Ameba Ownd

アプリで簡単、無料ホームページ作成

世界樹・生命の樹

2018.08.30 02:40

Facebook・清水 友邦さん投稿記事 「世界樹・生命の樹」

世界樹・生命の樹は世界中の民族の神話にあらわれます。

聖書の神は、見て美しく、食べるに良いすべての木を土からはえさせ、エデンの園の中央に命の木と、善悪を知る木とをはえさせました。

人間が善悪を知る知恵の木の実を食べると神は生命の木の実も食べることを嫌い楽園から追放しました。

ユダヤ神秘主義のカバラではセフィロト(生命の樹)と呼ばれています。

古事記のイザナギとイザナミは天御柱を回って婚姻し国を生みました。

シャーマンを表す巫という漢字は、上が天を、下が大地を縦線は天と地を繋ぐ生命樹を表しています。

その生命樹の両側に舞踊る人を置いています。

生命樹を中心に舞踊ることによって、シャーマンに神や精霊が宿ることを象徴してます 。

北欧神話で混沌とした世界に天と地を結ぶ一本の巨木ユグドラシルが生まれます。

枝葉は全世界を覆いつくして上は北極星まで垂直に伸びて天まで達します。

その根は神々が住む地下の冥界、人類共通の祖先の世界まで繋がっています。

この一本の巨木から、あらゆる生命が生まれて世界に秩序と安定がもたらされました。

物質世界ではあらゆるものが生まれては死んでゆきます。

世界樹・生命の樹は朽ちることなく永遠にそびえる不滅の存在です。

すべての生命は世界樹・生命の樹と繋がり影響を受けています。

岩石、巨木、川や泉や滝、山々は神の依代であり、古代は自然界そのものが神でした。

巨木には神が宿るので、みだりに木を切ったりすることは禁じられていました。

しかし、お金の時代になると神は自然界の森から姿を消しました。

神のいない土地は売り渡され、原生林の巨木は切られてしまいました。

8,000年前の森林は地表の62%を覆っていました。

森林破壊が延々と止まることなく続き、2000年には30%に半減してしまいました。

のこされた森林も本来の植生の70%が失われています。

森林をガイアの肺とすると、すでに肺の半分以上が失われ残りの肺も7割は正常な状態ではないという事になります。

ガイアはバランスを回復しようと気象変動という熱や咳を出しています。

症状が進むとますます巨大ハリケーンや台風、熱波がひどくなるでしょう。

文明の消滅と森の消滅はほぼ正比例しています。

人間は独立した存在ではなく自然に依存している一部にしか過ぎません。

環境と生命全体が自分であることを私たちは忘却しています。

「白人はいのちの輪を見失っている」と先住民は語ります。

世界の運命は世界樹・生命樹が握っています。

「舞の心構え」

「舞の心構えとは、物に拘泥せず、人の目を気にせず、心のうちにいっさいの思いが浮かんでこない無心無想の状態にあって謡と舞、体と心とがひとつに集中されたまま、楽の音にのせて舞うのである」金春禅竹 (室町時代の猿楽師、能作者)

無心に舞をしていると大地から螺旋状にエネルギーが上昇して身体を流れます。

そのエネルギーは自我の境界を溶かすので不安や恐怖を伴うことがありますが、恐れずにあるがままにしておくことでエネルギーは自我の境界を超えて流れて浄化します。

日本には昔から、「ハレ(晴れ)」と「ケガレ(穢れ)」という考え方がありました。

ケとキ(気)は異語同義語で、キ(気)は目に見えない潜象エネルギーをあらわしています。

ケの生命エネルギーが枯渇するのが「ケガレ(褻・枯れ)」です。

「ケガレ」は、ミソギ(禊)やハライ(祓い)を通じてエネルギーを充電させて回復します。

ツミ(罪)のツは包むのツで、ミは自己の本質のことです。ツミとは本質の上に覆っている余計な知識や観念、思い込みのことです。

本当の自分を自我意識で包み隠すことが〈ツミ〉なのです。

ですから本来の自己が思い込み(ツミ)で覆われてしまうと、エネルギーが流れなくなり、気が枯れて、「ケガレ」てしまいます。

そこで、エネルギーを回復するために、「ミソギ」でツミ(罪)を削ぎはらいます。

〈ツミ〉を削ぎ落として本来の〈ミ〉に帰ることが〈ツミソギ〉即ちミソギなのです。

自我という思い込みが祓われると、神であるミタマ(本来の自己)が姿を現し(ヨミガエリ)、ミタマ(本当の自己)はハレ(晴れ)となるのです。

日常的な意識を超えた力に自我を明け渡したときに、「舞」が起こります。

日常的な意識は 失敗しないように 間違わないように こうしなくては ああしなくては

あの人は舞が上手、わたしは舞が下手と絶え間なく考えています。

私という自我意識は物事に優劣のランクをつけているので境界線という障害を作ってエネルギーの流れを阻害しています。

欲望、悲しみ、苦痛など人間の苦悩の根本原因が自我なので、自分と他者を切り離している自我は分離があるので葛藤や苦しみがやむことがありません。

自我意識は絶え間なく未来や過去を行き来していて、いまここにいられません。

今この瞬間の身体感覚に気づきをもって舞っていると思考作用は低下します。

ノーマインドという無心の状態に入ると自他の境界が溶け出して世界との融合が起こります

時間と空間を超えた無限の沈黙と真実の愛に気がつきます。

過去も未来もなく、生も死もなく、永遠の今だけがあります。

自分と世界の境界線が消えると神以外のものは何もなく、全てが神となります。

禊祓いという古代の呪術的行為はタマとむすんで全体と一つになることでした。

(引用文献 清水友邦著『よみがえる女神』ナチュラル・スピリット刊より)

先日、天麻那舞(主宰 村上舞那 )のご奉納が遠野市の六神石(ろっこうし)神社であり撮影してきました。夜の撮影でもフラッシュも三脚も使わなかったので写真が少しぶれています。

六神石(ろっこうし)神社の神体山の六神石山(六角牛山)は遠野物語で、三人の女神のうち長女「おろく」が得た山といわれています。

末娘のおないは瀬織津姫命として早池峯神社に祀られています。

この日は蒸気機関車のSL銀河が運行された日だったのでにわか撮り鉄になって撮影してきました。