恐怖政治1-第一次対仏大同盟結成
2021.08.30 10:49
仏王ルイの処刑はヨーロッパに震撼をもたらし、1793年対仏大同盟にイギリスが参加した。イギリスでは当初フランス革命に好意的だったが、革命が急進的になると否定的な意見が出され、ウィリアム・ピット(小ピット)首相は、急進的な出版を取締り、大逆罪で裁判にかけた。
イギリス参戦のきっかけは、仏革命軍の進軍である。ヴァルミーの戦いに勝った革命軍は息を吹き返し、義勇軍の数と100門の大砲の力で、ジュマップの戦いに勝利し、11月14日にブリュッセルに入城して、下ネーデルランドを支配した。さらにオランダを狙う動きを見せたので、自国利益のためイギリスが参戦した。
ドイツ方面の仏革命軍は、生粋の貴族軍人キュスティーヌ司令官が、マインツからフランクフルトまで進軍して、革命の宣伝をして貴族と聖職者に重税を課した。北方軍司令官のデュムーリエもオランダに進軍。ところが苦戦して連合軍の立ち直りを助けることになった。
実はこの頃義勇軍は、任期が切れて帰還しつつあった。ドイツ方面軍も反撃に会い、ライン川まで撤退。2月24日、国民公会は、兵力不足を補うために30万人を募兵した。ところがこの募兵は、かえってこれまで貯まっていた反発を呼び起こし、3月にヴァンデ地方で反乱が発生する。