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石川県人 心の旅 by 石田寛人

筒井筒と陶磁器

2020.06.19 12:58

2年6月 

 新型コロナウイルスの猛威もようやく下火になり、石川県人会の事務所も今月から再開した。今月は、コロナから離れる。

 おそれおおくも、私は、国宝22件、重要文化財77件はじめ前田家に伝わった多くの美術工芸品や古文書等を維持管理する公益財団法人「前田育徳会」の理事長を仰せつかっている。膨大で多様な前田育徳会の所蔵品は、文書や刀剣類などに特色があると言われるが、陶磁器類にも名品がある。重要文化財の「富士茄子」の茶入れは名物として、天下の3茶入れのひとつに数えられている。

気の置けない友人達は、ガサツなおまえが、そんな極めて大切な品を管理する仕事に就いていて大丈夫か、割れ物の陶磁器類に触るのは慎重な上にも慎重を期さなければならないぞと注意警告してくれる。しかし、私は、そのような大切な品に触ることはもちろん、息をかけることもしていない。現物に触れるのは全て専門家である。その危惧は、どうか払拭して頂きたいが、これからも自重していきたい。

 そんな私も、大学などの記念行事の記念品を選ぶとき、どのような陶磁器類がよいか相談を受けることがある。もとより、私の焼き物に関する知識も皆無に等しいが、石川県出身者としては、九谷焼や大樋焼の作品を推薦し、結果、好評を頂いている。ただ、焼き物は、上に書いたようにやわらかく、割れる恐れがある。受け取る方にとっては、それが心配かもしれない。そんな懸念を拭うため、私は、使用中に万一毀損したならば、こなごなになった場合を除いて、たとえ五つか六つに割れても、金継ぎなどの手法でサッサと継いで補修しましょうと、高校時代に習った伊勢物語を思い出しつつ、次なる愚作のざれ歌を贈っている。

「筒井筒 五つに割れし 加賀茶碗 継ぎにけらしな ひと見ざる間に」

 これは恐縮ながら、豊臣秀吉と細川藤孝の故事の借用である。筒井順慶から贈られた秀吉の名器井戸茶碗を小姓が粗相して五つに割ってしまい、怒った秀吉が手討ちにしようとするのを側にいた藤孝が止めて、次のような歌を詠み、その怒りを解いたと伝わる。

「筒井筒 五つに割れし 井戸茶碗 咎をば我に 負いにけらしな」

 割ったのは私の責任のようなものですよと、伊勢物語の筒井筒の段の古歌をとっさに詠み替えたのである。元の歌は、

「筒井筒 井筒にかけし まろがたけ 過ぎにけらしな 妹(いも)見ざる間に」

で、子供の頃井戸の回りで遊んだ男女が成長して、互いに恋心が芽生えたところを歌っている。『昔、井戸の筒と高さを比べた私の身長も貴女と会わないうちに随分伸びましたよ』自分の成長のアピールである。この歌は『過ぎにけらしな』の部分を同じような意味で『生いにけらしな』とする伝えもあり、細川藤孝の歌は、そちらを元にしたのかもしれない。 もちろん、能の名曲「井筒」にもなっている筒井筒の故事の借用を、私が思いついたわけではなく、高校の同級生で我々のお茶の先生、表千家教授の吉倉虚白宗匠から細川藤孝の替え歌を教わったことが出発点である。

 なお、上述の五つに割れた井戸茶碗は、見事に継がれて評判がさらに高くなり、今に伝って、金沢の旧家に所蔵されているやに聞いている。美術工芸に関する石川県の奥深さはとても嬉しいが、私のガサツさは齢を重ねても治らないのが残念だ。(2020年6月19日記)