運転免許返上
甲子園での星稜高校の活躍を手に汗握って応援し、猛暑日の連続に毎日汗びっしょりになった巨人のような夏8月が終わった9月9日、私は都庁第二庁舎警視庁免許担当の窓口に行って、免許返納の手続きをした。担当者は極めて丁重で、長年の労をねぎらわれ、私も肩の荷を下ろしたような気分になった。実際、私の運転履歴は、米国滞在時に集中しており、国内ではごく短い期間しか運転してはいないのだが。
実は、妻をはじめ私の家族は、我が運転技倆を極めて低く評価しており、私の運転する車などには絶対乗らないと宣言していることもあって、このところ私は車を持っておらず、ハンドルも握っていない。そんなわけで、運転免許を持っていてもいなくても同じようなものではあるが、都庁からの帰り道、私はやはり大切なものを無くしたような気分がして、わが運転人生が走馬灯のように脳裏を駆け巡った。
米イリノイ大学留学時にホストファミリーの将校夫妻からムスタングで運転を習った際、車を傷つけてはいけないとコチコチに緊張したこと、ワシントンでの大使館勤務を前に長くペーパードライバーだった妻に運転経験を積ませるため、道幅の広い筑波研究学園都市まで出かけた帰路、大渋滞に巻き込まれて食事をしそびれ、空腹のあまり目まいを起こしそうになったこと、赴任直後の早朝運転で、日本の「車は左」のクセが抜けず、ひと気のない大通りを逆走しかけたことなどなど、どちらかと言えば、苦い思い出が多い。
留学時代は、当時安全性について議論のあった車コルベアを先輩から安く譲ってもらって重宝した。リアエンジンで、車の前が荷物室になっていたが、小さい車体で、とても運転しやすかった。ただ、車庫入れに失敗して、ドアを大きくヘコませ、長距離旅行は自分の車ではなく、1カ月99ドルの留学生割引によるグレイハウンドバスにもっぱらお世話になった。
かくして、動作緩慢な私が、二度にわたる米国滞在中、バンパーに軽く当たられたことが二回あっただけで、事故を起こさず済んだことは、ただただ幸運というほかない。私より反射神経が優れていると自負する妻は、他の一般の方に迷惑をかける事故は起こしていないが、ワンカー・アキシデントを二度やったほか、子供3人を乗せてスーパーに行く途中、女性警官の運転するパトカーとぶつかったことがあった。妻によれば、事故後警官を呼ぶ必要がないというメリットはあったものの、長く待った末に署からやってきた別のパトカーを見た子供達は、ママが牢屋に入れられると泣き出した。幸い双方に全く怪我はなく、事故の原因については、どちらも悪くないとされたようで、お咎めなしだった。
今、自動車をめぐる状況は大きく変わろうとしており、CASE[Connected(通信機能により車外と双方向につながる車)、Autonomous(自動運転)、Sharing(特にライドシェアリング)、Electric(電気自動車)]やMaaS[Mobility as a Service(様々な種類の輸送サービスが需要に応じて利用できる単一のサービスに統合されたもの)]が来るべき時代を示す重要な言葉となっている。そのような時代になれば、私も再度免許をとって運転席に座れるかもしれないが、その前に私がこの世からオサラバしているのだろう。妻は私が再度ハンドルを握ることはあり得ないと断じているが、シャビーな我が運転経歴を振り返って、思いは過去と未来を激しく行き来している。(2019年9月19日記)