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元町映画館ものがたり

「フィルム映写機を残したのは先見の明があった」8/22メディアが見た「元町映画館の10年」|片岡達美/吉野大地

2021.08.30 13:22


  書籍「元町映画館ものがたり」刊行記念RYUSUKE HAMAGUCHI 2008-2010 Works PASSION/THE DEPTHSと題して8月21日より1週間に渡って開催した上映&トークセッション。

  2日目は『THE DEPTHS』上映後、神戸新聞記者の片岡達美さんとラジオディレクターの吉野大地さんをお迎えし、メディアが見た「元町映画館の10年」について江口が聞き手となって語り合った。



■濱口竜介監督初期作を振り返る

『THE DEPTHS』は選択と偶然が対になる(吉野)
『PASSION』から『ドライブ・マイ・カー』まで一貫してつながっている(片岡)

まずは『THE DEPTHS』について吉野さんが「キム・ミンジョンさん演じるペファンが韓国の妻とリモートで会話しているシーンがあり、こんなに素敵な妻がいるならさっさと韓国へ帰ればいいのにとずっと思っていました。それを濱口監督に伝えたら『そんなことしたらこの映画、30分で終わっちゃいます』と言われました」と場を和ませてから、より深い『THE DEPTHS』論を展開。


「この作品の面白いところは、ファーストカットで腕利きのカメラマン、ペファンが狙ったショットをおさえていく。もし物語に選択と偶然があるとすれば、ペファンは偶然より選択が勝っている。ラストショットはそれと対になっており、最後にシャッターを切ろうとするけれど遮るものがあり、失敗してしまう。そこではペファンの選択よりも偶然が勝ってしまう。それが最終的に主人公の運命につながります。選択と運命のせめぎ合いやジャンケンのように勝負するドラマの作り方は『THE DEPTHS』以降、最新作の『ドライブ・マイ・カー』まで濱口さんがすごく追求してこられ、作品ごとに研ぎ澄まされてすごく上手くなっていると思います」


さらに、分岐点で終わるラストに濱口監督のその後のフィルモグラフィーを重ね、


「本来のコンセプトはボーイズラブ色を強めたかったらしいが、濱口さんの場合どこか煮え切らない感じがしませんか?映画のラストも分岐で終わっていきますが、もしBL色強めにして『THE DEPTHS』がヒットしていたら、それ以降商業映画に進んでおられたら、インディペンデント映画を撮ったり、『ハッピーアワー』を元町映画館で上映することはなかったかもしれない。それも運命的だし、濱口竜介的だなと思います」


一方、前日の『PASSION』鑑賞後、『THE DEPTHS』を観たばかりの片岡さんは、


「『PASSION』は学生の卒業作品として観るとかなりの実力だと思いますが、『THE DEPTHS』はさらに成長され、撮影、編集もすごくこなれた感じになっています。私自身もこの2作品に触れ、濱口監督の成長をまざまざと観させていただいた気分です。濱口さんは人間関係の、曰く言葉にしづらいみたいなところを一生懸命に表現することに腐心されている方だと改めて思いましたし、新作の『ドライブ・マイ・カー』も男女や家族、いろいろな国の人たちの人間関係を描き、またステップアップされている。『PASSION』から『ドライブ・マイ・カー』まで一貫してつながっているなと思いました」と新作との関わりを語った。



■神戸全体の文化度が増した元町映画館誕生期の2010年前後

 大阪市立大学時代は映画研究会(映研)に所属していたという片岡さん。当時、阪本順治監督のデビュー作『どついたるねん』を製作中で、関西地域の映研に何か手伝わないかと勧誘があり、そこに参加したのが映画製作現場に関わった最初の体験だった。本当は取材する側ではなく映画を作る側に行きたかったが、就職活動で紆余曲折するうちにバブルが弾け、最終的に落ち着いたのが新聞記者だった。

 最初は文化部、社会部、地方の支局、電子新聞の準備室など様々な部署を経験。元町映画館開館の2010年は社会部に所属していた。当時から取材する機会はなくても映画の情報交換をしていたので、そこからお付き合いが続いているという。

 一方、吉野さんは関西学院大学在学時からラジオ関西でADのアルバイトをはじめ、そのままラジオの道へ。5~6年の下積みの後、ディレクターになり、映画番組を手がけていたという。2010年は、昭和の時代にラジオ全盛期を支えてきた人材が定年退職で一斉にいなくなった時代。これから積極的に番組製作をしなければならないというタイミングで元町映画館ができたことは、その後の取材や番組製作の上でも大きなトピックになった。さらに吉野さんは、


「少しスパンを広げると、2007年、旧グッゲンハイム邸の管理人を森本アリさんが引き継ぎ、文化施設として活用するようになり、その後新長田に神戸映画資料館、2010年に元町映画館、2012年にクリエイティブデザインセンター(KIITO)がオープンしたので、番組を作るにあたって、これぐらいあれば文化に特化した番組を作っていくことが可能ではないか。そういうことを認識し始めた時期でした」と明かした。



■プレスの二人が見た、元町映画館の10年とは?

 いよいよ話題は、お二人が見た元町映画館の10年に。片岡さんは、


「いい意味で、垢抜けないなと思っています。ミニシアターといえばとかくスカした感じの、映画通が見にきてくれればいいという匂いを漂わせるところが多いのですが、(元町映画館は)そうではない。ここで映画を上映して届けたいという当初の思いがますますパワーアップしているのがいいなと思って見ています」と嬉しいお言葉。


一方、吉野さんは、

「片岡さんがおっしゃったように元町映画館はDIY感がありますし、映画チア部のような映画サークル的な取り組みなど、試行錯誤を繰り返しながらここにたどり着いた印象があります。個人的に、オープン当初は積極的に応援しないとという意識がありましたが、ある時期からすごく映画館として確立され、映画館からの発信力がすごく強くなってきた。2010年代半ばから、もう元町映画館は独り立ちできるなという手応えを感じましたね」


■ミニシアター界のターニングポイントと元町映画館の選択

 ミニシアターにとってのターニングポイントで、元町映画館に何が起こっていたのかをお二人に振り返ってもらった。まずは吉野さんが2010年代前半のデジタル問題を説明。


「ほとんどの映画はDCPで上映されているが、それまでは全てフィルムでした。DCPに一斉に切り替わるというタイミングで多くの映画館がフィルム映写機を捨ててしまい、デジタルでしか上映できない形になったのです。でも元町映画館はフィルム映写機を残した。そこは今も生きている大きな転換期です。フィルムをかけるのは技術も知識も必要で、それは映画館が人を育むことにも関係してくると思います」


さらに片岡さんは現在のデジタルからフィルム化の流れを言及。

「デジタルは時間が経つと規格が変わり、残らないかもしれないので、デジタルで撮るけれど、フィルムに残すという動きがハリウッドで起こっており、富士フィルムは400〜500年残るフィルムを作ったそうです。そういう意味でも元町映画館が安易にフィルム映写をやめなかったのは、先見の明があったのでは。400〜500年後もフィルム上映ができる映画館として残ってほしい」と力強いエールをいただいた。


 江口もデジタルではなく書籍としてコロナ禍の奮闘やこれまでの映画館の歴史を残そうとしたのは、アナログな形で50年、100年後まで伝え続けたいという気持ちが強かったからだと説明。吉野さんも、


「紙で記録を残すのはすごく大事なこと。内容も読み応えがあり、PRしろと言われたわけではないが、さすがに映画館20年の歴史となると読むのも大変だし、歴史や人物を把握するのも大変。読むなら今が一番いいタイミング。逃さないで!」と書籍を手に今でしょオーラを炸裂させた。



■コロナ時代の映画館、あれから1年をどう見ているのか?

 片岡さんからはもう一つのターニングポイント、コロナ時代についてのお話が。


「コロナ禍で映画を観るということについて、すごく考えさせられました。我々は今起こっている社会全般の事象を追いかけますから、支配人の林さんに何度も取材をさせていただき、緊急事態宣言が出るといえばどうするのかと聞き、悩んでいるならどういうことを悩んでいるのかを聞き、再開時は再開初日を取材させていただきました。そうする中で、コロナが起こる前からサブスクも普及し、どの媒体で映画を観るのかという議論がされていました。物理的に映画館に行けない状態を経験した中で、ミニシアターで観ることを私なりに考えてみると、例えば演劇で小さい劇場だと、肉体の演劇の面白さが広がったと思います。映画の場合、この空間でお客様同士の距離感やスタッフとの距離感だと思います。いろんな意味での距離感を考えさせられました」


全国の映画館が閉館してから1年以上が経つが、そこでも映画館を取り巻く状況は激変している。吉野さんは、

「この本を読むと、スタッフたちがどうやって元町映画館にたどり着いたかが書かれているんです。そこには偶然や運命がある。コロナは映画館にとって社会全体が選択を望まないものですが、その中で映画館がどういう選択をしていくか。スタッフたちがどういう選択をしていくかがすごく大事です。どういう選択、運命が関わってくるのかなと思いながら見ています」


一方、片岡さんは書籍でも触れた休館中の映画界の動きに触れ、

「コロナで関西ミニシアターの連携が可視化されましたし、濱口監督もいち早くミニシアター・エイド基金を立ち上げられ、3億円も集まりました。ミニシアターをコロナで廃業させるようなことがあってはいけないと思っている人がそれだけいたことを力強く感じていて、我々も応援していかなければいけないなと感じています」と決意を語った。



■時間ができれば寄りたいと思える場所に(片岡)
  映画館の客席は常に人を待っている空間(吉野)

 最後にこれからの映画館に期待することを自由に語ってもらった。吉野さんは、

「この本を読んでいくとスタッフの話がたくさん掲載されていて、その中に共通してあるエピソードがフィルムをつなぎ合わせる作業なんです。僕もラジオに関わりだした頃は媒体がテープだったので、それを切り貼りしてつないでいた。すごく手間がかかるけれど、集中力と根気と、モノを手でつなぐという感覚が養われたと思うんです。元町映画館のスタッフは必要なスキルや仕事としてやっていると思いますが、それは絶対に、希望的観測としてこの5年、10年、もしくはその先まで人や作品をつないでいくことに反映されるのではないかと期待しています」


片岡さんは記者として、また一映画ファンとしての希望を語った。

「元町映画館で上映する新人監督の作品の取材を声がけしてもらい、そんなん知らんけど、面白いの?と思いながら取材させてもらうと、監督のすごく真摯な映画への思いに触れることができたり、長編商業映画デビューした『かぞくへ』の須磨区出身、春本雄二郎監督を取材させていただくと、本当に地元の元町映画館でかかるのが嬉しくて嬉しくてとおっしゃっていたのが印象的でした。2作目の『由宇子の天秤』もすごく骨太な作品で成長していると実感できたので、そういう作家や作品に出会えると記者としても楽しいし、そういう機会を与えてくれたのが元町映画館なんです。だからそういう喜びの時を今後もいただきたいなと思います。

 あと一映画ファンとして、シネコンのハリウッドものや、邦画のキュンキュンもいいのですが、ちょっと渋いアート系や社会派ドキュメンタリーを観たいと思っても元町映画館がなくなってしまったらサブスクで探して観るしかないと想像すると本当に味気ない。多分今日お越しの方は共感していただけると思いますが、本当にミニシアターの灯を消さないように、我々ジャーナリストとしても応援していきます。またどんどん文化が切り捨てられていく中で、厳しい状況ではありますが、観客のみなさんと応援していきたいと思います」


もう一つ片岡さんが語ったのは元町映画館スタッフの映画への熱量の高さ。

「自分たちが扱っているものへの愛情の加減はお客さまに伝わりますし、それがいつもいいなと思っています。元町映画館が今どんなスケジュールで映画をやっているかわからなくても、時間ができれば映画館に寄っていく?と思える場所、文化の中心地にもっともっとなっていけばいいのにと思います」


さらに吉野さんが、

「現在公開中の元町映画館製作映画『まっぱだか』ですが、一言で要約すると、みなさん『まっぱだか』を観てください。映画館から生まれた作品を育んでいくのが理想です」と書籍同様頼まれてもいないのにPR。ただおすすめポイントを聞かれると「実はまだ観ていないんです。癪にさわるところがあれば、10年後に言います」と未来の登壇を確約する場面も。


「僕は美術を専攻していたのですが、美術館の場合はお客さんのいない空間が美しいですが、映画館の客席は常に人を待っている空間です。人を絶やさないように、メディアも含めて考えていきたいなと思います」


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