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のらくらり。

恋になるまであと一週間

2021.09.01 05:41

転生現パロのウィルイスとアルルイで、兄様とルイスが兄弟、ウィリアムだけが他人という設定第三弾。

計算されたラッキースケベはただのセクハラなので、これはウィリアムがルイスにセクハラする話。


誰かが自分を呼ぶ声が聞こえる。

聞き慣れないはずの声なのに、耳に馴染むとても優しいその音には安堵を覚えてしまった。

まるでアルバートに呼ばれているようだと、ルイスは耳に届く声をぼんやり聞きながら体を小さく丸めて枕に顔を埋めた。


「ルイス、おはよう。朝だよ」

「…ん……」

「ルイス」


大切な兄に貰った自分の名前。

その声で自分の名前を呼ばれるのは当たり前のことだと、この人の前では何にも警戒せず安心して眠っても良いのだと、ルイスは無意識にそう判断して浮上していたはずの意識を手放そうとした。


「…ふふ、今のルイスはお寝坊さんなのかな?」

「……んー…」

「でもそろそろ起きようか、ルイス」


せっかくの休日、一緒に過ごせる時間がなくなってしまうから。

甘やかな声と一緒に聞こえてきたのは聞き慣れたリップ音で、目元に感じた温かい感触にも覚えがある。

けれど届いた香りはルイスに馴染みのないものだった。

アルバートの声でも香りでもないのに、与えられたキスはまるでアルバートに触れられたような心地だ。

決して自分を危険に晒さない、世界中の誰よりも慈しんでは愛を与えてくれる人。

そう判断して眠り続けようとしたルイスは、それでも今自分に触れているこの人がアルバートではないことを唐突に理解してはすぐさま瞳を開けた。


「!!」

「あ、起きたね。おはよう、ルイス」

「え、…う、ウィリアムさん?どうしてここに…」

「こら、ウィリアムさんじゃなく兄さんだろう?昨日約束したばかりじゃないか」

「…ウィリアム兄さん、どうしてここに?」

「ルイスが起きてこないから起こしてあげようと思って」


綺麗な顔に綺麗な笑みを浮かべたウィリアムは、とても楽しそうに眠るルイスの顔を覗き込んでいた。

それを近くで見てしまったルイスは使っていた枕を抱いてベッドの奥まで体を動かし、何故か部屋に侵入しているウィリアムから距離を取る。

彼は自分を兄と呼ぶよう指摘するときは少しばかり不満げだったはずなのに、ルイスが大人しくそれに従えば満足げに頷いて表情だけで喜びを表していた。

兄と呼ばれることがそんなに重要なのだろうか。

彼の弟に似ているというだけで本当の弟ではないルイスが緊張していると、ウィリアムは先ほどキスをしただろうその目元に触れてくる。


「よく眠れたかい?」

「あ…はい」

「良かった。アルバートさんも待っているよ」


その声をきっかけに時計を見れば普段起きる時間よりも5分ほど過ぎていて、珍しく寝過ごしていたことにようやく気が付いた。

昨日はこのウィリアムがいきなりやってきたかと思えばそのまま同居することになり、夜は何故だか一緒に入浴する羽目になってしまった。

濃い一日だったと困惑しながら眠りに就いたのだが、寝付くまでに時間がかかったために普段と同じ時間には起きられなかったらしい。

たかが5分でも寝坊は寝坊で、時間に厳しいアルバートが気にするのも無理はないだろう。

だが、何故アルバートではなくこのウィリアムがルイスを起こしにきたのかはよく分からなかった。

それに直前にされたあのキスは一体なんなのか。

いつもアルバートにされているキスと同じ感覚なのだからルイスが間違えるはずもない。


「…あの、どうしてあんなことしたんですか」

「あんなこと?あぁ、ここにキスをしたことかな」

「……」

「ルイスは僕の弟になってくれただろう?兄弟としてのスキンシップだよ」


彼に腕を引かれて部屋を出る最中に尋ねてみればそんな答えが返ってきた。

はて、兄弟とはそんな甘やかで密な関係だっただろうか。

確かにアルバートはルイスに対してキスもハグも日常的にしているけれど、それが一般的ではないことをルイスは知っているのだ。

同級生の誰も兄とキスを交わしたり抱き合ったりともに眠ることなどない。

自分とアルバートの関係が兄弟にしては行き過ぎていることを知っているからこそ、ウィリアムの行動には戸惑いを覚える。

だが不思議と嫌ではなかった。

ついウィリアムの弟の代わりになると言ってしまった昨夜の自分といい、今まさに触れられている腕を上手く振り解けない自分といい、やはり彼を前にした自分はどこか調子がおかしいように思う。

疼くように温かい目元はルイスの心も温かくしていた。


「おはよう、ルイス。君が寝過ごすだなんて珍しいな」

「おはようございます、アルバート兄様。遅れてすみません」


リビングに行けば既にアルバートがコーヒー片手にソファへ腰掛けており、穏やかに微笑む姿を見たルイスはやっとウィリアムに掴まれた腕を振り解いて彼へと近寄った。

いつもならルイスが淹れた紅茶でアルバートの朝を迎えるのが定番なのに、今日はルイスが寝坊したせいで、彼は滅多に飲まないコーヒーを楽しんでいるらしい。

アルバートはコーヒーよりも紅茶を好んでいるし、自分で淹れる紅茶よりもルイスが淹れる紅茶を気に入っている。

それがルイスには誇らしくも嬉しくて、毎朝淹れたての紅茶で彼を出迎えたかったのに失敗してしまった。

間に合わせでコーヒーを飲むアルバートを見て気を落としたルイスを労うように、彼はその体を抱き寄せて優しく言い聞かせてくれる。


「昨日は色々あったから疲れたんだろう。よく眠れたかい?」

「はい。寝付きは悪かったのですが、朝までゆっくり眠れました」

「それは良かった。昨夜仲良くなったようだからウィリアムに起こしに行ってもらったんだが、目覚めが良さそうで安心したよ」

「…良い目覚めというか、驚いたというか」

「大丈夫。今のルイスは私から見ても良い表情をしているよ」


先程ウィリアムにキスをされて触れられた場所と同じところに、アルバートからもキスをされた。

ウィリアムにされたときは胸が疼くような戸惑いがあったのに、アルバートにされるとただただ嬉しいだけで気が休まる。

悪い目覚めではなかったと思うが、良い目覚めかと言われれば少し疑問だ。

けれどアルバートがそういうのならきっとそうなのだろう。

ルイスは緩んだ目元と同じように口元に笑みを浮かべ、真似をするようにアルバートの頬へと唇を寄せた。

爽やかな朝に相応しい軽いリップ音が辺りに響く。


「すぐに朝食の用意をしますね。待っていてください」

「急がなくても構わないよ」

「兄様、卵の調理は何が良いですか?」

「そうだな…」


兄弟とは思えないほど甘ったるい雰囲気で抱き合うアルバートとルイスを、ウィリアムは懐かしげに見つめていた。

今は何の繋がりもない他人になってしまったけれど、それでも以前は魂で結ばれた同志だったのだ。

最愛の弟と敬愛する兄が今も尚親密であることは、一人生きてきたウィリアムの心を癒してくれる。

二人がいる空間で共に過ごすことをずっと夢に見てきたのだから、まるで今が夢のようだった。


「ウィリアム、今朝の卵料理は何が良い?」

「…そうですね。ルイスが作るオムレツを食べたいですね」

「ではルイス、今朝はオムレツの用意をお願いできるかい?」

「分かりました。用意できるまでもう少しお待ちください」


アルバートの腕の中で了解を返し、ルイスは名残惜しげに彼から離れてキッチンへと立つ。

元々の性分なのか、ルイスは食事を作るのがすきだ。

通いで来る使用人が料理を用意することはなく、どんなに時間がなくてもアルバートの食事は自分が作るのだという使命感に燃えている。

今後はその中にウィリアムも入るのだと思うと妙に気持ちが納得していた。

昔から二人分の食事を作るのことに違和感があったのだ。

アルバートもルイスも大食漢ではないはずなのにどうも足りないような気がして、ついつい多く作り過ぎてしまうこともあったのだから、昨夜初めて三人分の食事を用意したときはあまりの作りやすさに驚いたものである。

ルイスは冷蔵庫から取り出した卵を器用に片手で割ってから丁寧に混ぜ合わせ、対面式のキッチンから見えるアルバートとウィリアムの姿を覗き見る。

オムレツはシンプルに見えて奥が深い料理だ。

調理する人間の技量を図るにはもってこいの料理だとも聞いたことがある。

ふわふわの食感と卵の風味を生かしたルイス特製のオムレツはアルバートの好物でもあるが、果たしてウィリアムにも気に入ってもらえるのだろうかと、ルイスは少しばかり緊張した気持ちでフライパンを取り出した。


「ん、美味しい。ルイスの作るオムレツは絶品だね」

「そうだろう?私はこの子の作るオムレツが大好物なんだ。今日も美味しいよ、ルイス」

「僕の好物にもなってしまいました。ルイス、また作ってくれるかい?」

「構いませんが、まずはそのオムレツを全て食べていただけると嬉しいです」

「ふふ、それもそうだったね」


ルイス特製のオムレツにベーコンとキノコのソテー、枝豆入りのマッシュポテトを添えたプレートにパンとジャムとヨーグルトを組み合わせた朝食はごく一般的なものだが、ウィリアムのお気に召したらしい。

まだ一口しか食べていないオムレツを前に次の約束を取り付けようとする姿には呆れてしまったが、悪い気はしない。

アルバートにも褒められたし、ウィリアムにも気に入ってもらえたようだし、ルイスの機嫌は上々だ。

隠しきれない喜びをその体から溢れさせながらもぐもぐと口を動かすルイスを見て、ウィリアムもアルバートも微笑ましげに食事を進めていた。




それからというもの、ルイスが目覚めると何故かウィリアムが部屋にいることが増えた。

増えたというよりもほぼ間違いなく、ベッドサイドに彼はいる。

決してルイスが寝過ごしているわけではない。

時間になって目を覚ますと何故かそこにウィリアムがいて、優しくルイスの頬を撫でているのだ。

おかげでここ最近はこそばゆい感覚で目を覚ますことも増えてきた。

ルイスは週の半分近くアルバートの部屋で眠っているのだが、それ以外のときはほぼウィリアムに触れられて目を覚ますようになってしまった。


「兄さん、僕は一人で起きられるので起こしに来てくださらなくても良いのですが」

「ルイスの寝顔を見ていると安心するんだ。迷惑でないのならこれからも起こしたいんだけど、ルイスは嫌かな?」

「嫌では…ないのですが」

「良かった」


始めは驚いていたのだが、こう何度も続くとさすがに慣れてしまった。

起きてすぐにウィリアムの顔を見る生活は思っていた以上にルイスの心にしっくりきている。

ただ一つ違和感があるとすれば、起こされるよりも起こす方が性に合っているような気がするくらいだ。

随分と早起きな人だと、ルイスはウィリアムに対し感心したような感想すら抱いていた。

けれどそれが覆されたのはルイスが感心してすぐのことである。


「…ウィリアム兄さん、こんな夜中に何の御用ですか?」

「あ、起きていたんだね。僕のことは構わず、眠って良いんだよ」


ベッドサイドにある間接照明が仄かに照らす薄明かりの中、ルイスは自分を見下ろすウィリアムを見上げていた。

いつものように表情の読めない飄々とした笑顔だが、十日も一緒に暮らしていれば何となくその笑顔の種類にも気付くことが出来る。

これは兄が弟に向ける慈愛ではなく、仕掛けていたいらずらがバレても悪びれない子どもの顔だ。

ルイスは近くに置いていた携帯を手に取り時間を確認し、寝付けないだけの時間が経っていたことを確認する。


「まだ日付が変わったばかりの時間です。起こしに来るのは早いのではないですか?」

「今日は寝付きが悪いんだね。アルバートさんがレポートを書くために遅くまで起きているから気になっているのかな?」

「僕は今、夜中にあなたが僕の部屋にいる理由を聞いているのですが」


へらりと笑うウィリアムにムッとしたような声を返せば、暗がりの中で彼がより笑う気配がした。

確かに今日はアルバートが遅くまで起きているためにルイス一人で寝ているのだが、それ自体は別に珍しいことでもない。

毎晩一緒に眠っているわけでもないのだから気にすることでもないのだ。

ただ理由なく寝付けない日があるというだけで、ウィリアムが気にするのもおかしな話である。


「…まさか、いつもこの時間から部屋にいたんですか?起こしに来たのではなくて、起こす時間まで待っていたと?」

「ふふ、さてどうだろう」


ふいに思い浮かんだことを口にしてみれば、取り繕うこともなくほぼ肯定している問いかけが返ってきた。

ルイスに本当のことがバレたところで構うことはないらしい。

実際にルイスがそれを知ったところで嫌悪はなく、ただひたすらに「何をしているんだろう」という疑問しかなかった。

この様子では夜通し起きていて、ただひたすらにルイスの寝顔を静かに見つめているだけなのだろう。


「…君の寝顔を見ていると安心するんだ」


寝て起きたら息が止まっているかもしれない。

眠れずに苦しい夜を一人で耐えているかもしれない。

誰かに奪われる不安と恐怖で眠るどころではないかもしれない。

眠ったところで周りへの警戒ですぐに目覚めてしまうかもしれない。

ウィリアムがかつて弟に抱いていた感情を、ルイスは何も知らないのだ。

以前の記憶がないという理由を除いたとしても、ウィリアムがルイスに教えてこなかったのだから無理もない。

ルイスがただ穏やかに眠っていることが何よりウィリアムの心に癒しを与えていると知るのは、きっとアルバートくらいだろう。


「では、ウィリアム兄さんはいつもろくに寝ていないんですか?」

「え?別にそういうわけじゃ…」

「寝ていないんですね?」

「…まぁ、そうとも言うかな」


何となく感傷に浸っていたウィリアムの気持ちなど本当に知らないまま、ルイスはハッとしたように問い詰める。

部屋に侵入して夜通し自分を見ていたことよりも、一睡もせずに起きていたことの方がルイスにとっては重要案件だ。

アルバートが認めて自分が警戒すら出来ないこの人が危険人物でないことは明らかなのだから、そうなるとろくに眠らず日々を過ごしていることの方が大問題である。

体調を崩してしまったらどうするというのだろう。


「ちゃんと眠らないと体調を崩してしまいますよ。せっかく兄様が寝心地の良いベッドを用意しているんですから使ってください」

「合間を見て寝ているから大丈夫だよ」

「合間じゃなく時間を取って寝てください」

「…疲れてここから一歩も動けないんだ」

「僕が運んで差し上げます」

「君の細腕で?」

「甘く見ないでください、兄さん一人運ぶくらい訳ないんですよ」

「わぁ凄いねルイス。米俵の気持ちがよく分かったよ」

「ちょ、兄さん!ベッドにしがみつかないでください!」

「僕はここから離れないよ、ルイス!」

「くっ…!」


寝不足を露呈したウィリアムを彼の寝室に運ぶべく、ルイスは華奢な体格に見合わない筋力を発揮してその体を抱き上げる。

正しくは肩に抱え上げたのだが、決してウィリアムを米俵扱いしているのではない。

細身の筋肉質かつ鍛えているため同じく細身のウィリアムを運ぶくらいは出来るのだが、この姿勢が一番手っ取り早かっただけのことだ。

見た目の割に重いなと思ったけれど、ウィリアムも日々鍛えているのだろうと納得する。

だがこの重さは明らかにおかしいとルイスが後ろを振り返れば、彼はしぶとくベッドにしがみついていた。

しかも、長い足を振り子のように動かしては宙を舞ってベッドの上に着地までしてみせた。


「…中々やりますね」

「ルイスこそ、随分と逞しくなったじゃないか」

「出会って半月しか経っていないでしょう」

「そうだったかな。僕はもうルイスと知り合って数百年の時を経験した気がしているよ」


電波な人だと口から出そうになったけれど、かろうじて耐えた。

寝不足とは思えない身体能力を披露してルイスのベッドに居座るウィリアムは、毛布を被ってまるでこのベッドの主人かのように振る舞っている。

いっそ彼をこのまま放置して自分がウィリアムの寝室で眠れば良いかと考えるが、我が家とはいえ他人のベッドを使うのには抵抗がある。

アルバートの寝室に潜り込むのも一つの手段だが、それでは結局ウィリアムが眠ることはないだろう。

一日や二日程度ならば寝不足でも良いだろうが、数日ろくに眠らずにいてはいつか体にガタが来る。

何とかしてこの不養生な兄(十日)を眠らせなければならないと、ルイスの本能が訴えていた。

ウィリアムはここから離れたくないらしい。

その理由がもし自分にあるのならば、存分に活用すべきだろう。


「では兄さん、一緒に寝ましょう」

「え?」

「一人では寂しくて眠れないんでしょう?僕が一緒に寝て差し上げます」

「え、いや…そういうわけじゃないんだけど」

「ちゃんと眠らないと体調を崩してしまいますよ。居候なのだからわがままもいい加減にしてください」

「ルイス、良いのかい?僕が一緒に寝ても」

「不埒な真似をしたら即座にベッドから追い出します。兄様にも報告します。僕はただベッドを貸すだけです」

「……」

「…あなたが寝不足で体調を崩したら、兄様が悲しみます。兄様を悲しませるような愚行をしないでください」


ウィリアムが体調を崩して悲しむのはアルバートだけでなくルイスもだ。

そんな未来を確信して、ルイスはあくまでもアルバートのためなのだという建前を持ち出した。

そう、アルバートのためなのだ。

この人に無理をさせてはいけないという本能は、アルバートを想うルイスの本能がそう叫んでいるに違いない。

ルイスはそう結論を付けて、毛布を被っているウィリアムからそれを奪い取って己の体にかけては慣れたように横たわる。

早々に目を閉じてしまえば、戸惑ったように隣へ横になるウィリアムを気配だけで感じることが出来た。


「…おやすみ、ルイス」


もう眠っているのだとアピールするために何も答えなかったけれど、不思議と懐かしい「おやすみ」の声は、しばらく寝付けなかったルイスをすぐさま眠りの淵へと追いやっていた。

これが足りなかったのかと気付く間も無くルイスは眠ってしまう。


「……本当にルイスがいるんだな。あの頃と何も変わらない、ルイスのままだ」


警戒しようにも警戒出来ない姿を見るのは新鮮だが、何も覚えていない割にウィリアムへの接し方は所々が昔と被る。

どこかチョロい気もするが、それは自分相手だからだと思いたい。

ウィリアムはあっという間に眠ってしまったルイスの髪を撫で、変わらず傷跡の残る頬へと唇を寄せた。

そうして昔のように細い体を抱きしめる。

腕に馴染む感覚は泣きたいくらいに愛おしくて、ウィリアムは数百年ぶりに深く深く呼吸する。

背中には回らないが無意識にウィリアムの衣服を掴むその腕に堪らない感情を覚え、そのまま瞳を閉じてルイスを想う。

何のわだかまりもなく眠れるのはいつぶりだろうと、そんなことを考えながらウィリアムもあっという間に深い眠りに落ちていた。


「…あさ…ん、んん」


カーテンの隙間から漏れる光を眩しく思い、ルイスはますますぎゅうと瞳を閉じる。

幸いにも窓の方には何か大きいものがあって、しがみついて隠れることで問題なくやり過ごせた。

抱きしめられる感覚が気持ち良くて頬が緩む。

慣れない匂いだけれど嫌な気持ちはしないし、何よりこの腕の中はとても居心地が良い。

もう少し、もう少ししたら絶対に起きると自分に言い訳をしながら、ルイスは安心感あるそれに腕を回して縋りついた。


「…ん?」

「……」


すやすやと穏やかな寝息が聞こえてくる。

自分のものではないことだけは確かで、けれどこれはアルバートではない。

ルイスは寝呆けている頭を働かせようとするけれど、体を這う違和感が冷静な判断力を奪ってしまう。


「ひっ!?ぇ、んんっ、…ゃ、なに…?」


おしりと太もものはざまにある柔らかい部分を揉まれている気がする。

もう一方で、腰からおしりの部分を撫でられている気がする。

ルイスは覚えのある感覚にハッと目を覚まし、目の前のそれに回していた腕を突っぱねるように伸ばして距離を取ろうとした。

けれどそれが離れることはなくて、むしろ余計に腰から下を抱き寄せられてしまう。


「ちょ…んゃ、ぁ!…も、ウィリアムさん!起きてくださいっ」

「んー…」

「起きて、起きてください!ウィリアムさん!」

「……んん」


目の前で綺麗な寝顔を晒しているウィリアムを認識したルイスは、今自分の下半身に触れているのはこの人だと判断する。

痛くはないから強く触れているだけであれば問題はないけれど、触れている場所が既に大問題だ。

腰ならともかく、おしりや太ももに触れられるのはさすがにアウトだろう。

アルバートにしか触られたことがない場所で、そのアルバートにも絶対に他の人間には触らせてはいけないと言い聞かされていたのに、何ということだ。

だがウィリアムは寝ているようで、眠っている相手がしたことならば罪には問えない。

せめて早く起きてほしいと、ルイスは抵抗虚しく自分の首筋で暖を取ろうと息を吹きかけてくるウィリアムに向けて声を出す。


「朝ですよ、ウィリアムさん!」


温かい吐息がかかって思わず背筋がゾクリとする。

気持ち悪いと思えないのが不思議すぎるくらいで、ルイスは染まった頬のままウィリアムの肩を押していた。

眠っているはずなのに抱きしめられる力は弱まっておらず、執念にも似た執着を感じさせる。

ルイスがそれを嬉しく思いそうになっていると、ふいにウィリアムの指が腰からおしりの割れ目に向かい、もう片方は太ももの付け根である際どい部分に触れようとしていることに気が付いた。

自分の意思とは別にピクンと跳ねる体がまるで他人のもののようだ。

ルイスはさすがにもう限界だと、眠っているとはいえ殴ってでもウィリアムを起こして逃げるべきだと考えた。

そうして震える手で握り拳を作っては振り上げたところで、大きな手にそれを止められてしまう。


「おはよう、ルイス」

「に、兄様!」

「どういう状況かは分からないけれど、眠っている相手に乱暴してはいけないよ。おいで」

「兄様ぁ…!」


ウィリアムを起こさないための配慮なのだろう。

アルバートは囁くような小さな声でルイスの手を取り、その体にまとわりついているウィリアムの腕を何なく引き剥がしては困惑していた弟を助け出した。

自分の力ではびくともしなかったウィリアムをいとも簡単にいなしたアルバートに、ルイスは尊敬の眼差しを送る。

染まった頬と潤んだ瞳はウィリアムに触れられていた影響なのだろうが、困惑していた姿と合わせて今のルイスは思っていた以上に可愛らしい。

アルバートはそれを好ましく思いながら、ベッドから抜け出したルイスの体を優しく抱きしめた。


「驚いてしまったんだね。大丈夫だよ、ルイス」

「あ、アルバート兄様…ウィリアムさん、眠っていて…僕じゃどうにも出来なくて…」

「近頃眠れていないと言っていたが、ようやく眠れるようになったんだろう。あまり怒らないであげてくれるかい?ウィリアムもルイスのそばでようやく安眠出来たのだから」

「…兄様がそう言うのなら」

「良い子だね、ルイス。さぁ、顔を洗っておいで。それから香りの良い紅茶を一杯頂けるかな?」

「勿論です、兄様!」


真っ白い肌を桜色に染めたルイスはアルバートの命を受けて部屋を出ていく。

素足ゆえにパタパタと聞こえる足音が余裕のなさを表しているようで愛おしくなってしまう。

その足音が聞こえなくなるまでを頃合いに、アルバートは呆れたようにウィリアムを見ては声を出した。


「ウィリアム、ルイスをからかうのも程々にしてはどうだい?可哀想に、どうして良いか分からず涙目だったじゃないか」

「可愛い、の間違いでしょう?アルバート兄さん」

「まぁ否定はしないが」


アルバートが腰に手を当ててウィリアムを見下ろせば、毛布にくるまっていたウィリアムは何の抵抗もなく起き上がる。

その声も表情も返ってきた言葉もはっきりしているのだから、彼がルイスに起こされるよりも前に目覚めていたことは明らかだった。


「からかっていた訳ではありませんよ。寝呆けてつい触っていたようです。無意識とは恐ろしい」

「なるほど?寝呆けていたのか、それは仕方がないな。人間、無意識下では深層心理が求めることをしてしまうと聞くから」

「そうですね。意識のない中でルイスを求めてしまうのであれば、僕の理性がどれほど頑強でも仕方のないことです」


実に白々しい会話をしながら、二人は家主のいない部屋で時間を過ごす。

向かいの部屋にいたアルバートがルイスの声に気付いたのだからウィリアムが気付かないはずないだろう。

だがそっと様子を窺っていたアルバートも、ウィリアムに触られて戸惑うルイスを見て懐かしくも癒されていたのだから同罪である。

数年前、ルイスが親切心で眠っていた同級生を起こそうとして腕を掴まれ引き寄せられたときは問答無用で投げ飛ばしていた。

たとえ相手が眠っていようと拒絶するには手段を選ばないルイスが、ウィリアム相手にはあの調子なのだ。

もはや無抵抗と言って良いくらいで、まるで捕食前の子うさぎのようにも見える。

記憶がなくてもルイスがウィリアムに対して気を許していることが分かり、アルバートは安堵した。

もっとも、ウィリアムはそれを確信しているのではなく「ルイスが僕を拒絶するはずがない」という根拠のない自信があるだけなのだろう。

根拠がないはずなのに、かつての二人を見ていると正しいことだと思ってしまうのだから恐ろしいことである。


「僕が触れても問題はなさそうですね。意識されているようですし、もう少し押せばあとは時間の問題です」

「それは良かった。記念にホテルを予約しておいても良さそうだな。今月末で構わないかい?」

「えぇ、それまでには必ずルイスと恋人同士になってみせます」

「頼もしいな、ウィリアム」


初めて恋人が出来る記念としてホテルを予約されていることなど、ルイスは知らない。

アルバートとウィリアムと共に夜景を楽しみながら高級フレンチに舌鼓を打ち、三人一緒に広いベッドの中で長い夜を堪能することになるなど、今のルイスは知らないままなのだ。

ウィリアムに触れられた部分を忘れようと無心になって湯を沸かしているルイスは、何も知らないままもうしばらくを過ごすことになるのだった。




(おはよう、ルイス)

(良い香りだね)

(ウィリアムさん…アルバート兄様、彼を起こせたんですね)

(あぁ、多少は苦労したが)

(久々によく眠れました。ルイスにも迷惑をかけたみたいだね)

(いえ…眠っていたので仕方ありません。今後はちゃんと眠ってくださいね、ウィリアムさん)

(こら、そうじゃないだろう?)

(…今後はちゃんと眠ってください、ウィリアム兄さん)

(努力するよ、ルイス)

(……まさか、あのとき僕が兄さんと呼ばなかったから起きなかった訳じゃないですよね?)

(ん?何のことだい?)

(ふ…さぁルイス、早速紅茶を頂けるかな)

(はい、すぐに)