病は気から
心、身体、魂はエネルギーとして密接に関係しています。
「病は気から」と言われるように 心の健康のためには身体の浄化が大事です。
また 古来 「精充、気壮、神明」の原理が説かれるように魂の成長のためにも 心身の浄化(下丹田の充満)は欠くことのできないトレーニングです。「精」は米と青から成り立ち、食と呼吸を意味する字です。
精が充ちるとは 食と呼吸が健全で 「元気」が充ちることと言っても過言ではありません。元気を回復するため フィジカルケァにポイントを当てたプログラムを用意しました。
実際には色々なプログラムを 適切に織り交ぜて実施します。
常に笑顔を保ち、動作、呼吸、意識、気の流れを一致させて行うことが大切です。
【祭・祀り・奉り・間釣り】
敗戦を境に アメリカナイズされ続けた私たちは日本人としての誇り、日本人としてのメンタリティ、日本人としての文化と歴史を見失っているのではないでしょうか?
歴史の浅いアメリカでは骨董品に人気が集まると聞きます。
フロンティア精神でネイティブアメリカンを侵略し続けたピユーリタン達は祖国を追われた民でした。(西部開拓史)
しかし、新天地アメリカも「人種の坩堝」といわれるように真実の祖国とは成らず・・・
植民地をどれほど得ても満たされない彼ら、自分の祖国・ルーツを失った彼らは 満たされることのない所属欲求を 生理的欲求(物欲)で満たすが如く更なる富と権力を求め続けます。
ディアスポラの民ユダヤ人もそうですね。
ユダヤの祖とされるセム族はメソポタミヤ文明の中で生まれました。
しかし木材を伐採し続けたセム族は 飢饉に遭遇することになり 族長の一人イサクは息子ヨセフの援助を得て エジプトに身を寄せることになります。
しかし寄留の国エジプトで その子孫が繁栄し続けたイサクの民は エジプト人から恐れられ、奴隷の憂き目にあうことになります。
「出エジプト」こそ「奴隷から解放されたユダヤ人」の救いの原点であり、モーセ5書こそユダヤ教の聖典です。
しかし「出エジプト」から導かれた「約束の地カナン」は まもなく ローマに征服されてしまいました。
ユダヤ教の会堂で礼拝を捧げ学びをしていた クリスチャンもユダヤ教信者も ローマから迫害を受けることになりました。
イエスは反ローマ運動の指導者として処刑されました。
イエスの死後 クリスチャンは もちろんローマの敵として 抹殺され続けました。
そのローマがなぜキリスト教を国教会と定めたのでしょうか?
「戒律を重んじるユダヤ教」や「多神教」よりも、「神の愛を説くキリスト教」は楽に信者になる=仲間を作ることができる教えです。
(自力本願のユダヤ教:他力本願のキリスト教)
仲間が大勢になれば国の統治に利用され、それによってさらにキリスト教会の地位が増し、信者になりたがる人も増える構図が見えます。
迫害をし続けたにもかかわらず クリスチャンはより大勢となったため、テオドシウス帝が統治に利用するため国教と指定するに至ったと考えられます。
ユダヤ教はキリスト教に キリスト教はローマに 乗っ取られたと言えば言い過ぎでしょうか?
ユダヤ人(ユダヤ教信者たち)は 約束の地カナンさえ失ってしまったのです。
祖国を失うとは 自分のルーツを失うことです。
それは満たされることのない飢えと渇きを産むことになるのではないでしょうか?
一方メソポタミヤ文明の崩壊の憂き目に晒された ヤコブ一族以外のセム族は どのように生き残ったのでしょう?
シルクロードが示す如く 新天地を求めて 民は中央アジアへと移住したとは考えられないのでしょうか?
実際日本にはユダヤ同祖論が 有力な論として存在しています。
もしかしたら 私たち日本人のメンタリティの中には自分のルーツを失った民の痛みがあるのかもしれません。
では自分のルーツを取り戻すにはどうすればよいのでしょう?
夏祭りのシーズンです。祭のお囃子を聞くと血が騒ぐと よく言われます。
祭が深い意識レベルに関わることをよく示しています。
祭・祀り・奉り・間釣りとは 言霊的には「天とうつし世を繋ぐ「ま」を釣り合わせ すべてと調和バランスを回復する宴」と言えると思います。
その上、祭りに集う人々の心は一つになります。
天地人が一つになり、人々が一つになる=自分のルーツを取り戻す・・・
祭り(祭・祀り・奉り・間釣り)にはそんな力があるのではないでしょうか?
【キリスト教とのお別れ】
霊現象は神観、人間観、世界観の全てを覆しました。
まさに想念破壊の痛みをモロに経験したと言えるのでしょうか?
中学時代 生きる意味を求めて 堂々巡りをし続け ふとしたことから プロテスタントの教会に出会いました。
その教会には夜学に通う 勤労高校生が10名近く集っていました。彼らの多くはニヒリストであり 私はその仲間に入ってしまいました。
彼らは熱心に求道生活を送っていましたが 私はアンチクリスト的な本を読んでは彼らと牧師に議論を吹き掛け続けました。
その果てに 「私は門外漢だから」と 去る旨を告げました。
すると一人の青年が 真っ蒼な顔をして「傲慢な態度を許して下さい」「自分は説得できると思っていた」と謝りました。
私には 彼がなぜ謝ったのかさっぱり解りませんでしたが 心が揺すぶられてしまいました。
それ故 生きることも死ぬこともできない 悶々とした毎日の突破口を キリスト教に そして視点変更に求めました。
「生きる意味を問うもの」から(絶対者に)「生き方を問われるもの」になろうと決め クリスチャンワーカーになるべく 結婚とほぼ同時期に 大学と院での学びを始めました。
赴任教会での働き以外に 日本キリスト教団の働きも、兵庫教区の働きも担いながら 家庭と教会生活中心の毎日を歩み続けました。
然しプロテスタントとはカソリックにプロテストすることで生まれた 言葉中心、左脳中心の信仰共同体です。
教団内には分派、徒党が沢山生まれ、言葉中心の礼拝には霊性が乏しく 教会内のグループはサロン化し、教会活動を精一杯しても 満たされる思いになれませんでした。
それなりにいろいろ学ばせてはいただきましたが どうしても納得がいかない教義に「時」に対する 概念があります。
キリスト教における「時」の流れは直線的です。輪廻転生の考えもありません。
大宇宙の公理は回転なのに!そして創世記では一日の時の循環、一年の時の循環を語るのに!!何故か時間軸は直線です。
私がキリスト教に躓き始めたのは 霊性のなさ、教義に対する不信、そしてリーダーたちに対する不信と世俗化にあります。
教団総会、教区総会、教会役員会など メイン会議の前には 俗世界とおなじように 教団、教区の権力(お金)を握るべく 根回しが横行し どこにも分派が生まれ、徒等が組まれ 教会のリーダーたちが競い合う姿をいやというほど見てしまいました。
世俗化こそ 教会を去ることになった 決定要因かもしれません。
特に 聖職者といわれる牧師(ファミリー)への侮蔑の思いが強いです。
最後に出会った一人をご紹介しましょう。夫婦と、娘3人の家族でした。
夫も妻も 各々が「自分たちは本来離婚していてあたりまえの関係だ」と私に語りました。
然し教会員の前ではおしどり夫婦を演じます。
長女はうつ病。
カウンセリングをして欲しいということで 引き受けたものの、娘のカウンセリングが終われば 必ず母である牧師夫人が カウンセリング内容を聞きたがり、自己正当化のために私の居室に居座り続けます。
遂にたまりかねて 両親の問題が 娘を追いこんでいると言ってしまった翌日から 彼女は顔を合わせても視線を反らし 挨拶さえも返さなくなりました。
次女はストーカー事件を引き起こし 警察沙汰にさえなりました。
次女の保護を要請されたり、私の夫までも相手との折衝にかりだされたりしました。
牧師は教会員がいない場では 常にビールを片手に、まるでアルコール依存症を疑いたくなる感じでした。
私が関わっていた求道中の青年に セクハラ事件を起こし 大問題となり青年の自宅に謝罪に行く故 同行を求められたりもしました。牧師は玄関先で土下座をして謝りました。
にもかかわらず 後の牧師の話では 悪いのは青年の方になってしまいました。
こんなどさくさの中で私は教会を去ることを決めてしまいましたが 洗礼を希望していたこの青年はうつ病になったと聞きます。
キリスト教とお別れする気持ちが強まるなかで 残された人生を 如何に生かされるのかを ずいぶん問い続けました。
プロフィールにも書いたように私は人並み以上に いわゆるトラウマというものを持っています。
それが私の人生の特徴かもしれません。
その人生で出会った大きなものが キリスト教と心理療法でした。
二大特徴の一つであるキリスト教に失望すれば 残されたものは心理療法しかありません。
人生で得た心理療法を 人生へのお返しとして これからのライフワークとしようと決めました。
援助者になろうと決めたわけです。
人の援助がしたいと願うからには 自分がとことんクリアリングされる必要があります。
もちろん教育面接類のこと、頭蓋仙骨療法、箱庭療法 各種ワークショップの参加、その他いろいろ自分の浄化のためにしましたが、スリーインワンコンセプトの一人セッションを
まるで仕事のようにやり続けました。
その技法で、僧坊筋にあった スタックポイントを外した時 身体ががたがた震え 座りこむと同時に直径30センチくらいの白昼光、次いで鮮やかなアメジスト色の光が セットで2回、次の日に一回輝き 基底部から前につんのめるような感じで エネルギーが上がり始めました。
クンダリーニが覚醒したのだそうです。
キリスト教とのお別れが霊現象の始まりになった ということでしょうか。