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石川県人 心の旅 by 石田寛人

人形浄瑠璃の勧進帳

2020.02.18 12:53

 この15日、国立劇場小劇場に文楽「鳴響安宅新関(なりひびくあたかのしんせき)」を聴きに行った。文楽を鑑賞することを意味する動詞は「聴く」か「見る」か。私の曾祖父は、いつも「人形浄瑠璃を聴く」と言っていた。それで、ついつい私も、「聴く」と書くが、若い人には、「見る」と表現する向きも多いようだ。これは、浄瑠璃語り、三味線弾き、人形遣いの3業の役割の受け止め方も関係するようだ。

 そもそも歌舞伎演目には、人形浄瑠璃から移入されたものが多く、義太夫(浄瑠璃の一種で人形浄瑠璃で語られるもの)三大名作狂言とされる「義経千本桜」、「菅原伝授手習鑑」と「仮名手本忠臣蔵」は、いずれも初演後いち早く歌舞伎に導入されて大好評を博し、今なお歌舞伎の大人気演目になっている。そのほか、人形浄瑠璃から移された歌舞伎の演目は実に数多いが、この「鳴響安宅新関」は、逆に「歌舞伎十八番のうち勧進帳(以下『勧進帳』)」を人形浄瑠璃に移した比較的珍しいものである。

 「鳴響安宅新関」の初演は明治28年(1895年)だから、「勧進帳」の初演天保11年(1840年)よりかなり後のことである。ストーリーは基本的に「勧進帳」と同じであるが、もちろん音楽は異なり、こちらは長唄ではなくて、義太夫で物語が進行する。ここでは、浄瑠璃語りが7人で、掛け合い、すなわち弁慶、富樫、義経、四天王、番卒をそれぞれ別の浄瑠璃語りの方が担当して語り、一人の浄瑠璃語りが全てのセリフを語り分ける通常の上演方法とは異なる。三味線弾きの方も6人が出演する。

 登場人物は、「勧進帳」と同じ11人で、義経弁慶方は義経・弁慶・片岡八郎・駿河次郎・伊勢三郎・常陸坊海尊の四天王で合計6人、富樫方は富樫と番卒4人の計5人である。「勧進帳」のような太刀持ちは出ない。主遣い・左遣い・足遣いの3人で遣う人形は、弁慶・富樫・義経と四天王で、番卒は1人で遣うツメ人形である。

 語られる義太夫の詞章は、「勧進帳」よりもむしろ能「安宅」に近い部分も多い。また、文楽は、背景の転換が容易であるので、義経・弁慶一行が関所を通過したあと、老松の背景が浜辺の景色に変わり、そこに富樫が追いかけてきて酒宴となる。

 歌舞伎と文楽の大きな違いは、後者には花道がないことだ。そこで、文楽では、最初の富樫と番卒の出のあと、彼等は一旦上手に引っ込み、そこに下手から、義経弁慶一行が登場する。「勧進帳」で、冒頭の富樫と番卒の会話が終わっても彼等は本舞台に残り、義経弁慶達6人が花道に出てきてそこで協議するのは、舞台構造の巧みな活用であるが、ここの富樫側と義経弁慶側の動きは、能、歌舞伎、文楽とそれぞれで、舞台の特質によくマッチしたものになっている。最後に、「勧進帳」で弁慶が飛六方で花道を引っ込むようなことは文楽ではできないが、こちらでも文楽独特の飛六方が行われる。

 浄瑠璃語りの皆さんの大きな声と三味線6挺の力強く高らかな合奏は、まさに「鳴り響く」というタイトルにふさわしく、迫力満点である。そんな大迫力の演技で、弁慶の智、富樫の仁、義経の勇が加賀の国で高く鳴り響く舞台を見るのは石川県人としてとても誇らしい。この日は、小松市役所の橋孝一さん、岡本夏季さん、川本眞弥さんの3人とユルキャラ「カブッキー」がロビーで観客に呼び掛けて、石川県の歌舞伎の素晴らしさを全国に鳴り響かせようと努めておられたのも嬉しかった。(2020年2月18日記)