シューマン作曲『ピアノ協奏曲』
身の病を
エネルギーに昇華させて
317時限目◎音楽
堀間ロクなな
アルゼンチン出身で、現在最も人気のあるピアニストのひとり、マルタ・アルゲリッチのドキュメンタリー映像『音楽夜話』(2002年)を眺めながら、呆気に取られてしまった。そこには彼女がフェルバー指揮のヴュルテンベルク室内管弦楽団と、シューマン作曲『ピアノ協奏曲』のリハーサルを行う場面が収められているのだが、その猛者ぶりと言ったら!
当日は風邪を引いたらしく、ピアノの前でもしきりと鼻をすすっていたところ、いざタクトが振り下ろされるなり、太い腕の両手の指が鍵盤の上を駆け回っていく。楽章を追うにつれて頬は紅潮し、全身に覇気が漲り、指揮者に対しても「もっと神秘的に!」と叱咤し、フィナーレではオーケストラと一丸になって燃え上がり、なだれを打ってゴールインしたとたん、満面の笑みを浮かべてみせる。そのありさまに、わたしはあんぐり口を開けて涙をこぼすばかりだった。これは一体、どうしたことだろう? 自分にも熱が出たときにいやに高ぶった覚えがあるけれど、表現者とは病気までもエネルギーに昇華させて、平常時以上にハイテンションなパフォーマンスをしでかすものなのか?
そう言えば、ルーマニアのピアニスト、ディヌ・リパッティがカラヤン指揮のフィルハーモニア管弦楽団をバックに1947年に録音した、この曲の歴史的な名盤のこともある。不世出の天才と謳われながら、悪性リンパ腫によってその3年後にわずか33年の人生を閉じることになるリパッティが、容赦ない病魔との苦闘のなかでつくりあげた貴重なレコードのひとつがこれだ。ここに刻まれた演奏を耳にすると、とうてい重い癌を患っているとは思えないほど力強く輝かしい打鍵に驚かされる一方で、そのかなたにどこまでも澄みきった無垢の世界がくっきりと立ち上がってくるのは、やはりみずからの病気をエネルギーへと昇華させた結果かもしれない。
リパッティによるシューマンの『ピアノ協奏曲』に関してはもうひとつ、われわれの世代にとってかけがえのないエピソードがある。われわれの世代とは、つまり「ウルトラマン世代」を指す。あのころTBSが毎週日曜に放映して少年たちを虜にした円谷プロの空想特撮シリーズの、第三弾『ウルトラセブン』(1967~68年)の最終回で、その演奏が(おそらくは著作権を無視して)BGMとして使われたのだ。
ウルトラセブンはM78星雲から地球の平和を守るためにやってきた。ふだんは地球防衛軍日本支部の組織「ウルトラ警備隊」のモロボシ・ダン隊員(森次浩司)として活動し、侵略者の危機に見舞われると、真紅のヒーロー、ウルトラセブンに変身して宇宙人や怪獣と闘う。そうした過酷な任務を重ねて、最終回では全身ぼろぼろに衰弱したダンが、いよいよ最後の決戦に挑もうとするところに駆けつけた同僚のアンヌ隊員(菱見百合子)に向かって、自分の正体はウルトラセブンだと打ち明ける。つぎの瞬間、背景の夜の闇が一転して真っ白な光に切り替わり、リパッティの奏でる冒頭部分のピアノが炸裂するのだ。そして、アンヌはハスキーな声でこう答える。
「ううん、人間であろうと宇宙人であろうと、ダンはダンに変わりないじゃないの」
病身のダンにカツを入れたこのセリフに接して、感動のあまり過呼吸となって失神しかけたのはわたしだけではないはずだ。日本じゅうの腕白小僧どもは学んだのである。男はいくら女を愛したとしても相手が宇宙人だと知ったら逃げ腰になるだろうが、どうやら女のほうはたとえ相手が宇宙人とわかっても平然と受け入れることができるらしい、と――。その認識はいまに至るまで変更はない。こうしてわれわれの人生観を決定づけたドラマも、瀕死のウルトラセブンを介して、病気がエネルギーに昇華されたことによってもたらされたものだったろう。
最後にもうひとつ。そもそもドイツ・ロマン派の旗手、ロベルト・シューマンが1845年、35歳のときにこの作品を完成したときの経緯についてだ。かれにとって唯一のピアノ協奏曲は、愛妻クララと波瀾の末に結ばれた喜びのなかで4年前につくった「ピアノと管弦楽のための幻想曲」にもとづく。これを改作して第1楽章とし、そこに新たに間奏曲とフィナーレのふたつの楽章を加えて仕上げたのだが、このころシューマンにとっての幸福な時期はとうに過ぎ去って、ひっきりなしに幻聴や耳鳴り、周囲のものに対する恐怖感に襲われ、やがて狂気の奈落へ沈んでいくという精神状況のもとで作曲が進められた。そう、この不吉なまでに美しい作品自体、病気をエネルギーに昇華させることによりできあがっていたのだ。
もとより、わたしは健康を好み、病気を憎む。ましてや病気に狎れて、そこに隠微な快楽を求めるような感性とは相容れない。しかし、そうであっても、生きとし生けるものはつねに健康でいられるわけがなく、どうしたって病気という重荷を負わざるをえない以上、病気もまた、人生を過ごしていくうえに必然的な一種のエネルギーとして見つめてみたいのである。