完治までのスケジュールをたて、この9月に卒業することを決意しました♪
1年位前から肩や首が痛く、いよいよ首が回らなくなり、誰かに頭を持っていてもらいたい位、首が痛い日もあり、病院を転々とするものの、異常なし。いつもただのひどい肩こりとの診断。
2013年5月
朝、手のこわばりが始まり、これってただの肩こりではない、何かの病気だと思い、別の病院へ。(何科に行って良いのかもわからなかった)
「リウマチです」
医師から言われたのは、昔とちがい今は良い薬があるから大丈夫。治ったら薬やめられるんですか? と聞いたところ、飲み続けなくてはいけないとの事…。それって一生??!!
その後、日に日に悪化してゆくのを実感。
子供の頃から健康で、医者にかかる事も、薬を飲む事もほとんど無く、自分は病気にならないと思っていました。
一番下の子供が高校に入学し、これからはもっと仕事や自分の事が出来るゾ、と思っていた矢先でした。
リウマチに関しての知識もまったく無く、途方に暮れていました。
そんな反面、なってしまったものは仕方がない。有難く病気を受け入れよう、人生仕切り直しだ!!
10年勤めた大好きな仕事を辞め、治療に専念しよう。より良く、有意義、快適な闘病生活を送ろうと考え、キッチンを使いやすく模様替え、物干しざおの位置を下げ、しょぼい物は片付け、元気一杯のグリーンを沢山飾るよう心掛けました。
私ってなんて前向きなんでしょう! と自分で感心。
身体の変形の恐怖におののき、血液検査の結果が気になり、明日は車いすかと思う位、全身が痛い。友人が、具合はどう? と心配してくれるたびに、強がった返事をし、自己嫌悪。何無理してるんだろうと、涙を流していたのも事実です。
2013年6月
今まで飲んでいたアザルフィジンに、メトトレキサートを週3回のみ追加。
週3回しか飲まない薬ってどういう事? それだけ強力なの? こんなに沢山の副作用の説明書ってどういう事?
(医師はメトトレキサートの次は、はやいうちに生物学的製剤も考えていた)
リウマチの事を調べまくり、リウマチ感謝さんとも出会い、自然治癒力、免疫力という方向にひかれ、結局メトトレキサートは一度も飲まず、その病院にも行かなくなりました。
2013年7月
その後、和漢診察をしている病院をみつけ、通院しだしたのですが、私の考えているのとは方向性がちがっていました。しかし、定期的な血液検査がやりたく、薬は飲まないからいらない、と言えないまま通院。
同志が欲しく、待ち合いの時間にリウマチ患者らしき人々を観察。この人は、と思う人に声を掛けてみたものの、思い切り最先端医療をしている人でがっかり。群馬では薬飲みたくない人いないのかなあ…。(この時点でリウマチ感謝セミナーへ行く事は思いつかなかった)
痛みは治癒反応であり、この痛みを乗り越えたら治るのであれば、薬は飲まず、私はがまんします。
指がちぎれそうに痛くねむれない夜中は、お茶を飲みながら月を眺めていました。二十四節気、七十二候をもとに月の満ち欠けや自然の様子、旬の食べ物など旧暦の事、そんな事に興味を持つようになったのもリウマチになったおかげです。
2013年11月
気持ちの合わない医師に診てもらっていても良くなる事は無い。出される薬は飲んでいない。血液検査の結果はあてにならない。それなら病院に行く意味が無い。
じゃあ、もう行くのはやめよう!!
2013年12月
リウマチセミナー(リウマチ卒業式)に初めて参加して、自分のやってきた事は間違っていなかったと確信。
血液検査の数値も、もう気にならない。このまま突き進もう!保存していた薬も捨てました。
2014年1月
年賀状も書けない位指は痛いものの、足はスタスタ歩ける位楽になりました。体調は悪くても気持ちは超上向き!
良くなったり、悪くなったり、階段を1歩ずつ降りるようでは無いと聞いていたので大丈夫。
3歩進んで2歩下がるでいいや。
2014年4月
中村司先生の「リウマチ卒業生に学ぶ9レッスン」を読み、全てに共感。
その本の中で、「完治までのスケジュールをたてよう」という事で、自分の中で、9月完治と決めていたところ、卒業式があるという事で立候補しました。
《 続けてやっている事 》
炊きたてごはん、作りたてみそ汁
地元でとれた旬の食べもの
腹8~6分目
頭寒足熱(冷えとり健康法)
鍼治療
私はとても健康です。でも今日はたまたま調子が悪いだけ。
2014年8月
卒業すると決めたものの、気候(台風)のせいか、右ひざ、肩、首が痛くなってきた。
でもこの頃は体の反応に敏感になり、対処方法もわかってきました。
そして直感を信じ、行動出来るようになってきました。自分自身が日々みがかれている感じ。
リウマチになって良かった。本当にリウマチ感謝です。ありがとう。
【群馬県 真澄さん 2014年9月5日】