野さかな text・photo = Sakana Sorano


ー 平井さんは東日本大震災後に福島に移住しました。いつ移住なさったのですか。

平井 東京でフリーライターをしていました。いわゆるカルチャー系では、放射能はNGというのが核心にあるじゃないですか。絶対にダメ。でも自分ではよくわかっていないし、実際にどうなんだろうって興味から調べはじめていたです。CO2を出さないから、温暖化という部分ではむしろいいんじゃないかとも思ったこともあった。どっちだろうと考えていていたときに、あの事故が起きたんです。言わんこっちゃないと、自分の浅はかさを自覚しつつ、動き出したのかもしれません。事故直後、4月には元京都大学の小出裕章先生にもインタビューしました。福島では何かが起きている、起きてないわけがない。そんな思いで福島に通いはじめたんです。福島に住みはじめたのは2012年の10月です。


ー 移住という選択をしたきっかけは?

平井 福島大学の先生方に話を聞く連載を週刊朝日でやったんです。そのなかで農業の専門の先生が「安全か危険かって話をしているのに、実は土壌の線量を測定していないんだよ」という話をしていたんですね。翌年、その先生から連絡が来て「土壌を計測するプロジェクトがはじまるから見に来て」。そして「人手が足りないから、福島に来て手伝ってよ」と。それでその「土壌スクリーニング」プロジェクトを手伝うために移住したんです。


ー 福島で暮らして、放射能に対する見方とか変化がありましたか。

平井 まったく変わりました。いたずらに危ないということがなくなりました。放射能の汚染は、グラデーションがない。1メートル離れただけで線量がずいぶん変わる。時間が経過すればそれが移動する。安全な場所も危険な場所も、測ってみなければわからない。自分のなかで基盤ができました。

ー 福島に関わる様々な方々にインタビューした本もお書きになっています。

平井 研究者も農家さんも、小さなお子さんがいるお母さんにもインタビューする。有名人だけではなく、市井の方のお話をずっと聞いていきました。みなさん意見が違うはずなのに、最終的には同じことを言っている。この同じってことに、何かがあるなっていうことを漠然と感じていきました。あらゆる人が、表に出すか出さないかは関係なく、福島の問題を突きつけられたわけです。みなさんが最終的に言っていたのは、わかりやすく言えば「命って大事」ということでした。


ー それを「ビオクラシー(生命主義)」という言葉で表現したのですね。

平井 福島でこのまま暮らしていいのか。家族を逃がさなきゃいけないんじゃないか。目の前のこの野菜を食べていいのか。あらゆることに選択があった。その選択を乗り越えた方々の思考は強靭だし、他のあらゆることに通じる普遍性がありました。僕は研究者じゃない。自分の役割が何か考えたときに、その、有機的なぼんやりしているものを、言葉のかたちで残して繋ぎ止めることじゃないかと思ったんです。福島でのみなさんの体験を可視化させる。それが他の人にはやれない、福島にいる自分がやれることだし、後になってとても重要なことになってくるんじゃないのかって。


ー 福島原発事故から今年で10年が過ぎました。

平井 社会としては圧倒的に忘却の方向ですよね。コロナになって「分断」という言葉をよく耳にするようになったけど、原発の機能が分断の塊なんです。原発によっては、みんなが一致団結できない。世界のどこでもできたことがないのだったら、関係者の分断を生むだけの無責任なものなんて作るなと思います。故郷を壊したりしない、地球が持続できるエネルギーが増えて欲しいです。


ー これからの福島はどうなっていけばいいと思っていますか。

平井 大前提として、それを決めるのは福島の方々です。3・11を経て、期せずして他の土地にはない価値観や考え方が福島にはある。過疎化、少子化、後継者問題。日本中の地方都市が抱えている問題が数多くあります。福島で事故が起きて、水面下で見えにくかったそれらの問題が可視化されるようになった。その意味では、福島は先駆的な地域になったわけです。福島が通った道が、他のどの地域にとってもモデルになる。そのことに自信を持って、胸を張って前に進んでくださいと思います。


ー 自分の暮らす場所に、ある種の誇りを持つということ。

平井 そもそも福島がどういう場所だったか、おさらいをすること。地域ってなんだっけ、自分たちの住むところってなんだっけ、生まれた場所ってなんだっけって。これからは地域の時代です。中央集権が終わり分散型の社会になっていく。地域が地産地消で循環型の社会を作っていくことは明らかです。逆にそれができなければ、地球は終わってしまいます。


ー 住んでいる場所の環境を良くしたいというのは、誰もが考えていることですから。

平井 地域について考えぬくこと。自分で考え、選び、自分の責任で掴み取る社会。押し付けられたものだけをありがたくいただくという姿勢はやめて、自分たちで選んで自分たちで積み上げる社会の実現。これが福島が僕らに教えてくれた一番のことじゃないかと思っています。


平井有太(The 10th FUKUSHIMA)
2012年から15年まで福島市に在住。福島大学の客員研究員として農の復興事業をJA新ふくしま(当時)、福島県生協連と協同し、市内すべての田んぼや果樹園の含有放射性物質を測定した。福島での体験や出会いを本(『福島』『ビオクラシー』)に残している。認定NPO法人ふくしま30年プロジェクト理事、みんな電力のオウンドメディアの編集長としても活動中。https://fukushima-30year-project.org/